たけたろう さん 2001年 04月 20日 15時 39分 35秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 95」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の31

 朝、目を覚ますとやはり右目の腫れは引かず、視界50パーセントといったところであります。おまけにカゼまで轢いたらしく、頭痛信号が「ピピッ」と鳴っているありさまである。それでもワシは「せっかくだから」とコースに向かうのである(当たり前だ!!)。さすがに、温暖な気候の静岡といえども12月の朝は「カキーーン」と冷え込むのだった。ワシはブルブル震えながら公式練習をこなし、タイムトライアルの準備にとりかかるのだった。しかし、前にも書いたがここで同じパドックの「チーム ウィリー」の寺井氏の一言が、ワシを奈落の底へと突き落とすのだった。「おーい、お前らタイトラ全開で行っても音量ひっかからんぞー。」お前らとは、ワシのほかにもう一人ウィリーの坂尻君のことである。
 ワシは、パドックの2階からFR2のタイムトライアルを眺めながらイメージするのだった。「やっぱー路面がキンキンに冷えとるけん。早いことタイヤを暖めんといかんけん」ワシはタイムトライアルで久々に『超高速タイヤ暖め戦法』を使い、勝負に出たのである。そして、堂々の4番手タイムを叩き出したのだった。ワシは調子が悪いながらも好タイムを出したことで、気合を入れなおしたのだったが、結果は「音量ペナルティー」である。「なんてこったいーーっ!!」ワシとチーフメカの西浦氏は掲示板の前で腰を抜かすのだったが、唯一救われたことはウィリーの坂尻君も音ペナに引っかかっていたことである。
 こうして、ワシは後方スタートから巻き返しを図ったのだったが、いかんせんあまりにも体調が悪すぎ、とりあえず決勝には残ったのだったが、コースアウトも重なり無念の周回遅れとなるのだった。

 この3年間、ワシは不完全燃焼のまま地方選手権を戦ったのだが、今思えばワシのカート人生で一番充実した3年間だったのである。現在の地方選は参加台数が激減しており、参加している人には悪いがあまりにも緊迫感がないのである。ワシの頃は、ちょっとしたミスで予選落ちになってしまうこともあって、みなさん朝から殺気立っていたのである。これはワシにとってはものすごい経験で、最近のワシはあまりカートに乗っていないのだが、たまにレースに出てもそこそこ走れてしまうのは、やはりこの地方選に参加し続け、揉まれに揉まれた経験が生きているからである。

 ワシは、地方選手権に全20戦(97年にスポットで1戦)出場したのだが、決勝最高位5位。タイムトライアル最高2位。予選最高位5位。予選落ち9回。この記録はワシの財産である。
 続く。ではまた。

まあしい さん (MERCY) 2001年 04月 19日 20時 17分 50秒
テスト

まあしい さん 2001年 04月 19日 20時 16分 08秒
今i-modoで書き込みしてます

たけたけたけけけけーーっ! さん 2001年 04月 19日 20時 07分 35秒
 それはそうと、アクセス6000ヒットおめでとうである。
 残念ながらワシは6002番目やったけん。

 イテテッ!!頭痛中やったの忘れとった。こんなこと書いとるヒマがあったら連載書けってか??

 よーしっ!!うちに帰って愛猫の「しゃしゅけ」とプロレスごっこだーーっ!!ではまた。

たけたけたけけおけけたろう さん 2001年 04月 19日 19時 40分 31秒
 みなさん!!聞いてください!!
 ここで、大変ショッキングなニュースをお伝えしなければなりません。
 5月5日のゴールデンウィークシランプリ(?)に、ワシが出場することが正式に決定いたしましたーーっ!!
 応援してねウフ。

 本日の「たけたろ・・・」は作者頭痛のためお休みです。さーて、うちに帰ってノーシンとバッファリンとイブを飲んで寝るかーーーーーっ!!ではまた。

ケイ さん 2001年 04月 19日 18時 57分 40秒
始めまして
まあしいの写真みました
たった一人で押している人、顔が見たいです。
くわしくおねがいします。

たけたろう さん 2001年 04月 18日 19時 26分 19秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 94」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の30

 さて、92年の最終戦から参戦し始めた地方選も、今度のつま恋で連続19戦目になります。ワシはこのつま恋の最終戦で、とりあえずカートレースからは足を洗おうと決めていたのである。なぜならば、何度も書くようだが『ジナレーシング悪徳桔梗屋商法』にしてやられ続けたこの3年間のツケは、なんと400万円弱にまで膨れ上がったからであります(しかしこのツケのおかげで3年間も地方選を続けられたのも事実である)。おっさん(堀井氏)も、ロクに結果を出せないワシをよくぞ見守ってくれたものだと、ただ感謝するのみである。ワシは何としても最後の地方選は有終の美を飾りたいと思うのだった。
 最後の地方選ということで、ワシは会社を逃げるようにして休み、長年ワシのチーフメカを勤めてくれた西浦群馬浩二氏を引き連れ、前日にコースに入ったのだった。しかし、ここで大問題が発生するのである。このレースの少し前からワシの体調がすぐれず、コースに入ったその日に、なんとワシの右目には大きなものもらい(めんぼとも言う。西浦氏の故郷岡山県ではめばちこと言うらしい)が出来、ボンボンに腫れてしまったのである。当然視界が悪いのは言うまでもないのである。それでもワシは懸命に走り込むのだが、悪いことは続くもので3コーナーの立ちあがりで、チェーンが切れた瞬間キャブまで壊れ、遂にはエンジンも壊すというなんとも言えないトラブルに見まわれるのだった。おかげで、まともなセツティングが出せないままこの日の走行が終わり、翌日に不安を残すのである。
 「まあ。やってしまったもんは仕方ない」と割りきり、ワシと西浦氏は薬局で目薬を買いこんだあと、本日のお宿に向かうのだった。ワシはつま恋のレースで前日入りするのは初めてだったので、この日のお宿は原さんに紹介してもらったのである。30分ばかウロウロしただろうか、遂にお目当てのお宿を発見するのである。その名も『桔梗屋』さんである。ワシはその名を見て、更に不安がつのるのであった。
 其の31に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 04月 17日 19時 17分 50秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 93」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の29
 
 過去2年間、ワシは津保川の地方選で決勝レースを走ったことがないのであります(ということは連続予選落ちなんだよフン)。なぜかしらん、地元中の地元の津保川ではいいところなく惨敗するのである(これでも元津保川のチャンピオンだよーん)。今年こそは3度目の正直とばかりに、なんとしても予選だけは通過しようと気合が入るワシであった。
 例年、津保川の地方選は秋に開催されていました。この年も10月に開催されるのであります。10月といえば・・・。そうです、柿の季節であります。毎年10月から11月いっぱいにかけて、ワシは柿のために殺人的スケジュールをしいられるのである。そんな中、ワシはなんとか1日だけ休みを取り走り込みを慣行するのだったが、ついてない人というのはまるでワシのためにあるかのように、朝から雨が降り続くのである(それも台風直撃だがや)。それでも、ワシは雨の中徹底的に走り込み、他のチームの人が腰を抜かすほどの速さを見せ付けるのだった。ワシは「これで雨でも降ったら、優勝してまうがやーー!!」と家に帰って雨乞いをするのだった。
 そして、レース当日のことです。ワシの必死の雨乞いも実らず、快晴である。やはり、ドライ路面では走れなかったことが効いて、この日も苦戦するのである。それでも、なんとか食い下がったワシは中盤前後の順位をキープするのだった。2回の予選ヒートも終わり、いよいよ運命の分かれ道である。ワシは、自分で計算してギリギリ予選を通過しているんじゃーないかと掲示板のあたりをウロウロします。毎年、ここ津保川は上位24台予選通過出来ます。掲示板に張り出された結果を見ると、ワシは見事予選24位でありました。しかし、あろうことかこの年から上位22位までが予選通過と書かれているではありませんか。「何でやーー!!何で22台なんやーー!!」ワシは何かの間違いではないかと抗議をしようかと真剣に思ったが、いかんせん抗議するおじぇじぇ(お金)がありません。ワシは泣く泣く帰り支度を始めると、ポツリポツリと雨が降りだし決勝ヒートは土砂降りになるのだった。
 ああ・・・。次のつま恋はワシの地方選最後のレースである。このまま潔く終われないのである。
 其の30に続く。ではまた。

まあしい さん (mercy@jina.co.jp) 2001年 04月 17日 10時 44分 32秒
URL:http://www.jina.co.jp/
それと付けたしですが、
C−BOARDのほうは半角英数の文字でしか使用できません。
それだけは気をつけてください。

まあいい さん (mercy@jina.co.jp) 2001年 04月 17日 10時 37分 36秒
URL:http://www.jina.co.jp/
どうもどうもまあしいです。
HPのほうにスケジュールをつけました。
練習の予定、プライベートな予定など何でも書き込みしてください。

たけたろう さん 2001年 04月 16日 15時 29分 56秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 92」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の28

 そして、いよいよニューフレームがワシの手元にやってきました。95年後期式PCR「ジャガー」は、それまでの紫色のまだら模様とは打って変わって、現在のような真っ赤な燃えるような塗装に生まれ変わったのだった。前後のバンパーも、それまでの「仏壇金メッキバンパー」も姿を消し他社のフレームと同じオーソドックスなものにチェンジしたのだった。肝心な乗り心地はというと、非常にハンドルが重くフロントの動きもなかなかクイックで、簡単に言えば曲がりすぎるくらいなのだった。リアの安定感もしっかりしていて、コーナーの出口でガバッと踏んでいけるのだった。ワシは早くこのニューフレームを自分の物にしようと、積極的に地方のSLレースに参加するのだった。このフレームで、ワシのチーフメカの西浦氏と組んだ「サマーシランプリ」で優勝。ジナレーシング毎年恒例の「クラブマンレース」でも優勝。芦原のレースも2回ばかり参戦したのだが、最終コーナー手前のヘアピンからがあまりにも速すぎて、2戦とも最終コーナーで前車に追突してスピンしてしまうというくらいノリノリだったのである。
 この頃には、ホリイチューンの「TSV95」もようやく熟成されてきて、いよいよ本当の有終の美を飾る準備も整ったのだった。
 其の29に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 04月 15日 13時 36分 22秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 91」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の27

 さて、レース本番前日のことです。ワシはテキパキとレースの準備をしていると、おっさんが言います。「おいっ。新しいエンジンが入ったぞ!」ワシは「おいおい、レースは明日やというのになに言ってまんねん(ホリイ調で)」しかし、ジナのエンジンメンテナンスルームには、真新しいエンジンの入ったダンボールが置かれています。中を覗きこむと「おおっ!!こ、これはーーっ!!」とワシは一瞬雄たけびをあげるのだった。そこには、なんと青いヘッドの『TSV95』があるではないですか。市販の95エンジンではいかんせん役不足すぎたのか、PCRもいよいよ本腰を入れるのであった。その青ヘッドエンジンは通称「ダイヤモンド(ダイナマイトだったかもしれん)」と呼び、いかにも回りそうな名前のエンジンである。ワシは今回ホリイチューンの「TSV95」を使う予定だったのだが、迷わずその青ヘッドを実戦投入するのだった(ちなみにホリイチューンエンジンはスペアに回される運命だったのである)。
 レース当日、これがワシと最後のレースとなる「ムンクスペシャル」に青ヘッドを積み、まずナラシをしなくてはいけません。しかし、公式練習だけでは時間が足りないので、パドック裏の山の中でエンジンを掛け、ナラシをするのだった。とりあえず、15分ばかりエンジンを掛けて、公式練習であります。しかし、ワシの思っていたイメージとはほど遠い内容で、いまいちピリッとしません。なにかこう電気モータが徐々に回っていく感じで、パワー的にはまだホリイエンジンの方がよっぽど上のような気がしてなりません。パドックで浮かない顔をしていると、PCRの鈴木さんが「おうっ。このエンジンいいやろーー」と聞いてきます。ワシはせっかくの鈴木さんの好意でこのエンジンを使わせてもらっていることを思うと、本当のことが言えません。「ハイッ。いやー鈴木さん。これはいいエンジンですよーー」と言いながら内心は(あーあ。いまさらホリイエンジンに乗せかえることも出来んしー・・・。今日は終わったなあ)とガックリ肩を落とすのだった。案の定、ワシは壮絶なブービー争いを延々と繰り返すのだった。はるか富山まで来てこれでは、あまりにも情けなさすぎるのである。この年残り2戦。次回からニューフレームにチェンジするワシは、有終の美を飾ることがはたして出来るのであろうか不安である。
 其の28に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 04月 13日 19時 30分 08秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 90」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の26

 さて、おわらの里というはるか富山県にあるこのコースには、行ったこともないワシだったので「とりあえず1回は走っとかんとマズイやろ」ということで、ワシはレースウィークの水曜日にチーフメカの西浦群馬浩二氏に半ば強引に会社を休ませ、練習に行くのだった。しかし、1回きりの練習日にかぎって雨が降るのである。とりあえず、5時間ほどかけてコースに着くと、レースウィークにもかかわらず、1台も練習に来ているドライバーは見当たりません。「おおっ!!今日はワシの貸切やんけーー!!」と早速準備にとりかかるのだった。
 雨の中、ワシはコースインします。とりあえず、コース図を見ていちおう分かってはいたつもりだったのだが、いきなり2コーナーのヘアピンでコースアウトする始末であります。「あれーーー??」そんな感じで押しがけをし、再スタートします。そしたら、今度は裏ストレートに入るべきコーナーを直進し、ホームストレートに逆向きに飛び出すという、もし他のカートが走っていたらあわや大惨事というコースアウトをしでかすありさまである。ワシは「よかったーー!!ワシしか走っていなくて・・・。」とホッと胸をなでおろしました。こんな感じで一日中、コースを覚えるので必死なのでありました。もし、このレースで練習なしのぶっつけ当日入りでもしようものなら、とんでもない事態になっただろうと今でもぞっとするのである。
 みなさんも、初めて走るコースはまず朝一番にコースを歩いて覚えることを、おすすめするのである。
 其の27に続く。

 PS:清井ちゃんも、なかなか波乱のレース人生を送ってきたんですねー。まあお互いまだまだ先は長いけん!!がんばりましょう。ではまた。

’95PCR全日本ドライバー さん (kiyoi@mth.biglobe.ne.jp) 2001年 04月 12日 22時 44分 13秒
たけろうさん!これだけのネタがあるのは大したもんです。自分も何かネタあるかな〜って考えたけど。
「地方選手権ボロボロ、鈴鹿シリーズ参戦、出場稼ぎの6インチFSAで大波乱」「次の鈴鹿FSAも大波乱、あいつ誰?」
「全日本デビュー戦実はFSA」「全日本FA開幕戦はTTから53台抜き」「中山TT5番手ローリングに散る」
「ワールドカップFA新品フレーム1日の命(空中5回転?」「FCS佐藤さんとの出会い」
「FSA、CRG変更、SUGOで炸裂」「FSA那須本当の優勝者は…」「瑞浪暴行事件」
「フォーミュラー参戦好条件も…」「自信喪失、ケジメ付けにイギリスへ」「マレーシア耐久カートレース、チームFCS炸裂」
「フォーミュラートヨタスポット参戦」
自分は金持ちでもなく、正直地方選手権も全戦出場できないくらいでした。
でも、ここまで来れたのは関係者の協力があってこそなのです。自分の力だけでは絶対無理なことです。
一生懸命さって伝わると思うのです。自分がストック出場時はJKGP優勝を目標に一人で練習行ったり、土日はショップで
カートメンテとかその辺が伝わったんだと思っています。
皆さん、楽しむ気持ちを忘れず、そして優勝めざし貪欲に頑張ってください。

たけたろう さん 2001年 04月 12日 19時 03分 12秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 89」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の25

 第3戦の瑞浪あたりから、ワシのとっておきのフレーム「PCR ムンクホルムスペシャルジャガー」がタレはじめたことに気がつきました。それもそうでしょう。ムンクホルムはもちろんのこと、ワシもこのフレームでハイグリップタイヤのレースに出ていたからであります。しかし、いかんせん資金不足のワシはなんとかこのフレームで1年もたそうと思っていた矢先のことです。
 ある日、おっさんがワシに言います。「おいっ。おまえのフレーム売れたぞ!!」ワシは「はあ??」おっさんも年食ったせいか、脳波でもくるったんじゃーないかと思っていると「だから、おまえのフレーム売ったて!!」「ほんなら、ワシのフレームは??」とワシはおっさんに詰め寄ると、「うん。新しいのがもうすぐ来る」ときました。なんと、おっさんはワシの了解も得ず、勝手にワシのフレームを売ってしまうのであった。いつもそうです。新しいキャブやチャンバーが来たときには「おいっ!こいつテストして来い」とワシに手渡し、ワシがテストして帰ってくると「もうツケたるぞ!!」であります。当時のジナレーシングの「商品売掛帳(いわゆるツケツケ帳のことだよ)」のワシのページはギッシリワシのツケが書きこまれ、そのうちの3分の1はこのような強引な取引のツケであった。何度も書くようだがこれぞまさしく『ジナレーシング悪徳桔梗屋商法』に毎度毎度ひっかかるワシなのである。
 ああ・・・。これで地方選参戦3年目で6機目のフレームである。年に2機ずつかーー・・・トホホ。なーんて思いながら、内心は「はーやく来い来いフレームちゃん」なのである。しかし、第4戦のおわらの里には間に合わないということなので、「よーしっ!!おわらでムンクスペシャルフレームの有終の美でも飾るかーー!!」と気合が入るのだった。
 其の26に続く。

 PS:今週のワシはカゼをひいたりして絶不調だったのだが、昨日朝起きると左耳に激痛が走っていました。ワシはもうどーしようもおれんかったので、今日耳鼻科に行ってくると先生が「うーん。これは中耳炎ですねー」と言います。ワシは「あーあ。年食った証拠やなー」なーんて思っていると先生が一言。「中耳炎なんて、普通子供がかかる病気なのに、おたくめずらしいねえー」だってさ。「うーーん。ワシもまだ若いなあーー!!」ではまた。

たけたろう さん 2001年 04月 11日 20時 06分 35秒
 PCRドライバーさんへ!!
 
 お久しーーー。清井ちゃん。元気でしたか??清井ちゃんがPVデビュー戦で優勝したことは今や伝説化しています(それもキャブがブリブリで優勝するなんてすごいけん!!)。ワシもその3年後に同じレースで優勝し、いつかは清井ちゃんみたいなドライバーになりたいとがんばっていたのでしたが、残念ながら現在はすでに既婚者となってしまい、ついに今年三十路ーズの仲間入りしてしまったこともあって、なかなかカートに乗れないのが現状です。
 最近、コースで清井ちゃんを見かけなくなりましたが、今度見かけたら声をかけるので、待っててね・・・ウフ。それと、このワシの「たけたろうの楽しい・・・」も読んでちょーね。ではまた。

’94地方選PCRドライバー さん (kiyoi@mth.biglobe.ne.jp) 2001年 04月 10日 21時 25分 10秒
たけたろうさん、’94同じPCRユーザーの者です。
フォーミュラートヨタから検索したら、ここが出てきてもう1時間ほど楽しく読ませて頂いています。
’94地方開幕戦のことを書かせてもらってるので、ここで裏話。
’93年瑞浪シリーズにストックで参戦していた私にとっていろんな転機でした。
このシーズン我がチームからPVクラスに出場のドライバーはが鎖骨骨折し「エンジンあるけどPV出ないか?」
という甘い誘いで、腕試しと出場した「PSチャンピオン大会」。
KT100S以外のエンジンでのレースが初めての自分にとっては楽しい代物でありました。
(キャブが分からずブリブリでしたが)
そこでの結果がよく、地方選手権にチャレンジしたのですが、第1戦三重の1週間前の練習でカート走行初の脇腹痛に襲われた
ままレースに挑んでいたのです。
寝返りもうてず、苦しいままの地方選デビュー戦で、レースだから気合で走れましたが、公式練習では2周しか集中力
が持たず、涙を流すほどでした。
決勝も上位走行していましたが、エンジントラブルでリタイヤした時、悔しさと同じ位走行は終わってホッとした気分になったのを
覚えています。(この感覚は’95全日本津保川の時もそうで、身体が辛くてソッとリタイヤしようと思ったくらい)
当時フレームはファイアーフォックスで地方選手権出場しており、フレームセッティングは瑞浪を除き(Rrトレッド変更)
それ以外は同じでした。その後出場した鈴鹿選手権FSA(6インチ時代)のレオパルドは絶賛ものでした。
まあ、いろいろありましたが、PCRの時は良い思い出です。
あの後、4輪出場目指して色々あって今にいたっています。これ以上書くと話が長くなるので、希望があれば書きたいと思います。

たけたろう さん 2001年 04月 10日 15時 37分 10秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 88」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の24

 毎年、ゴールデンウィーク明けの次の日曜日に組み込まれていたトヨタだったが、この年のワシは仕事が忙しくてなかなか思った日にテストが出来ないでいました。仕方なく、ワシはチーフメカの西浦群馬浩二氏とジナのしんちゃんでおなじみの大山慎二氏をサブチーフメカとして雇い、ゴールデンウィークの真っ只中にトヨタへ出かけることにしたのである。
 その日の天気予報では、「午後から所により一時雨」という予報だったのでワシらは「雨が降る前に走らなければ」と朝の7時前にはジナを出発したのである(だいたい天気予報の「所により・・・」というのはカートコースなので不思議である)。山勝青果エルフ号に、いい年した野郎3人がギュウギュウに乗りこみ、いざトヨタへとむかうのだった。とまあ、ここまでは良かったのだがここから先大変な思いをするとは、誰も思いもしなかったのだった。岐阜羽島インターから名神に乗り走り出すと、なんとすぐに渋滞に巻き込まれるのであった。「まあ、ゴールデンウィークやで仕方ないか」と始めのうちは余裕で構えていたのだったが、なかなか車が前に進みません。あっという間に、1時間、2時間が過ぎて行きます。「おーーいっ!!いったいどうなってまんねん!!」とだんだんイライラしてきます。飲みかけの缶コーシーもすでになくなり、タバコもあと残り数本。おまけに隣に座っているのは野郎二人とくれば、イライラも頂点に達します。さらに、ワシのイライラに追い討ちをかけるかのように、路肩を平気で走って行く馬鹿どもが頭に来て仕方ありません。追い越し車線にいたワシは走行車線に移動し、更に路肩と走行車線をまたぐようにして、馬鹿どもを延々とブロックしつづけるのであった(このとき追い越し車線にいた人がワシの勇気ある行動に拍手を送っていた)。
 そんなことをしながら、ようやくトヨタに到着したときには、既に午後の走行が始まっていました(要するにトヨタまで6時間以上かかったというわけである)。ワシらは、あわてて荷物を下ろしにかかったのだが、なんとポツポツと雨が降り出したではありませんか。ワシは「もう帰るーーっ!!」といつもならどんなことがあっても「せっかくだから・・・」と少しでも走るのに、とっととコースを後にするのだった(今思うとワシに付き合ってくれた西浦氏と大山氏がかわいそうすぎるのである)。
 結局、第2戦のトヨタはほとんどぶっつけ本番となり、中古で購入した「TSV100」もまともに回ってくれず(こんなエンジンだったら始めからホリイチューンの「TSV95」にしとけばよかったと今でも後悔している)余裕で予選落ちするのであります。
 其の25に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 04月 09日 15時 47分 04秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 87」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の23

 そして、へこんでいたワシに更に追い討ちをかけるかのような事件が起きたのであった。それは、第2戦のトヨタの直前に参戦した瑞浪のSLレースで、あろうことかワシのとっておきのナンバー1エンジンを壊してしまったのであります(もーちろん全損!!)。
 「ああ・・・。哀れワシのとっておきのナンバー1エンジンちゃん。おまえはいいやつだった・・・。当時、猛威をふるっていたロタックス勢をものともせず立ち向かい、瑞浪の2コーナーでは18500回転も回った(回しすぎとの説もあるが)そんなおまえがいなくなるなんて、ワシはどうすればいいんだーーー!!!」なーんて思いながら次のエンジンを物色する頭の切り替えの早いワシである。この年、新発売されたPCRの「TSV95」というエンジンも既に購入してあったのだが、いかんせん役不足である(要するにハズレエンジンだったんだよ!!プンプン)。いちおう、おっさん(堀井氏)(今まではくどいようだが堀井氏のことだよとかしつこいようだがおっさんとは堀井氏のことだよとかいちいち説明していたが、めんどくさいのでこれからは書かないことにするのである。読者のみなさんもこの連載にたびたび登場するおっさんとは堀井氏のことだと早くおぼえてね)(だったら最初から堀井氏と書けってか?)がジナレーシング1階のエンジンメンテナンスルームで、歯医者さんが使っているようなドリルで一生懸命ワシの「TSV95」を削ってくれたのである(いわゆるホリイチューン又はホリイスペシャル又はホリイエンジンね)。おっさんは「これはすごく回るエンジンになるぞー!」とか言いながらチューニングをやっていたのだが、ワシに言わせると「あーあー。本当はヘタに触らんほうがいいんとちゃう??」なのである。案の定、チューニングの施されたエンジンをテストしてみると、上は確かに回ることは回るのだが、下がなくなるのだった(これは典型的なホリイエンジンの特徴である)。ワシは既にこのエンジンに見切りをつけ、てきとうな中古の「TSV100」を、また購入してしまうのだった。
 ちなみに、おっさんの名誉のために付け加えておくが、ワシが全損させたナンバー1エンジンも実はホリイスペシャルチューンエンジンなのだった(要するにおっさんのウデはいいってことだよーん)。
 其の24に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 04月 08日 18時 56分 19秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 86」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の22

 波乱の予選の結果、ワシは総合で5番手スタートが決まりました。これは、ワシの長年の地方選生活で過去最高のグリッドであります。このままいけば、初表彰台はおろか地方選初優勝まで狙える位置であります。
 さて、ヘルメットのシールドを付け替え、あとは決勝ヒートに全精力を注ぐのみとなりました。ワシは5番手グリッドに着きそのときを待ちます。ローリングが始まり、ゆっくりと隊列が整います。そして、日章旗が降られていよいよスタートしました。ワシは若干出遅れ、6番手で1コーナーをクリアしました。しかし、すぐの3コーナーで目の前の4,5番手のマシンがからみ、2台とも横を向いてコースを塞ぎます。それでも、ワシはものすごい集中力でこの2台をかわし4番手に浮上するのでした。「よしっ!!あと1台抜けば3位だがやーー!!」とワシは俄然やる気を出して、前のカートを追います。ところが、1,2番手のカートはものすごいハイペースでどんどん離れて行きます。しかし、3番手のカートはなかなかペースが上がらず、そしてワシもそいつをなかなか抜くことが出来ずにもがいている状態なのであります。ワシは焦った。マジで優勝を狙っていたので、このレース展開は非常に厳しいのであります。前のカートは1コーナーからS字までが速く、ワシはS字から最終コーナーまでが速いという展開でした。ということは、勝負をかけるのは1コーナーしかありません。しかし、そういうときにかぎって前のカートのストレートの伸びがいいので困るのであります。ワシは何回か1コーナーで仕掛けるのだが、3番手のカートも必死でワシを押さえます。既にレースも半分以上消化したときでした。ワシは最終コーナーを丁寧に立ちあがって、「今度こそ!!」と前のカートの横に並びます。ワシは「よしっ!抜いたーー!」と激しいブレーキングで1コーナーに入ろうとした瞬間、「ドシャッ!!」と鈍い音と激しい衝撃とともに、気がついた時には、ワシはコースサイドの泥の中に埋まっていたのでした。ワシはせっかく抜いたと思った前のカートが、無礼にもかぶせてきて、ワシ一人だけ飛んで行ったのでした。
 こうして、あわや優勝かと自分でも期待していた開幕戦は、無残にもリタイヤの憂き目にあい、ワシはそれから1週間もへこんでいたのであります。
 其の23に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 04月 06日 15時 26分 54秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 85」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の21

 予選2ヒート目は完全ドライになりました。セッティングは既に決まっているので、ワシは自信を持ってセカンドグリッドに付くのだった。そして、ローリングが始まったときに、思わぬ落とし穴が待っているのでした。「せーの、よいっしょっ!!」と言う掛け声とともに押しがけをし、エンジンがかかったところでカートに飛び乗ります。ここまではよかったのだが、この後ワシに悲劇が襲うのであります。ワシはシートに体を埋め、そしてヘルメットのシールドを下ろしたときです。「バキッ!」とシールドに手をかけた瞬間、あろうことか2点止めしてあるシールドの片方が割れてしまったのでした。「やばいっ!!」ワシは一瞬そう思ったが、既にレースは始まっています。仕方なくそのままローリングを続けたのだが、少しでもアゴをひくと「バタバタ」とシールドがばたついてしまい今にも取れそうになるのであった。「こんなことでピットインしてもつまらん!!」とワシはそのままレースを続行したのでした。
 しかし、どうしてもシールドばばたつき、アゴを上げていないと本当に取れそうなのである。もしそのままシールドがどこかへ飛んで行ってしまい、オレンジボールでも出されたとしたら目もあてられません。ワシは思いっきり下目をつかって、なんとか走っているだけであった。こうなったら、なんとしても走りきらなくてはいけません。次々にワシは抜かれていったのだが、ひたすら我慢するのでした。そして、ようやく2ヒート目のチェッカーが降られ、パドックに戻ってきたワシはその足で『サントレ号』に行くのでした。
 「すみませーん。シールドくださーい。」
 其の22に続く。

 PS:山勝青果ホームページがリニューアルしました。みんな見てねウフ。アドレスはジナレーシングホームページのリンク集まで。ではまた。

たけたろう さん 2001年 04月 05日 19時 44分 55秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 84」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の20

 そして、いよいよ掲示板にタイムトライアルの結果が張り出されました。目をこらしてよーく見ると、なんとワシの名前がいちばん上にあるではありませんか。残念ながらトップではありませんでしたが、堂々の2番手であります。いやー・・・。苦節3年。ようやく訪れたワシの時代が・・・。昨年まで、仲良くしていた「チームたくみ」の清井ちゃん。「アトランタ」の高須君。「ウィリー」の宮森君などは、このワシを置き去りにしてさっさと全日本にステップアップしてしまい、あまりにも寂しすぎるのである。逆に言えば、かえって彼らがいなくなったおかげで、ワシがこの年の最有力ドライバーということかもしれません。なーんて思いながら、予選ヒートがやってきました。
 雪もやみ、日差しがでてきました。ワシはB組のポールであります。ちなみにA組のポールは「スギヤマレーシング」の息子であります(当時のレースレポートではこんなことが書いてあった「期せずして二人の杉山がフロントローを分け合った」と。おまけにワシにいたっては「既にベテランの域に入った杉山!!」なんだってさ)。A組の予選ヒートは、完全ウェットコンディションで、もうもうと水けむりを巻き上げてカートが走っていたのだが、ワシが登場するB組の予選ヒートが始まるころには、路面が急速に乾きだすのだった。しかし、ポールを取ったワシは冒険が出来るはずはありません。タイムトライアルの時のセッティングそのままで、スタートしたのでした。しかし、案の定マシンがいうことをきいてくれなせん。1周目はなんとかトップをキープできたのだが、2周目にはあっさり抜かれてしまうのだった。非常に苦しいレースだったのだが、ワシはなんとか2番手でこのヒートを終えるのでした。完全ドライ路面に変わった予選2ヒート目に、ワシは全精力をそそぐ予定だったのだが、思わぬトラブルに遭遇するのであった。
 其の21に続く。ではまた。

ちたん さん 2001年 04月 04日 19時 17分 05秒
おざおざ君

 おひさー!
生きっとたかい? 

 久しぶりに、カート乗るか?

     又、ちかいうちにどこかで、会おうぜ!?

たけたろう さん 2001年 04月 03日 19時 46分 11秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 83」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の19

 朝目覚めると、そこは雪国であった。4月だというのにあたり一面銀世界である。しかし、ワシは地方選3年目である。そんなことではまったく動じないのだ。コースに着くと、クラッシュパッドには10センチばかり積雪があったが、幸いコース上には雪は積もっていませんでした。そして、雪の降る中公式練習である。なんという寒さか、ワシの手はかじかんで感覚がありません。おまけに、ヘルメットのシールドが曇り、前がまったく見えないのである。ところが、パドックに帰ってタイムを見るとバツグンのタイムじゃーありませんか。やはり、前日雨の中走り込んだかいがあったというのはまさにこのことである。
 「今までのワシはいったいなんだったんやろう。コース前日入りしただけでトップタイムなんやで・・・。なーんか損した気分だがや!!」そんなことを思いつつ、ワシはまんざら気分が悪くはないのである。この日、ワシのエントリーしたFA2クラスは50台くらいのエントリー台数でした。ウエット路面の中、48秒台に入ればまちがいなく上位に付けます。タイムトライアルで、ワシはこん身のタイムアタックを慣行するのである。もどってきて、チーフメカの西浦氏の正確なストップウォッチを覗きこむと、そこには『48.90』と表示されていたのである。「よっしゃー!!」ワシははやる気持ちを押さえながら、掲示板のあたりをウロウロするのであった。
 其の20に続く。

 PS:コラッ!!瓦屋のおざわさん。あんた久し振りやないかしらん??なにしとったねん!!このチャンネルをちょくちょく見とるんやったらジナに顔出しんさい。それとも相変わらず女のケツでも追っかけとる??まだカート持っとるんやったらレースに出よう!!あっそうそう。ひとみちゃん元気??ではまた。

瓦屋おざおざ さん 2001年 04月 02日 19時 42分 29秒
たけたろう様 ちょくちょく見させてもらってます
レモンの袋詰めの早さにも驚きましたが文章も上手いんですね
俺もたけたろうファン73492人の一人です
 P.s.ぴょんこねーちゃん元気?

たけたろう さん 2001年 04月 02日 15時 51分 30秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 82」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の18

 第三章 『集大成』

 年も明けて1995年。ワシは絶好調であった。ムンクホルムのスペシャルフレームは文句のつけようがなく、エンジンも熟成されたPCR TSV100はとにかくよく回り、キャブレターやチャンバーもベストチョイスな体制で臨むことができました。1月に開幕したSL瑞浪シリーズでは、向かうところ敵無し状態で、いつもトップ争いをしていました(しかし結果は全戦リタイヤだったが・・・)。
 この年の地方選の開幕戦は、作手高原カートランドで開催されることが決まっていました。なにしろ、このコースでは初めての地方選だったため、本番の1ヶ月まえには前哨戦として特別に、普段は組み込まれていないチューニングクラスのレースも行われました。ワシはそのレースで、ぶっちぎりの独走で優勝し、「このままいけば、ワシも地方選で初優勝できるかもしれんがやーー!!」とワクワクしていました。そのためには、やはりコース当日入りではつらいのであります。過去2年間の地方選参戦全13レースで、ワシはすべて当日入りで戦っていました。しかし、これだけいい体制だレースに臨めることと、こんないい体制を作ってくれたおっさん(くどいようだが堀井氏のことね)に喜んでもらうためにも、そしてもちろん自分のためにも、ワシは一大決心するのであった。それは、言うまでもなく前日入りすることであります。
 ワシは、半ば強引に会社を休み(ワシの勤めている会社は土曜日が一番忙しいのでよほどのことがないかぎり休めんのだ)チーフメカの西浦群馬浩二氏を引き連れ、作手に向かうのだった(ちなみにこのとき会社ではワシが初めて土曜日に休んだので、てっきりワシがお見合いでもしとるんだろうとウワサが立っていたのだ)。しかし、初めて土曜日にコースに来たというのに、雨が降っていました。ワシは走らんとこうか迷ったが「せっかくだから」と雨の中せっせと走り込むのだった。
 その夜、近くの民宿に泊まったのだが、ちょっとした修学旅行気分である。メシもまあまあ食わせてくれる宿で、風呂もなかなか広くていい気分なのだ。翌日のレースのためになかなか寝付けないワシは、隣でイビキをかいている西浦氏を襲ったりするのだった。その頃、外ではさっきまで降っていた雨が、雪に変わっているのだった。
 其の19に続く。

 PS:昨日ぴょんこねーぴゃんに大変失礼なことを申し上げられたのだが、ぜーんぜん気にしてないけん。ワシのこの連載もここまで続いたのだからとことん書かなくてはファンの皆様に失礼と存じます今日この頃のワシであります。だが心配せんでもええ!!ネタはまだまだありますよ。
 でも、昨日のレースを見てたらまた地方選に出たくなったがや。なんてったってワシが出ていたころの5分の1しか台数がおらんもん。あまりにも寂しいのである。ではまた。

ぴょんこ さん 2001年 04月 01日 23時 17分 30秒
たけたろうさま>
きょうは久しぶりにお目にかかりました。
なのに、大変失礼なことを申し上げてすみませんでした。
このHPの、このBBSを楽しみにしている、73,492人の人々のためにも、
たけたろうの楽しいジナレーシングはこれからも続けてくださいまし。
なーんて書かなくても、続くんだろーけどねー。
しかし、JK誌に数回の連載でおわってしまった私から見ると、たけたろうさまの根気のよさは、すばらしいっ!!と思います。
でも、そろそろネタ作りに、レース参戦してみては、いかがですか?

たけたろう さん 2001年 03月 31日 17時 22分 26秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 81」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の17

 ムンクホルムが使ったニューPCRは、とにかく目立った。それまでのPCRというのは、黒かグレーの塗装に金色のバンパーが定番で(ちまたでは仏壇フレームと言われていた)、はっきり言ってあまりかっこよくなかったのである。それが、蛍光の紫色をベースにいろんな塗装が入り乱れていて、いままでのイメージを覆すのだった。フレーム自体のデザインも斬新で、今では主流のセンターのクロスメンバーが初めて採用されたのである。
 しかし、地方選の最終戦までまだ一ヶ月以上あったため、ワシはとりあえず瑞浪のSLでこいつのお手並みを拝見することにした。今は亡き唐川富次氏にPV50を借りて、久々にPSーPCRクラスにエントリーしたのだった。この年、瑞浪のPCRクラスはようやくエントリー台数増えてきた頃で、なかなかの激戦だったのである。しかし、ワシは練習なしのぶっつけ本番ながら、見事フロントローをゲットするのだった。とにかく、こいつに初めてのった印象というのは「なんて乗りやすいんだろう。とにかく曲がる、止まる、踏める、バランスがいい。こんなの初めてーー!!」なのである。遂に最高の道具を手にしたワシは、いやがおうにも気合が入るのだった。
 ところが、最終戦のつま恋では練習では手応えを感じていたのに、残念ながら雨に見まわれてしまい、予選こそ通ったが惨敗したのである。こうして、94年の地方選も3勝3敗で終わったのだった。
 「あーあ、最後の最後でやっといい体制を築いたのに・・・。このままでは終われんがやーー!!」と翌95年も地方選に参戦することを決意するのだった。
 其の18に続く。ではまた。

まあしい さん (mercy@jina.co.jp) 2001年 03月 31日 17時 10分 52秒
URL:http://www.jina.co.jp/
どうもまあしいです。
気づいている人もいるかもしれませんが、
HPが最近変わっています。
とりあえず落ち着きましたので報告します。
お気に入りで登録している方は再度登録お願いします。
画像付きの掲示板もできましたのでレースの写真、
プライベートの写真なんでもOKです。
しかし、法律には触れない程度でお願いします。
そういう方を見つけた場合は覚悟してください。
なおこのHPはアクセス解析という機能を備えています。
アクセス解析とは、誰が何時どこからアクセスしたかが
一目で把握できるものです。
そのうちアクセスが増えればアクセス解析も載せたいと思います。
それでは何かありましたら気軽にメールください。

2000 さん 2001年 03月 31日 14時 15分 23秒
 それと、天皇はやめてください。2000=天皇、誰だかバレバレじゃないですか!!!

2000 さん 2001年 03月 31日 14時 12分 06秒
 優勝?そりゃあ優勝はしたいですけどちょっと今の実力じゃあ・・・。でも健康にいいし、家族からは大歓迎なんじゃないでしょうか。
 でもがんばりますよ。就職決まったらですけどね。

たけたろう さん 2001年 03月 30日 16時 11分 02秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 80」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の16

 ちょうどその頃、SUGOで開催された「ジャパンカートグランプリ」でPCRワークスのムンクホルムというドライバーが4位に入賞しました。このレースでムンクホルムが使ったフレームというのは、95年仕様のプロトタイプで、これまでのPCRのイメージをガラリと変えるほどの斬新で奇抜なデザインだったのである。そして、なんとこのムンクホルム本人が使ったフレームが、ワシに回ってきたのである。ミーハーなワシは「おっさん(堀井のおとっさんのことだよ)もワシにこんないい物を回してくれるなんてどうかしてるぜ!!」と思いつつ内心は嬉しくてたまらなかったのだった。しかしその陰では、ジナレーシング存続も危ぶまれるほどの大問題が勃発していたのである。
 当時、ジナレーシングのお客でパチンコ屋さんのオーナーがいました。当然パチンコ屋を経営しているだけあって、おじぇじぇ(お金)持ちで、年間数百万単位の資金でカート活動をしていた人であります。ジナレーシングにしてみれば最大手の顧客で、ワシみたいな貧乏カート野郎とは全然違い、金払いも良くてありがたいお客であったことはまちがいないのであります。もちろん、強力な派閥も作っていて、彼の弟と息子、前にも書いた歯医者の先生、そして外車専門店のオーナーなどが共に行動していました。特に彼の息子さんは当時まだ中学生だったのだが、既にチューニングクラスで走っておりよりいっそう力を入れていたのである。しかし、たまにワシと一緒に走ると、まだ息子さんはどうしてもワシに勝てなかったので、その人にしてみればはっきりいってワシは目の上のタンコブ状態だったのだ。そんなワシにムンクホルムのフレームが行ってしまったんじゃー黙っているわけがありません。怒ったパチンコ屋さんはジナレーシングクラブから、脱退を表明してしまうのでした。当然、同じ派閥の面々も一気に脱退してしまい、ジナレーシングはドル箱だったお客を一気に失ってしまうのでした。
 そんなこととはつゆ知らず、ワシは「早くこいつに乗ってみたーーい!!」とのんきに思うのでした。
 其の17に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 03月 29日 19時 23分 37秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 79」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の15

 それからのワシは、まったくもって不調のどん底であった。とりあえず「フラートン」はもう乗る気にもならなかったワシは、てきとうなPCRの中古を探したのである。そして、当時ジナレーシングのお客で緑色のポルシェを乗りまわしていた歯医者さんが乗っていた1年落ちの「ファイヤーフォックス」を購入したのでした。しかし、まともにメンテナンスもしていなかったのか、1年落ちのわりには既にボロボロの状態であった。「まあいいか。とりあえずつなぎで乗るんやで。」とワシもいいかげんである。
 第3戦の瑞浪は、とりあえず予選だけは通っただけで終わり、続く第4戦に賭けることにしたのだった。第4戦のコースは初めて芦原で開催されるのである。芦原といえば、やはりジナレーシングがSLレースを主催しているだけあってワシの準ホームコースといってもいいコースなのである。もちろん、芦原のことはよく知っているし「よそ者には負けられない!!」という意地もあるのである。しかし、いざテストに行ってみるとまったく低調なタイムしかでないのだった。この年のPCRは、まえにも書いたが本当にまともでなかったのである。開幕戦でトップを快走した同じPCRユーザーの清井くんでさえ、後方集団に埋もれて行くありさまであった。
 そして、第4戦当日がやってきました。ワシは相変わらず当日入りである。朝チーフメカの西浦群馬浩二氏とコースの下見をしたときはっきりいってワシはビビッた。前日にみなさんたっぷりと走りこみをしたのだろう、タイヤのラバーがべっとりとコース一面にへばりついているではありませんか。こんな黒々とした芦原を見たことがありません。案の定朝の公式練習ではバッタンバッタンカートが暴れてまともに走ることが出来ません。もっとショックだったのは、タイムトライアルで36秒台を出しながら(普段のレースでこのタイムならまちがいなく上位である)ブービーだったのだ。焦ったワシは予選の1ヒート目で、当時から北陸の暴れん坊で恐れられていたS選手に追突してしまったのだった。ああ、なんという不運。分かっていたんだけど、予想通り予選2ヒート目で、そのS選手に報復攻撃されるワシであった(ジナレーシングの戦闘員でこのS選手の犠牲者は他にもたくさんいるのである)。
 もちろん文句無しの予選落ちである。それにしてもあまりにもレースの内容が悪すぎるのである。次の津保川もまったくいいところなく予選落ちし、はっきりいってワシは自信を失いかけるのであった。
 しかし、10月も終りに近づく頃、ワシに一筋の光が見えてくるのだった。
 其の16に続く。ではまた。

匿名希望 さん 2001年 03月 29日 01時 43分 21秒
2000へ天皇卒業おめでとうございます。卒業祝いに、GOさんは、私に言いました。2000が優勝するまで、4月1日より禁煙すると、2000へ早く優勝して下さい。GOさんの言った事がエイプリールフールになるかは、わかりません。

たけたろう さん 2001年 03月 28日 19時 59分 36秒
 ターボンさんへ。
 
 説明が不十分で申しわけありませんです。ストックとは、いわゆる初心者の方が初めに乗るヤマハのカートのことであります。
 ターボンさんが乗られたカートは多分、ジナレーシングの戦闘員のみんなもこぞって乗っているであろう、PCR社のPV50というエンジンだとおもいます。KTというのはストックに搭載されているエンジンで、頭が四角いやつです。31秒フラットと言うタイムは、いいタイムだと思います。しかし、このPV50のエンジンで思いっきり速い人は、29秒台で走るひともいます。
 ちなみに、ジナレーシングのクラブマンレースは毎年10月の第2土曜日に瑞浪で開催されているのだが、ワシは仕事の関係上出られないことが多いので、今年は10月のある日曜日に津保川でやってほしいと、オーナーの堀井氏にお願いしているところであります。

 好評??の「たけたろうの楽しい・・・」は作者時間の都合でなかなか書くことができません。楽しみにしている読者のみなさん。もうちょっとまっててね・・・ウフ。ではまた。

ターボン さん 2001年 03月 27日 01時 51分 57秒
たけたろうさん、お返事ありがとうございました。ど素人ですみませんがストックとは何ですか?
また、ジナクラブマンレースはいつやるのですか。教えて下さい。
ちなみに私は借り物のカートで10回くらい(生まれてから)走ったことがありますが、エンジンの頭が丸いやつ(KT?)でシャシーはTONYのやつみたいです。もちろん変速機はありません。タイムは31秒09がベストでした。このタイムは早いのですか?遅いのですか?

2000 さん 2001年 03月 26日 00時 32分 26秒
 T!!さん(GOさん)僕もメカへたくそで迷惑おかけしました。
 ところで土曜日のチャレカップは楽しかったです。予選も決勝もスタートはうまくいったんですよね!でも最終コーナーから2コーナーまでで抜かれてました。僕以外みんなTIAでしたね。RCはもうどんどんいなくなっていくんでしょうか?

たけたろう さん 2001年 03月 25日 19時 32分 40秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 78」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の14

 さて、気を取りなおして挑んだ予選ヒートだったが、いかんせん初めて乗る「フラートン」に振りまわされるのだった。とにかくこのフレームはフロントの接地感がなく、ハンドルが軽くてグリップしているのか分からないのである。おまけに、フレーム自体の剛性も弱く、特にヘアピンで感じるのだが、フレームがよじれているのが分かるのである。まあセッティングもまともに出ていないので、仕方のないことなのだが、原さんがこのフレームで苦労していたのがよく分かったのである。
 哀れ・・・。見事に予選落ちしたワシは「ボウズ」の運命が待っているのだった。しかし、こんな遊びでボウズ頭になるのも負に落ちないワシは、なんとしてもボウズになるものかとねばるのだった。ところが、それから例のE氏に会うたびに「あれっ、まだボウズじゃないの?」と言われつづけるのだった。そう言えば、この少し前には全日本で予選落ちした原さんと、メカの『甘いマスクにデカイチンチン!?』でおなじみだった今は亡き新名隆(逆から読むとシカタナイニ)氏もボウズ頭の運命になっていたのである。当時の原さんはもともとボウズ頭にたいなヘアースタイルだったので、そんなに違和感がなかったのだが、それまでサラサラヘアーで女子に圧倒的支持を得ていた新名氏のボウズ頭は、やはり「そこらへんにいる中学生」みたいになっていたのである。しかし、さすがに甘いマスクのおかげでそれでもなかなかのハンサムボーイなので悔しいのだ。一方、ワシも元高校球児だったので、ボウズは慣れているのである。潔いワシは、早速行き付けの美容院で頭を丸めてくるのだった(その美容院のオバチャンは初めて人の頭を丸めるのか、大変嬉しそうにバリカンを操作するのであった)。
 話は変わるが、その後の「E軍団」の戦闘員1号の新名隆氏はあれほど熱心にカート活動をしていたにもかかわらず、さっさとカートを引退してゴルファーに転向し、もう一人若い子がいたのだが、E氏の陰謀で強引に地方選に参戦し、カート活動を停止せざるをえなかったのである。結局E氏の趣味に巻き込まれる形で、ジナレーシングからはほどなく姿を消すのである。もちろんワシは「ボウズ事件」をきっかけにさっさと「E軍団」を脱退したのだった。
 其の15に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 03月 24日 17時 49分 11秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 77」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の13

 「フラートン」とは、この年新発売されたフレームで、なぜフラートンかと言うと、昔活躍したカートドライバーの名前から来たそうな・・・。ミーハー揃いのジナレーシングは早速原さんが「フラートン」で全日本に参戦するのであった。しかし、原さんをもってしてもこのフレームにてこずり、いまひとつ「ピリッ」としない成績だったのである。
 そして、第2戦当日がやってきました。ワシはワクワクしながら、そして「ボウズ」にならないかドキドキしながら朝の公式練習に挑むのであった。ところが、フレームがどうこうの問題より、もっと重大な問題が発生するのだった。このフレームのブレーキパッドには、当時はやっていた「エンドレス」のパッドが装着されていたのだった。このブレーキは本当にやっかいもので、軽ーくブレーキをかけただけでもあっという間にロックして、いとも簡単にスピンしてしまうのである。どちらかと言うと、ワシのブレーキングは「ガツーン!!」と踏むほうなので、公式練習だけで3回くらいスピンを繰り返し、そして終わったのであった。
 パドックに帰ってくると、おっさん(しつこいようだがおっさんとは堀井氏だよ)が「なーーにやってまんねん!?」と言います。ワシは「このブレーキ、ワシには扱えんけん」しかし、市販のブレーキパッドの手持ちがなく、やむおえずそのままタイムトライアルに臨むのだった。頭では分かっているんだけど、長年カートに乗りつづけたクセというのは急には換えられません。案の定、タイムアタック中の1コーナーで、ブレーキをロックさせたワシはあえなくスピンを喫するのだった。
 「なんなんじやーー!!このブレーキはーー!!」ワシは鬼の形相でパドックに帰ってきたのだった。いつもなら、おっさんがなにかしらんチャチャを入れるのだが、あまりにもワシがキレすぎていたのか近づこうとはしませんでした。
 「ああ・・。情けない・・・。」すでにワシの脳裏には7年ぶりとなる、ボウズ頭が浮かんでいたのであった。
 其の14に続く。

 PS:ターボンさんへ。津保川のラップタイムはカートにもよりますが、ストックなら33秒台で走れれば全然いいです。今年のジナレーシングクラブマンレースは津保川でやるかもしれないので、がんばってたくさん走りこみましょう。ではまた。

ターボン さん 2001年 03月 24日 01時 35分 44秒
たけたろうさん、申し訳ございません。
お名前をけんたろうさんと間違えてしまいました。
書き込みよろしくお願いします。

ターボン さん 2001年 03月 24日 01時 31分 30秒
けんたろうさん初めまして。
ある人からカートのことはけんたろうさんに聞くようにといわれたのでお伺いします。
今は無き?津保川サーキットのラップタイムはどのぐらいで走れば速いものなのでしょうか。
エンジンなどにもよると思いますが教えて下さい。

たけたろう さん 2001年 03月 23日 15時 31分 20秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 76」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の12

 94年当時、ジナレーシングのお客でE氏という人物がいました。彼は中古車屋を経営していて、性格上若い子を自分の手下にしていわゆる「E軍団」という派閥を作っていました。ワシも一時その派閥に足を踏み入れたこともありました。そんな彼と「第2戦のトヨタで予選落ちをしたらボウズになる」というくだらない賭けをワシはしてしまったのである。なぜそんな賭けをしてしまったかというと、やはり前年のトヨタで5位入賞を果たした自信と、開幕戦こそいまひとつの出来だったが地方選2年目の余裕で「予選落ちなどありえない」というワシのうぬぼれみたいなのがあったからである。
 そして、早速トヨタでテストをするのである。しかし、昨年あれだけ調子よく走れたトヨタだったがまったくタイムがでないのである。とにかく、リアのトラクションがまったくなく、どのコーナーでも『大オーバーステア大会』なのである。あらゆるセッティングを施しても、リアがスライドしてしまいカウンターをあてまくっていました。しかし、原因不明な挙動のマシンながら、かまわずワシは200ラップも走り込んでしまうのであった。やはり、心のどこかで「ボウズにはなるものか!!」という思いがあったのだろう。
 しかし第2戦まで、1週間を切ったときとんでもないことが起こるのだった。ワシはいつものように、ジナの3階でメンテナンスをしていると「なんじゃーーこりゃーーー!!」と思わず大声を上げるのだった。なんと、あろうことかクラックを発見したのである。それもただのクラックではなく、はっきり言ってフレームに『穴』があいていたのだった。これで、先日のテストの不調の原因が解明されたのだったが、発見が遅れたのとクラックフレームで200ラップも走り込んだおかげで、既にこのフレームは修復不可能となっていたのだった。
 「ああ・・・。なんという不運。この年おろしたばかりのニューフレームが2戦ももたないとは・・・。こんなに弱いフレームならば、初めから「ファイヤーフォックス」をチョイスしとけばよかったのに・・・。ダメだなーーーPCRは・・・。」
 いやっ!!こんなのんきなことを思っている場合ではないのである。ワシはもうテストする日がないのである。ということは「ボウズ」に一歩近づいたことではないか!!いやだっ!ワシは意地でも予選を通らなければいけないのだ!しかし、代わりのてきとうなフレームがないのである。そんなとき、おっさん(何回も書くようだがおっさんとは堀井氏のことだよ)が言った。
 「よしっ!!フラートンで出ろ!!」
 其の13に続く。ではまた。

T!! さん 2001年 03月 23日 10時 32分 03秒
2000さん
 
 この前は、ありがとうね。
レースがんばってね、
         T!!  
     (GO より)

たけたろう さん 2001年 03月 22日 16時 32分 48秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 75」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の11

 そして、94年の地方選が開幕しました。大方の予想通り、ワシの出来はいまひとつであった。しかし、前年までのワシと違うところは、粘りに粘ってなんとか予選を通ることくらいのものでした。ワシはかろうじて、ブービーで予選を通り11位くらいでフィニッシュするのでした。このレースで、同じPCRを使う「チームたくみ」の清井くんが、トップ争いをしていたということは、少なからずもショックを受けたワシなのである。
 「こんなはずではなかったのにー!!」ワシは練習走行ではいつもトップなのに、本番に弱いところを見事に証明してしまったのである。おまけに、清井くんにあれだけ速く走られると、少数派のPCRユーザー先輩のワシにしてみれば、まさに『面目丸つぶれ』なのである。
 しかし、こんなことでしょげているわけにはいかないのだ。次戦のトヨタの練習のときに、ワシは早速「チームたくみ」のパドックまで足をはこび、ちゃっかり清井くんと仲良しになるのであった。
 其の12に続く。ではまた。

2000 さん 2001年 03月 22日 04時 21分 21秒
 いやぁ、92マシンは楽しいです。ただ、タイムは53の2が最高でした・・・PV期待のドライバーT君が乗って1週目54の4だったのであらためて自分の腕が悪いってことを考えてしまいました(自分は1週目56だったから)。今週の瑞浪チャレカップは楽しんで走ろっと。

たけたろう さん 2001年 03月 17日 16時 12分 36秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 74」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の10
 
 第ニ章 『大苦戦』

 翌1994年、ワシは2年目の地方選参戦に向けて準備に入るのでした。エンジンは昨年のナンバー1エンジンを残留させて、新たに原さんが全日本で使っていた「スペシャル」を購入したのでした。そして、フレームもPCRのニューモデルを仕入れたのだった。しかし、「ファイヤーフォックス」か「ジャガー」かどっちのモデルにしようか悩みに悩んだ末、わしがチョイスしたのは「ジャガー」だったのでした。この選択が、のちにワシの調子をくるわすこととなろうとは、夢にも思わないのであった。
 さて、開幕戦は例年通り三重であります。ワシはさっそく走りこみをするのだが、この新車の「ジャガー」が大変なクセモノなのであった。とにかく、曲がらない止まらない踏んで行けないフレームなのである。「こいつ、ホンマに新車か?」と疑いたくなるような代物だったのである。しかし、もう購入してしまった以上しかたがないので、ワシはとにかく徹底的に走りこんでダメだしをするのでした。セッティングは、今までにしたことがないようなセットで、例えば曲がらないのでフロントを目いっぱい広げ、それでもプッシュアンダー気味なので、リアトレッドを規定ギリギリの1340ミリまで出す。それでもダメなら、シートの補助ステーなんかとっぱらってしまう(この当時はリアシャフト種類が少なかったのだ)。今度は、踏んで行けないので長ロングのハブまで持ち出し、これでなんとかタイムが出るようになったという感じなのです。エンジン自体はすばらしいものがあって「さすがはスペシャル!!」とワシをうならせたのでした。
 ある日、ワシはたった一人で三重にテストをしに行ったときのことです。この日は絶好調で、ほかの誰よりもコンマ5秒くらい速く走れたのだったが(タイムはどうやって計ったかというと、ストップウォッチをハンドルにくくりつけて、自分でやっていたのである)、その日の帰り際のことです。ワシは今も現役で活躍中の「山勝青果ハイゼット号」に荷物を積みこみ、さあ帰ろうという時でした。突然、車のまえに一人の若者が立ちふさがったのです。そして、そのままツカツカと歩み寄ってきます。ワシはなにか悪いことでもしたんじゃないかとドキドキしていると、その若者はこう言います。「すいません!!なんであんなに速いんですか?」ワシは思いもよらない展開に驚きながら、内心は『ウデ、ウデ!!テクニシャンなんだよワシは!!』とまんざら悪い気はしません。しかし、その子が本当に真剣な顔をしてせまってくるので、こう言っときました。
 「いやー。ワシは練習のときだけ速く走れるから・・・。」
 でも、この発言は当たっているのでむなしくなるのであります。
 其の11に続く。ではまた。
 

2000 さん 2001年 03月 16日 15時 45分 09秒
 シェイクダウン行きます!で、ほかにはどなたか走りに行かれるんですか?

たけたろう さん 2001年 03月 16日 15時 14分 40秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 73」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の9

 第2戦のトヨタで、早くも5位入賞を飾ったワシは「こんな調子やったら、簡単にランキング10位以内に入れるやんかー。来年からは全日本ドライバーやけん!!」ととタカをくくっていたのである。当時全日本選手権の出場資格を与えられたのは、地方選で年間ランキング10位以内に入ったドライバーのみだったので(今もそうだが、鈴鹿のレースに何回か出ると国際ライセンスがもらえてしまうのであまり地方選のありがたみがなくなってしまったのである)、参加台数の多かった当時の地方選でランキング10位以内に入るのは、至難の技だったのである。
 ところが、その後のワシは入賞どころか予選を通るのもおぼつかない状態になってしまったのでした。第3戦では、地方選史上初めての高速コース「瑞浪レイクウェイ」で開催された為、レースが大荒れに荒れて、ワシはなんとか15位ぐらいに入ったものの非常に危険な大会となってしまったのでした。ちなみに、トヨタでワシの前でゴールした子は、このレースでクラッシュしてしまい、脚がポッキリとあさっての方向を向いていたのを覚えています。第4戦の三重、第5戦の津保川と2戦連続で予選落ちを喫し(予選落ちしたレースはあまり記憶がないのである。このころになってくると、もう予選落ちしてもへっちゃらなのだった)、最終戦のつま恋も予選は通ったのだが、決勝レースの1周目にハラダカートの息子に追突されて(そういうことはよく覚えている)、散々だったのである。
 結局、地方選参戦1年目は『3勝3敗の5分』という結果で終ったのだった。当然シリーズランキング10位以内に入ることなどできず「来年も地方選かー・・・。」と落ち込むワシなのであった。
 其の10に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 03月 15日 16時 37分 11秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 72」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の8

 エンジンにトラブルを抱えたままタイトラに挑んだワシだったのだが、それでも総合で12番手のタイムを出していたのでした。しかし、ブリブリ状態で走った為、音量ペナルティーにひっかかってしまい、なんとほとんど最後尾に突き落とされてしまうのだった。それでも、いつもならめげてしまうワシなのだが、この日にかぎって前向きにレースに挑むのだった。
 予選の1ヒート目が始まり、ワシは最後尾から猛然とダッシュするのだった。しかし、やはり前方で多重クラッシュが発生し、1コーナーの立ちあがりで、ワシはそれをなんとかよけたのだが、あろうことかよけすぎてホームストレート沿いのタイヤと、裏ストレート沿いのタイヤの間に、マシンがすっぽり入りこんでしまうのであった。しかし、そんなことでは動じないこの日のワシは、「おりゃーーっ!!」と強引にカートをジャンプさせて、見事に脱出に成功するのであった。だが、さすがにこのもたつきがひびいたのか、1周目を終えるころにはダントツの最下位だったのである。それでも、ワシは気合で走るしかなかったのである。そして、1ヒート目が終って、パドックに帰ってきて順位を確認すると、なんと6番手まで上がっていたのである。それも、スタート直後のアクシデントのおかげで、タイロッドが「くの字」に曲がっていてもこの調子なのであります。
 予選の2ヒート目も絶好調で、さすがに1ヒート目のように大幅に順位を上げれなかったのだが、それでも3番手でゴールするのだった。この結果ワシは総合12番手からスタートすることが決まったのでした。もし、音量ペナルティーを食らっていなかったらと思うと、やはり朝のエンジントラブルが悔やまれるのであります。
 そして、いよいよ決勝ヒートです。ワシはスタート直後の多重クラッシュにも巻き込まれることなく、順調に先を急ぐのだった。3,4周目には、すでに6番手にまで順位を上げていました。こうなったらもうイケイケです。しかし、やはりナンバー2エンジンを積んでいるためか、ストレートでどうしても離されてしまうのである。帰りのS字やヘアピンは誰よりも速かったので、なんとかもう一つ順位を上げることができたのだったが、最終コーナーまでに前のカートを追い詰めても、長い長いストレートでどうしてもコンマ5秒近く離されてしまうのであった。
 こうして、ワシのトヨタは終ったのでした。しかし、地方選に本格参戦2戦目で5位入賞できたことは、自分でも「イケル!!」と確信したのでした。しかし、これから先、このトヨタの5位入賞以上の結果を残すことが出来なくなるとは、夢にも思わないのであります。
 今でも思うのだが、この日おっさんさえコースにいてくれたら、朝のエンジントラブルがスムーズに解消されたんじゃーないかとおもうのである。そうすれば、この日優勝したのはまちがいなくワシだったんじゃないかと本気で思っている30才のワシなのである。
 其の9に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 03月 14日 19時 34分 51秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 71」
 たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の7

 ワシは自信満々で公式練習に臨んだのだが、今までには経験したことのないトラブルに見まわれるのだった。それは、原因不明の「ミスファイヤー」である。どんなにキャブをいじっても、改善されず「ボロボロ」とエンジンが吹けないのである。ストレートなど、いつもは1万9千回転くらい勝手に回るのが、1万4千回転ほどしか回らず、とにかく遅いのだった。ワシはとにかく焦った。しかし、こんなときにかぎっておっさん(堀井氏のことだよ)が来ていなかったのである。とりあえず、ワシはメカ(当時のワシの専属チーフメカは野村和弘氏だった)と相談し、タイムトライアルは新品のプラグに変えていくことにした。やはり、それまで調子が良かったこともあって、あまり冒険できなかったのである。ところが、タイトラでもエンジンが不調で、満足に走れなかったのであります。もうこうなった以上仕方がありません。ワシはナンバー1エンジンをあきらめ、ナンバー2エンジンに載せかえることを決断するのである。 
 しかし、このナンバー2エンジンはナンバー1エンジンよりも当然パワー的に劣っていて、このトヨタのコースだとコンマ2,3秒は差が出るのであります。おまけにオーバーホールもしていなかったのでこの日のレースは「終った・・・。」と言ってもよかったのであります。
 もなさんも、すでにお分かりだと思うが、ナンバー1エンジンのトラブルは電気系トラブルであります。もしこの日、おっさんがコースに来ていれば、スムーズにトラブルの原因をつかむことが出来たと今でも悔いが残るのである。なぜ、こんなことを書くかというと、ワシはそんな絶望的状況から見事に立ちあがり、すばらしいレースをすることが出来たからであります。
 其の8に続く。ではまた。

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