Syun さん (e1101@edu.gifu-nct.ac.jp) 2001年 05月 22日 09時 32分 31秒
ごめんなさい!!文字化けしてしまったので書き直します。すみません。
はじめてここに書き込みをします。
G.W中に一度お店にお邪魔しまして、かなり参考になりました。
4月に知り合いからカートの本体を3万円にて譲ってもらいもした。
状態はかなり悪く、(これマジで大丈夫か!?)なんて思ったりして・・・。
エンジンだけ買ったと思えばいいかとこ開き直ってます・・・
高校生がバイト代だけでやっていこうとしてるのでしかたないのですが・・・
(なんとかきれいになったけどね・・・)(−_−;)
なんとかなりませんか?
あともうひとつ。
エンジンがPCRのPV50ってやつらしいのですが・・・
キャブの開度がわかんねーよ!!!
誰か教えてください。おねがいします。m(_ _)m
あとこんな馬鹿なやつに、アドバイスいただけたらうれしいです・・・。
Syun さん (e1101@edu.gifu-nct.ac.jp) 2001年 05月 22日 09時 28分 10秒
はじめてここに書き込みをします。
G.W中に一度お店にお邪魔しまして、かなり参考になりました。
4月に知り合いからカートの本体を3万円にて譲ってもらいもした。
状態はかなり悪く、△海譽泪犬蚤臂翩廚・茵・・なんて思ったりして・・・。
△泙.┘鵐献鵑世映磴辰燭隼廚┐个いい・・廚覆鵑導・c召辰討燭蝓・・」
高校生がバイト代だけでやっていこうとしてるのでしかたないのですが・・・
(なんとかきれいになったけどね・・・)(−_−;)
なんとかなりませんか?
あともうひとつ。
エンジンがPCRのPV50ってやつらしいのですが・・・
キャブの開度がわかんねーよ!!!
誰か教えてください。おねがいします。m(_ _)m
あとこんな馬鹿なやつに、アドバイスいただけたらうれしいです・・・。
たけたろう さん 2001年 05月 21日 15時 27分 45秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 111」
たった一度の全日本選手権 其の10
ワシは気合を入れて1コーナーに入った瞬間、クルクルと駒のようにスピンを始めたと思ったと同時にアウト側のクラッシュパッドに「ドシャッ!!」と突き刺さったのだった。あっという間の出来事で、ワシは混乱していた。「まさか!?」と・・・。ワシのような名手でもスピンをさせるほどの雨は、いっこうにやむ気配をみせないのだった。とりあえず、クラッシュパッドからカートを引きずり出したワシは、再スタートを試みるが、エンジンに水でも入ったのだろうかプスンともウンとも言わないのである。左右のタイロッドもグニャグニャに曲がっており、フロントタイヤが「ハ」の字になっているのを確認したワシは、さっさと諦めるのであった。
「これ以上押し掛けをし続けて、後ろから突っ込まれてもつまらん」と本当に諦めのいいワシである。しかし、カートの横でちょこんと座っていると、メカの伊藤ちゃんと原さんが、金網ごしに何か叫んでいるのである。何を言っているのか分からなかったが、彼らもジェスチャーで必死に「もっと押し掛けをしろ!」とやっているのである。しかし、既に戦闘意欲の失ったワシは、大きくバツ印を出して「もうダメだ!」とやってしまうのだった。
このヒートが終わり、伊藤ちゃんと話をすると、どうやらあのまま再スタートをしていれば、たとえ最下位でも8位には入っていたとのこと。それを聞いて、初めてワシは悔しがるのだったが、もう遅いのである。それくらいのサバイバルレースだったのだが、ワシも見事にその中の一人となってしまったのだった。
レースに「たら、れば」はないのだが、もしあのまま走りつづけたら、もしスピンしなければと思うと、本当に情けないのである。ワシの全日本は事実上この予選1ヒート目で終わってしまったのだった。
其の11に続く。
PS:一宮のスリックカート場はとっくになくなってありませんよ。現在は、某大手安売り電化製品屋の「ヤマダ電器」になって・・・あれっ、ひょっとして同業者だったっけ??ブラック魔王さん。ではまた。
ブラック魔王 さん (poripu@pop12.odn.ne.jp) 2001年 05月 20日 04時 02分 41秒
伝説3
寝ようと思ったが思い出したことがある!
国道22号線の一宮らへんにある(もうないかも)スリックカート場。
行ったことある人いると思うけど,ジナ立ち入り禁止になった事あるの知ってる?
あれは確かクリスマス会かなんかの後で、堀井氏のもと15人くらいで
押しかけて,レース?したんやけど。
くじ引きで対戦順を決めてブロック別で3ブロックに分かれてやったんやけど,
くじひいたら堀井氏のいるブロック。いや〜〜ナ予感がと思ったら目を離したすきに
マシンを選らんどる!!そして誰にも選ばさせようとしてない!!近寄れない。
そうして一番ハンドリングがいいと噂のマシンにもう乗り込んでいる!
そしてスタートしたのだが、何と!全身を使っての、こぎこぎこぎまくりスタートを
してる!あれほど激しいこぎは本レースでも見たことナイ(他選手でも)
それを見てみんなもこぎまくり!どうみても普通じゃない状態に,遊びにきていた一般のカップルらも
最初はわらって見ようとしてたが、そのこぎを見た瞬間、目が点になって2週目には
いなかった。
すざましいのは、こぎだけではなかった。
こんどは全日本顔まけ、原君も”そこまではできんわ〜〜”たけマンも”見たことナイ”
といわんばかりのこれまた全身を使ってのコーナリング!
とくにスリックカートはコーナーのかなり手前からハンドルきってくんだけど、
もうそのハンドルをきるとこらへんから体がアウトがわに押し寄せとる!
そしてそのままコーナーも体がカートのアウトがわにもうでてしまっている位にグリップさせようとしてる!
もちろんそれ見てみんなもあほみたいに体を使い出した。
中盤さしかかるところまで堀井氏はこぎこぎダッシュスタートと、全身を替え間なく有効に使ったコーナリングで
トップをキープしようとしていたのだが,みんなが堀井氏をキープさせるわけがない!2番手3番手が(誰だったか?)
ブラック魔王と化した〜〜〜!!2番手が堀井氏にインから突っ込み、3番手がオカマ掘る!
さすがの堀井氏もあわててこぎを再開するが、一度失速すると大変。こんなブラックフラッグもんのバトル?が
かなり続き、ちょっと混乱状態になっていた。そのすきに4番手だった(6台参加)わたしはうまくトップに立ちその
ままゴール!!!がははははは!!
だがそのとき混乱もしてたせいで誰が勝ったのかわからない状態になってたらしく、なんでか知らんけど
堀井氏が ”俺が勝った”と叫び出した。もちろん私ですよと言ったが、真剣な顔で ”おれや”と言われ
ジナローンの事を考えてだまってそのままにしておきました。
一発めのレースですざましい展開を見せ付けられた2ブロック、3ブロックのレースが
いっそうすざましい発展をしていったのはみなさんも想像つくでしょう。
そうしてうっぷん?がはれたみんなはスリックカート場を後にしたのだが、帰るとき
お店の方に ”頼みますからもう乗らないでください”とお墨をもらいました。
だが、それだけでは終わらないのがジナだった!
もう寝る。。
ブラック魔王 さん (poripu@pop12.odn.ne.jp) 2001年 05月 20日 03時 14分 10秒
伝説2〜
まだ眠くないのでもう少し書き込み!
予選2はもちろん後ろのほうからのスタート!ところが
マシンがすばらしい動き!!!路面が乾いてきたこともあるが
今までにないGoodセット!スポンサー兼メカの方がスタート寸前に
カミカゼセッティグ ”ツーベア”にしたのがドンぴしゃり当たった!
もともとつま恋1コーナー、三重1コーナー、レインボー1コーナー
など左回りアクセル全開系ヴィジュアル系コーナーが得意な私は、
本当に不死鳥のように1コーナーのインを奪っていったのである。
10台以上抜き、これなら生きて帰っても怒られんやろと思ったが
予選1がリタイヤになっている以上予選落ちの間違えはない。
そのまま私はピットに戻らず、つま恋の山奥へ行き、老猫のように
誰にも悟られずに自らを屍化しに行きました。
PS,たけたろうさんへ
ダイエットできたか〜〜〜〜!
PS,ぴょんこさんへ
男あつらえたか〜〜〜〜!
ブラック魔王 さん (poripu@pop12.odn.ne.jp) 2001年 05月 20日 02時 48分 59秒
伝説2
それはつま恋の全日本に初めて出場したときやったが、コースを歩いていると、
とんでもないぶあつさのタイヤゴムがコーナーの上とかにこびりついていて、
面しろ半分にその上を歩いてたら、次の瞬間に靴下で地面を感じたので”あっ!!”
っと見ると靴底がとれてしもうていた!!!瞬間、コース上にとり残された靴底!!
当時、ジナローンに犯され、Poor人生のどん底で靴もどん底だったため、
靴ごととれるはずが底だけぬけてしもうたのである!とんでもはずかしい!
誰にも見つからないように靴に足を入れ直し、しゃがんだ姿勢で両手で靴を持ち、
接着材をはがすかのように靴をはがして取ったのだが、歩くに歩けず、引きずってピット
までたどりつき、ガムテープで固定した。
全日本とかのハイグリップタイヤのゴムはすざましく、当時何度もカートがコーナーで
立ったもんです。
初全日本のタイトラの順番は何と3番手!(だったと思う)朝からセミウエットで、ゼッケンの
下が最初になってしもうた。 後半がドライになっていくのが目に見えてわかったので、
半分諦め気分で緊張もなくタイトラを終えると、堀井さんが、”出来すぎや〜〜”って言うので
??と思ったけど、まっいいかと思いなおし、結果を見るとやっぱり後ろのほう!
何ができすぎや〜〜と思ったけど、その状況の中初めての全日本のタイトラとしてはよかったと
言うことかなと思いなおした。
だが当時の全日本は競争率がこれまたMostHARDESTで、参加台数の3分の1が決勝に残れる状況でした。
SLレースの10倍以上の費用がかかって(変態)、SLレースの10倍以上体がえらくて(変質者)、変なことやると
怒られる!(SM的)な世界でした。
それでもって予選落ち!!!なんてしたときは!(あほ)
気合を入れなおして予選にいどもうとしたのだが、またウェットになってきた!全車ドライタイヤのまま
スタート!3週目に速攻でスピン、かぶりでリタイヤ!!おまけに濡れた芝生に足を取られ、押し駆けしていた自分も
スピンしてしまい、息ついて自分もリタイヤしてしもうたのである。
ひじょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜に、後ろめたい気分でピットへ行くと、予選2は”死ぬ気で行け!”とスポンサー兼メカの方が言う。
まさに”モウ、オマエノカエルトコロハナイ。”状態。堀井氏も沈黙状態でひげも動かず。まさに”ジブンノクソハ、
ジブンデシマツシロ”といわんばかり。
カミカゼ特攻隊状態で死んでこい!生きて帰ってくるな!状態で予選2が始まった。。。。。
たけたろう さん 2001年 05月 18日 15時 32分 38秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 110」
たった一度の全日本選手権 其の9
予選が近づくにつれ、雨脚は弱まるどころか強くなっていきます。ICAの予選をみていても、かなりのドライバーがコースアウトやらスピン、クラッシュと大荒れであります。ワシはFAクラスのB組で戦うこととなりました。ダミーグリッドに並び、清井ちゃんの猛烈な追い上げのA組の予選を見ながら思った。「よーし。ワシもいっちょう清井ちゃんみたく追い上げたるでーーっ!!」
しかし、とりあえずローリングが始まったのだったが、このときものすごい雨脚で、ワシのような後続ドライバーは、まったく前が見えずローリングになかなか付いていけないのである。普段の雨のレースのときは、周りの景色を見ながら走るものなのだが、このときばかりは、横を向いても自分のフロントタイヤの巻き上げる水で見えないのである。おまけに、この日メカの伊藤ちゃんが気を使ってくれて貸してくれた「ターボバイザー」というものが、ワシの視界をさえぎったのである。ワシはターボバイザーをこの日初めて使ったのだが、ヘルメットとバイザーの隙間から細かい水滴が顔にかかるのである。メガネがトレードマークのワシは、この細かい水滴がメガネに付着し、よけいに視界が悪くなるのであった。そのターボバイザーもガムテープでコテコテに固定されていたので、もうなんともならないのである。
そんなことをしているうちに、レースが始まったみたいである(前がまったく見えないので日章旗が振られていたのかどうかは不明である)。ワシは激しい水しぶきの中「だいたいここらへんやろう」と勘で1コーナーに侵入した瞬間「ドシャッ!!」とにぶい衝撃とともに、体が前方につんのめりました。よく見ると、そこにはスピンして止まっていたカートの横っ腹に、ワシがノーブレーキで突っ込んでいたのでした。「どっひぃえーーっ!!」とワシは懸命に押しがけをし、なんとかエンジンがかかったので再スタートします。こうなると、もうわけがわからなくなります。単独走行となったワシは必死にペースを上げようとするのだが、この雨ではストレートでさえも全開で行けない(だって、ストレートで全開にするとハイドロでホイールスピンしてしまい、真っ直ぐ走れないんやもん)のである。
4周目に入っただろうか。ワシはじょじょに落ち着き「よーし。これからいったるでー!」と少しがんばって1コーナーに入っていったのでした。
其の10に続く。
PS:んーーーっ!!さすが清井ちゃん。「ルーキーだからアピールしてやれ」とは。そういう心構えのある人が速いんやねきっと・・・。ワシみたいな小心者には、なかなか考えれないことである。だいたいワシがスタート前に思っとることは「前が潰れたらいいのにー」とか「前が潰れてもワシを巻き込まんといてや」とかそういうことです。ワシの名誉のためにひとつ言っておくが、こんなワシでもたまにキレると速いよーーー。
しかし、ワシのこの連載にもたびたび出てくるけど、ウィリーの寺井さんは清井ちゃんにもちょっかい出しとったんとちゃう?犠牲者はワシだけではなかったんだーーーっ!!ではまた。
元全日本ドライバー さん (kiyoi@mth.biglobe.ne.jp) 2001年 05月 17日 20時 53分 36秒
たけたろうさんの109について。
確かにあの時、タイムトライアルは55位でした…。
でもアレには、訳があって。
公式練習で確か、C組のトップか2番手だったと思います。
「瑞浪」ということだけで、ナゼか上位入賞できそうな予感はしていました。
練習後自分なりに決めたことは「ルーキーだからアピールしてやれ!」って事です。
そのためには「あの1コーナーを全開でハンドル操作だけで抜ける」というものです。
タイトラで待っているときも近くに北陸の寺井さんがいて「絶対1コーナー全開でイッたるから」
って自分自身に気合いれていました。
で結果…1コーナーのアウト側がこんなに狭かったっけ?と感じるほど、瞬く間にクラッシュパッドに…
ステアリングポストもグニャって曲がってしまったのを、松原さんの怒りの木ハンマーでとりあえず直して
予選に向かうのである。「失うものはない」と。
もう一つ、知る人ぞ知る秘密を話しましょう。
この全日本FAが全日本カートデビュー戦ではなかったのです。(この年デビューレースだったことは間違いありません)
実は…
たけたろう さん 2001年 05月 17日 15時 49分 20秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 109」
たった一度の全日本選手権 其の8
さて、いよいよタイムトライアルのお時間がやってきました。ワシの出番はかなり後のほうだったので、のんびり構えていると、なんとなく雨脚が強くなってきたような感じが・・・。いてもたってもいられず、1コーナーのところに見学に行くと、そこはスピンして、コースアウトして、クラッシュパッドに突き刺さってドロドロになったカートの山がウジャウジャいます。とにかく瑞浪は水はけの悪いコースで、ストレートを走ってくるカートが水に乗って振られたと思ったら、1コーナーでフィギヤスケートの伊藤みどり(古い?)のようにクルクルスピンしたと思った瞬間、その前にコースアウトしていたカートに「ドッシャーン!!」と木っ端みじんに砕きに行くシーンを目の当たりにすると、チビッてしまうのである。しかも、ワシの出番があとわずかという時にも、どんどん雨脚が強くなっていくのである。
ワシに前の組には、清井ちゃんがタイムアタックしていたのだが、見るからにつらそうなのである。自分の巻き上げた水煙で見えなくなるほどの、コースコンディションであった。ワシは決めた。「スピンして止まるぐらいやったら、安全運転で行こう」と。そして、ワシはタイムアタックのためコースインするのである。そこは、コースではなく『水溜り』であった。自分のフロントタイヤで巻き上げた水で、前が見えないのである。ブレーキも全然効かないし、何がなんだかわけがわからないのだった。スピンの恐いワシは、1コーナーでフルブレーキするほどの、超セーフティードライビングでなんとかタイムトライアルを無事に終了するのだった。
「コースに止まっとるやつより前やで、とりあえずいいか」なーんて思いながら結果を見ると、ワシの順位は本当に、スピンしてコースに止まってしまった連中の前であった。要するにまともに走った連中の中では、限りなくベベッチョ(最下位)に近いタイムだったのである。もっとショッキングだったのは、トップよりも5秒以上遅かったことである。しかし、唯一救われたには、清井ちゃんもワシとほとんど変わらない順位だったことであった。
其の9に続く。
PS1:清井ちゃんも、フォーミュラートヨタ参戦のためにがんばっていますね。このご時世なかなかスポンサーは見つからないと思うけど、陰ながら応援するのでこれからも「たけたろうの楽しいジナレーシング」読んでねウフ。
PS2:ねーぴゃんへ!!ワシはまだ若いけん。ちょっと前のことなら覚えとるよー!それとも、あまりにもワシの人生のなかでレーシングカート活動が劇的な出来事なのかもしれんが・・・。それにしても、ほとんど日刊の「たけたろうの楽しいジナレーシング」を毎回読まんとは何事であるか!!ワシもまだまだがんばって書くけん。ちゃんと読んでねウフ。ではまた。
ぴょんこ さん 2001年 05月 16日 23時 59分 05秒
久しぶりに登場します。
ほとんど毎日チェックは入れてるんですが・・・。
それにしても「たけたろう氏の楽しいジナレーシング」は、知らぬ間に、というか読まぬ間に(ごめん!)はや108回なんですねぇ。ほんと、本でも出せそうな勢いです。
しかし、よくもまぁ過去のことをこと細かく覚えているもんです。私なんて、きのうのことさえ、おぼろげなのに・・・。
その記憶力はなにかの訓練なの?それとも好きなことだから覚えてるの?それにしてもねぇ・・・。
どちらにしても感心するばかりです。
まぁ、また今度休みの日にでもさかのぼって読むけん、これからも連載記録をのばしてほしいよん。
元全日本ドライバー さん (kiyoi@mth.biglobe.ne.jp) 2001年 05月 16日 23時 31分 21秒
たけたろうさん頑張ってますね!
私は先日、豊田→山梨→清水に行き、フォーミュラートヨタの話してきましたよ。
あと細かい煮詰めして決めれると思います。
現在スポンサー活動もしていて、現在名古屋の眼科に打診しています。
私は近視なのですが、今流行レーシックの手術を受けようかどうか考えています。
とりあえず適正検査を23日に受けてからですがね。
たった一度の全日本選手権のその後楽しみにしています。
元全日本ドライバー さん (kiyoi@mth.biglobe.ne.jp) 2001年 05月 16日 23時 31分 11秒
たけたろうさん頑張ってますね!
私は先日、豊田→山梨→清水に行き、フォーミュラートヨタの話してきましたよ。
あと細かい煮詰めして決めれると思います。
現在スポンサー活動もしていて、現在名古屋の眼科に打診しています。
私は近視なのですが、今流行レーシックの手術を受けようかどうか考えています。
とりあえず適正検査を23日に受けてからですがね。
たった一度の全日本選手権のその後楽しみにしています。
たけたろう さん 2001年 05月 16日 15時 15分 54秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 108」
たった一度の全日本選手権 其の7
さて、いよいよ公式練習の始まりであります。予想通り天候は雨であります。それも、生半端な雨とはちがって、どしゃぶりなのであります。この日のブリヂストンの持ちこんだレインタイヤは、清井ちゃん情報によると、なかなか皮がむけないとのこと。実際タイヤの表面をさわってみると、市販のレインタイヤよりもいくぶんコンパウンドが固めであります。清井ちゃんのように、前日に皮むきが出来ているドライバーはいいとしても、前代未聞の全日本当日入りのワシは、公式練習中に皮むきを完了しとかなければいかず、いきなりのプレッシャーなのであります。
いざ、公式練習が始まってみると、やはりなかなかタイヤの皮がむけないのか、それともタイヤが発熱しないのか、はたまたレインセッティングがまったく出来ていないのかは知らんが、まったくもって不調のワシであります。おまけに、あこがれの全日本に自分が出ていることを思うと、舞い上がってしまいまともに走れないのであった。しまいには、あまりの大雨に足をすくわれてスピンして公式練習を終えるというありさまである。
この日、ワシのエントリーした『FA』クラスは、ワシのようなスポット参戦組が多く、70台以上の台数が集まるという大盛況であった(今の全日本ではとうてい考えられない台数である)。公式練習のタイムが張り出された掲示板を見に行くと、ワシのタイムはかぎりなくドベッチョに近いタイムなのである(当たり前だが)。おまけに、このどしゃぶりの雨模様では、タイムトライアルの出走順で運不運が分かれるのである。ワシのタイムトライアルの出走順は、かなり後のほうだったので、できれば雨の少ないときに走りたいと願うのだったのだが、ワシのような前代未聞の全日本当日入り野郎には、世の中そんなにうまくいかないのであった。
其の8に続く。ではまた。
2000 さん 2001年 05月 15日 15時 03分 14秒
トヨタの車屋さんを諦めたんですけどね。それに、快挙ではないですよ。過去に上場企業に就職した先輩たくさんいるでしょうから。
KILT さん 2001年 05月 15日 12時 42分 07秒
2000さん
最終面接 受かると いいね。
ここに受かると、朝日大の快挙(東証上場企業)らしいじゃないですか!
ちなみに、ある会社とは (有)ホリイ だそうで?
2000 さん 2001年 05月 15日 11時 59分 02秒
今日はドキドキしてます。今日中に昨日最終面接を受けてきた会社から合否の返事がくるからです。ただ、今のところきていないんです。やばいです。ここで落ちたらまた就職活動白紙になっちゃいます。この会社のためにある会社を諦めたんですから。ああああああっつ頼むから返事着てくれーーーーー!!!!!!!!
たけたろう さん 2001年 05月 14日 15時 26分 17秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 107」
たった一度の全日本選手権 其の6
前代未聞の全日本当日入りが決まってからのワシは、とりあえずまじめに働き、頭の中で懸命にイメージトレーニングをする日々が続くのだった(ワシのイメージトレーニングでは、いつもぶっちぎりの独走で優勝するのである)。レースウィークに入ってから、原さんにエンジンのナラシをしてもらうのだが、その時の情報では既に全日本に出場する連中が、たっぷりと走り込んでいると聞いて、ワシはいてもたってもいられないのであった。
レース前日の夜のことである。ワシはなんとか仕事を終わらせ、メカをやってくれる伊藤ちゃんと原さんとともに、作戦会議をするのだった。その作戦とは、レース当日入りはワシしかいないだろうから、恥ずかしいのでとにかく朝一番にコースに入るということであった(作戦でもなんでもないのだが・・・)。しかも、この日は朝から一日中雨が降り続き、翌レース当日の天気予報も一日雨ときたのである。ワシは雨だったら何とかなるかもしれんと思っていたのだったが、やはり前日入りというハンデキャップはなかなか埋まらないものだと、次の日に思い知らされるのであった。
いよいよ、全日本の開幕戦の朝がやってきました。ワシとメカの伊藤ちゃんと原さんは、5時にはコースに到着し、まだ締まっている門からせっせと荷物を運び込むのであった。そして、何食わぬ顔をして準備をするのである。しかし、6時を過ぎ他の連中が、ゾロゾロとやって来たのだが、なんとなくいやーな視線を浴び続けるのであった。「こいつら、昨日いたっけ?」という感じで、ワシらのテントをジロジロ覗くのである。まあ、ワシの知らない関西以西の連中はいいとしても、顔見知りの中部地区の連中からは、会うたんびにこう言われるのである。「なにーー!!当日入りなのーー??」とか「なめとるんとちゃう??」ごもっともな意見であります。とどめは、トイレでバッタリ会ってしまったブリヂストンのえらい様に一言。「あれーっ。昨日いなかったような気がするんだけど?」
くっそーーっ!!ワシだって昨日走りたかったんじゃーー!!でもワシは仕事を取ったんじゃー!!文句ある??
其の7に続く。ではまた。
ブラック魔王 さん (poripu@pop12.odn.ne.jp) 2001年 05月 12日 22時 15分 22秒
魔王の伝説 1
”たけたろう は 私にとって....."
シリーズ106を迎えた たけたろうのたのしいジナレーシングの
ほとんどを知っている私。たけたろうは私にとって、レースでは
最悪の(^^)ライバルでした。シリーズ106の全ては読んで
いないので重複するかもしれないけれども、魔王もたけたろうと共に
苦労を重ねてきたひとりです。どこでどうライバルなのかは、伝説内で
時折出てくることでしょう。
(注意 ひげの生えたブラック魔王とは違います。)
たけたろう さん 2001年 05月 12日 15時 43分 08秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 106」
たった一度の全日本選手権 其の5
年が明けて1995年である。ワシはあいかわらずの絶好調ぶりを発揮し、出るレースほとんどでトップ争いをするのである。4月には、瑞浪で全日本の開幕戦に出場することも決まっており、一人で盛り上がるのだった。ハイグリップタイヤでのテストでは、コンスタントに44秒台を連発し「これはいけるっ!!」と自分でも思っていたのだが、とんでもない落とし穴が待っていようとは夢にも思わないワシであった。
この年のワシは、仕事が非常に忙しく、思っていた日になかなか走れない状態が続くのだった。みなさんもご存知の通り、ワシは岐阜の中央卸売市場で、スーパーや八百屋さんなどの小売業者に果物を販売する仲卸をやっているのである。当時、ワシは『ユーストア 岐南店』というスーパーの担当だったのだが、あろうことか全日本の開催される週に、この店の「周年記念祭」という売りだしが企画されていたのである。無論担当のワシは、お手伝いに行かなくてはいけなくなったのである。だいたい、この手の売りだし期間中は、われわれ仲卸業者が金曜日から日曜日の朝から晩まで、手伝いに行かなければならず、ワシは困り果てるのであった。勿論代わりの人間を探したのだったが、我社のような中小企業の小企業では、人件費削減のためギリギリの人間しかいなかったのであった。
予定では、水曜日にエンジンのナラシをし、金曜日の昼からコース入りするはずだったのだが、すべてパーである。しかし、責任感の強いワシは、どうしても会社を休むことが出来なかったのである。もしも、ワシが一般的な雇われ労働者だったら、簡単に休むことが出来ただろうけど、ワシの勤めている会社は自分の家だから、なおさら休みにくいのであった。
それでもワシは、なんとか日曜日だけ休みが取れたのである。しかし、前代未聞の全日本選手権当日入りが、事実上決定してしまったのであった。ああ・・・。長い全日本選手権の歴史の中で、当日入りした人間はいったい何人いただろうか。ワシが、この全日本に参戦することが決まってから、もっとも恐れていたことが現実になってしまったのである。
其の6に続く。ではまた。
とーま さん 2001年 05月 11日 23時 24分 34秒
なんかしらんけど
古川君の暴露板が近々出されるとの噂
現在筆者は執筆中とのこと
公開間近!
こうご期待
なんか話が大きくなるような!
たのんまっせ
おじさんかーたーの○○さん
とーま さん 2001年 05月 11日 23時 24分 26秒
なんかしらんけど
古川君の暴露板が近々出されるとの噂
現在筆者は執筆中とのこと
公開間近!
こうご期待
なんか話が大きくなるような!
たのんまっせ
おじさんかーたーの○○さん
カイトッチ さん 2001年 05月 11日 22時 35分 04秒
2000へ昇格おめでとうございます。でも、もしかして、来年廃部?昇格した分悔しさ倍増です。何とか今からでも勧誘がんばらないと。そういえば、2000が就職活動で勧誘できなかったのかな?後は早く就職きめて、カート頑張ろうぜ。
2000 さん 2001年 05月 11日 21時 33分 48秒
祝!アサヒカートクラブ同好会、体育部に昇格!!
新部名はASAHI UNIV.RACING TEAMです。
部費は約10万ぐらいだそうです(それより少ない可能性もある)。
ただ、今年の新入部員が現在ゼロなんですが。
でもまずはめでたいめでたいということで。
このまま僕も就職決まれば大万歳なんですけどね。
たけたろう さん 2001年 05月 11日 16時 04分 49秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 105」
たった一度の全日本選手権 其の4
スタート直後の混乱のも巻き込まれることなく、31番手からスタートしたワシは少し順位を上げて1周目を回ってきた。そこからは、まさにワシの独壇場となるのである。2周目以降、ワシは1周につき2,3台ものマシンを、ちぎっては投げ、ちぎっては投げつづけるのだった。はっきり言って、ワシの前を走っている連中は遅すぎるのである。いや、逆に言うとワシが速すぎるのであった。まったく、異次元の速さを見せ付けるワシは、面白いように簡単にオーバーテイクできたのである。どこの、どのコーナーでも前に出られるワシは、あっという間に6番手にまで、浮上するのであった。
しかし、ワシの驚異的追い上げもここまでだった。あろうことか、予選でワシを撃墜したカートが、タコツボの侵入で突然タイヤのビートが落ちてスピンし、ワシはそれを避けきれずクラッシュパッドに張り付きレースを終えるのであった。「うーん。残念」と意外にもワシはサバサバしていた。それもそうでしょう。こんなに、自力でカートを抜いたレースは初めてであったからである。こんなに、気持ちのいいレースもなかなか出来ないと自分でも納得していたのだった。
ちなみに、このレースで優勝したのは、清井ちゃんだったのだが、レース中のファーステストラップは、2位に入った後の全日本チャンピオンで、今年からドイツでF3をやっている松浦孝亮選手の45秒1である。2番手のタイム45秒2をたたき出したのは・・・、ムッフッフッフッフッひかえおろーこのワシであったのである(出たーーーっ!!久し振りの自慢話!!)。
この日、レースの一部始終を見ていた、ブリヂストンのえらい様が、おっさんにこう言ったのである。「おたくの子、来年全日本に出るんだったらサポートしますよ」と。翌95年の全日本の西地域の開幕戦は、瑞浪で開催されることが既に決定していたのである。そんなことを、タイヤメーカーに言わせたワシは、全日本に出ざるをえんでしょう。こうして、ワシの全日本参戦が決まったのであった。
其の5に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 05月 10日 19時 22分 54秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 104」
たった一度の全日本選手権 其の3
予選16番手のワシは、スタートして間もなくトップ集団に追いついたのである。ワシは人差し指で「1,2,3,4、・・・」と順位を数えると、既に6番手に浮上していたのである。このときトップを走っていたのが「チーム たくみ」の清井ちゃんで、思っていたよりペースが上がらず、7,8台ものダンゴ状態となっていたのである。ワシは、ブリヂストンのハイグリップタイヤの特性にも慣れ、もっと順位を上げることが出来たのだったが、まだ予選ということもあってか、とりあえず様子を見ることにするのだった。ところが、残り周回もわずかとなったとき、5コーナーのヘアピン入り口で、後続のカートに撃墜されてしまうのである。「バッカヤローーー!!!」このときのワシの怒りは異常で、次の周にワシを無礼にも撃墜したカートに向かって、飛び蹴りを見舞うのである(この瞬間をあるカメラマンに撮られてしまい、恥ずかしい思いをしたワシである)。
リアのホイールが割れ、パンクしたカートを見つめながら、ワシの闘志に火をつけるのだった。しかし、リタイヤに終わった予選ヒートだったが、手応え十分で自信満々である。セッティングは完璧。エンジンも完璧。タイヤも完璧。あとはドライバーの腕だけだが、気合の入ったワシは手をつけられないのであった。決勝はなんと31番手スタートだったのだが、なぜか知らん不安がないのである。逆に言えば、どれだけのカートを抜けるかワクワクしていたのである。
そして、運命のスタートが切られるのである。
其の4に続く。ではまた。
フルティー さん 2001年 05月 10日 09時 05分 37秒
おはようございますフルティーです。
たけたろう先生、名前を間違えるなんて失礼
しました。すいませんでした。
ゆうひこ さん 2001年 05月 09日 23時 00分 20秒
「高山 古田家の旅」
高山の朝はとっても 気持ち良く快適なだったよ。
フルティの家の裏には、5月にもかかわず雪があって、雪を見て雪合戦をしている人(サンリィ)なんかいたりして。
そう言えば昨日の夜ストーブ付いてたなぁー
散歩をしていたら犬が吠えていたので、熊でも出たのかなと思い見ていると鹿がたっていてビックリ その後パターゴルフをして帰ったんだけど、古田くんが途中まで見送って、その理由が電池を買うため(コンビニがないため3〜40分わかかる)。たいへんだね。
帰りがまた大変で、郡上八幡の手前で渋滞にはまり暗くなってきた所で、重大トラブルが発生 ライトを付けようとしたらライトが付かなくて前の車に必死について行ったんだ 車が止まるとサンリィとヤーノがライトにかけ走り数発たたくとピカピカ ピカと付くと、明るくて明るくてもう怖いものなし でも渋滞が響いて8時のミーティングには間に合いそうにもないので車の中でミーティングしなかな?
PS けんぞう君電話なかつた 6日は50パイ合同テストもあったのもしらなかつた?
たけたろう さん 2001年 05月 09日 19時 39分 36秒
ジナレーシングの高山支店長のフルーティー古田くん。
ワシは「たけたろ」じゃなく「たけたろう」である。
そこんとこヨ・ロ・シ・ク!!
でも「たけたろ」も愛嬌があっていいなーあ。改名しようかな?
フルティー さん 2001年 05月 09日 19時 00分 15秒
こんにちは、飛騨の山奥に住んでいるフルティー(古田)ともうします。
みなさんゴールデンウィークはどのように過ごされました?練習しに行た人、レースに出た人、どこ
か遊びに行った人いろいろだと思います。僕はというと連休は毎年の行事の春祭り(高山祭りとは違
います)がおこなわれるため、その準備やあとかたつけにおわれるていたのであります。毎年3、4
日に祭りがおこなわれるということで休みを利用して、親戚の方やよそに住んでいる兄弟や同級生な
どが里帰り(山奥のため過疎化が進んでいます)してきて雪深い山奥にも春がやって来たという気分
になります。それで、僕がカートを始めてからこの伝統行事(祭り)にジナの人たちを呼んだことが
なかったなーと思ったのであります。そこで、クラブ長の三田さんに話をもちかけたところ、4日、
5日と萩平さん、矢野さん、日下部さん、三田さんが来てくれました。上村さん夫婦とお小ちゃまた
ちも高山の近くまでドライブで来てたそうなんですが、お小ちゃまたちが泣き出したので高山に着く
まえに帰ったそうです。ざんねん。また夜には、高山支部の長屋さん夫婦も来てくれましておおいに
もりあがり、楽しい休日を過ごさせてもらいました。ありがとうございました。
どんなことがあったかは、萩平さんが書いてくれてますし。来てくださった方ありのまま、おもし
ろおかしくカキコしてください。ぼくも書き込みをしたいと思います
ケンゾーさん連絡がいってなくてごめん、ゆるして!来年もありますんで。あと、たけたろ先生の
熱い走りを見れなくてざんれんでした。
萩平さんへ、僕はサウジにだけ住んでいたのです。訂正させてもらいます。
ゆうひこ さん 2001年 05月 09日 01時 25分 02秒
また文字化けしているよ。
写真を見ると 砂漠の向こうにテントが写ってたり、海の向こうに油田の煙突が写ってたり、コブラにフォミラーカー ひげのおじさんと写っている写真とかものすこいよ。
サウジにスイス タイにイギリスに住んでたらしいい。
ごめんなさい。
けんぞー さん 2001年 05月 09日 01時 14分 46秒
どーも、はじめましてけんぞーです。
僕のゴールデンウィークはこれといった予定もなくて、オフィシャルやって、カート掃除して、メカ(?)でコースについていって・・・休みの半分はカートがらみでしたね。
たけたろう先生、GWのレースお疲れ様でした。公式予選の作戦はさすがでしたね!やっぱ大御所は違います、練習量の差をアタマ使ってカバーしますからね。 若手のみなさん、こういう所を盗みましょう。って僕も十分若手(のハズ)なんですけど・・・。
それよりクラブ長!高山支部長!僕、そのイベントに誘われてないんですけど・・・これどういう事? 君らそういう人か、あーぁいい人やった・・・。
ゆうひこ さん 2001年 05月 09日 00時 46分 50秒
「高山 古田家の旅」
そもそも、僕達4人が古田邸に行ったには、目的があった訳で、荒原地区(古田家)の祭りで伝統芸能の踊りを見に行った事だった。
自転車に乗り込み坂道を一気に駆け下りた(かなり気持ち良かった)。
神社に着くと獅子舞い踊り福娘をいじめていて、天狗のお面をかぶった金蔵(フルティー・主役)が助けるといった話で15〜20は踊ったかな、かなり面白かったけど、練習は週3回 もっときついのは反省会らしい(飲み会)。
その後 風呂に入りに行き男5人が露天風呂でみんなに話せないぐらいの話でもりあがつた。
古田君の家に飯を食べたのですが 親戚の人が来ていてフルティの昔の話が出てくるは出てくるは 彼は人生の半分は外国暮らしていたらしい びっくり 写真を見るまでは半信半疑だったんだけど写真を見るとず叔_慮・海Δ縫謄鵐箸里△觴命燭箸・・い慮・海Δ北・弔留貽佑・△觴命拭▲灰屮蕕縫侫・潺蕁璽・次_・靴い劼欧里・犬気鵑醗貊錣忙・辰深命燭箸・・い辰僂ぁ.汽Ε犬縫好ぅ后.織い縫ぅ・螢垢暴擦鵑任燭蕕靴ぁ」
あ、イギリスで思いついた イギリスの何ていうゴルフ場だったのか18番ホールに小さな石橋のあるゴルフ場でクラブを持ったいた写真 これてものすごいよね。これからはフルティの見る目が変わるヨ。
たけたろう さん 2001年 05月 08日 15時 10分 35秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 103」
たった一度の全日本選手権 其の2
さてレース当日の朝、ワシはブリヂストンのトランスポーターに出向き、新品のハイグリップタイヤを受け取るのだった。ワシは「朝から余計な仕事させやがってーー!」とせっせとタイヤを組替えていると、同じブリヂストンを使う「チーム たくみ」の清井ちゃんがやってきたのでした。清井ちゃんは、ワシのタイヤをまじまじと見つめながらこう言った。「うーーん。いいタイヤもらったねーー」ワシは清井ちゃんが、どこをどう見てそんなことを言ったかは知らんが、気分が悪いわけではなかった。「おおっ!清井ちゃんの言うことが本当やったら、今日はいいレースが出来そうやけん」そう思いながら「やっぱり、天下のブリヂストンも新規のお客さんには、いきなりスペシャルタイヤを出してきたかもしれんなあ」と気合が入るのだった。
公式練習、タイムトライアルとレースは進んだのだったが、いかんせん初めて使うブリヂストンタイヤの特性に苦しみ、ワシは少々出遅れるのだった。この日の「FA」クラスは、フルグリッドの34台ものエントリーを集め、メインの「PSーPCR全国チャンピオン大会」をもしのぐ盛り上がりを見せていたのだった。ワシはせっかくいいタイヤをもらいながら、予選ヒートは16番手スタートだったのである。しかし、この予選ヒートからワシの猛攻が始まるのであった。
其の3に続く。ではまた。
ゆうひこ さん 2001年 05月 07日 23時 42分 53秒
文字化けしてるみたい.
みなさんは、ゴールデンウィークどのように過ごしましたか?
でした。
ゆうひこ さん 2001年 05月 07日 23時 34分 19秒
あぁー、疲れました
みなさんはぅ粥璽襯妊鵐Ε・璽・鬚匹里茲Δ鵬瓩瓦靴泙靴燭・ΑΑΑ 。
私は、ジナR高山支部長、古田裕司・(フルティー)邸に倶楽部長・三田幸二(サンリィー)名古屋支部長・矢野幸宏(ヤーノ)イベントカーター・日下部大祐(ダイチャン)私、滋賀支部・(ゆうひこ)の4人で一泊二日の旅に出かけました。
5月4日 朝七時に待ち合わせヤーノが20分の遅刻 ヒゲずらの、むさくるしい顔をしていた。
サンリィーの愛車ハイエース号に乗り込み出発 朝のコーヒーを飲みながら楽しい旅が 「本当かな」・・・
21号〜22号 関〜金山41号え 後は高山まで一本道 金山から30分ほど走ったら双子のパパ上村君から電話がかかってきた家族で高山方面にドライブに出かけているが子供が愚図つき泣き止まないのでひきかいした。
子供の顔を見たことがない私は ざんねん 今度顔見せてヨ。
下呂を越え高山に入った辺りでフルティーに電話をかけて向かいに来てもらうことにした
僕の家簡単何ですよ、41を右に曲がりゴルフ場の看板を曲がったら一本道なんですよと 一本道にはま違い無いのだが、急な登り坂のうえ180度コーナが10〜20はある ものすごい道 ゴルフ場が無ければ舗装もされてないはず。
ゴルフ場をこえ少し下れば 古田邸がぽっんと 家の前にバス亭があるのだが、停留所の名前が
「 荒原古田前 」 ものすごい。
フルティー家に着くと 犬2ヒキと デブ猫の(サンチェ)がむかえてくれたよ。でもサクラにはまけるかな。 今日は疲れたので風呂に入って寝るよ。
2000 さん 2001年 05月 07日 21時 29分 06秒
今日は大阪へ貝印株式会社の試験に行ってきました。SPI試験とかいう問題がすごく多いマークシート試験と作文書いてきました。SPI試験は数学と国語だったのですが制限時間15分とか20分とかの連続で、それなのに問題がばか多いので数学の半分は鉛筆転がしで解いてきました。通ったら儲けもんです。 伊藤さん、アサヒプリテック最終面接へ通過しました!これで内々定みたいですが、これ通れば内定です。14日に最終面接なんですが頑張ってきます!内定がでたら7月からレース出場開始です!!
たけたろう さん 2001年 05月 07日 15時 26分 51秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 102」
たった一度の全日本選手権 其の1
ワシは、12年間のカート人生で、たった一度だけではあるが全日本選手権に出場したことがあります。そもそも、全日本選手権というのは、ワシのような事実上の『サンデーカーター』(仕事の為土曜日に走れないこと)が出るようなレースではないのだが、やはりレーシングカートをやっていて、地方選もやっていたワシにしてみれば、一回でいいから参加したいレースでもあるのである。もっとも、地方選でもやっとこさ予選通過のレースをやっていたワシが、全日本に出るということは、あまりにも無謀すぎると思われがちだが、なぜに全日本に参加できたかということを、とりあえず説明しておこう。
94年の12月のことであります。この日瑞浪で毎年恒例となりつつあった「PSーPCR全国チャンピオン大会」が開催されました。ワシはこのレースのいわゆる前座の「FA」クラスにエントリーしたのだった。みなさんもご存知の通り、FAクラスはハイグリップタイヤと24パイのキャブレターを使用した「全日本仕様」のクラスであります。このときのワシは、前にも書いたが、ちょうど「ムンクホルムスペシャルフレーム」を手に入れたばかりの頃で、まさに『今が旬』だったのである。エンジンも「ホリイスペシャル」が熟成され、まさに恐いものなしといった状況であった。
このレースに参加することが決まって、ワシの周りはあわただしい動きがあったので説明しておこう。まず、使用するタイヤメーカーがブリヂストンになったことである。この年まで、ジナレーシング唯一の全日本ドライバーだった原さんは、ずーっとダンロップから、タイヤの供給を受けていたので、ワシももちろんダンロップを使うものだと思っていました。しかし、レース直前になっておっさん(久し振りの登場なので説明しよう。おっさんとは堀井氏のことです)が「おいっ。おまえBS使え!」と言います。すでに、原さんのお古のダンロップのハイグリップでテストを終えていたワシにしてみりゃ、思わぬ展開であります。
その頃の全日本は、ダンロップの全盛期で、はっきりいってブリヂストンはいまひとつといったところでした。さすがのブリヂストンもこれではいけないと思ったかどうかは知らんが、レーシングカートタイヤの開発に力を入れようとしたのか、それまでダンロップユーザーだった、ジナレーシングに声をかけてきたのではないかと、勝手に想像するワシであります。まあ、ワシにしてみればむずかしい商売の話は抜きで「使えるものなら、何でもいい」といったところだったので、あっさりとブリヂストンを使うことを承諾するのだった。
其の2につづく。ではまた。
たけたろう さん 2001年 05月 06日 19時 27分 28秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 緊急企画」
たけたろうの「5月5日 ゴールデンウィークシランプリレースレポート」
いやー。出ましたよー。レースに。今年初走りのワシだったのだが、思ったよりまともに『レース』が出来たのでここに緊急レポートするのであります。
ワシのエントリーしたPSーPCRクラスは、全部で23台の参加台数がいました。その中には今年の瑞浪シリーズの上位を争うドライバーや、ワシのようなスポット参戦組。そして遠征軍団とさまざまな顔ぶれでした。天候も上々で熱くもなければ寒くもなく、おまけに風もないという絶好のカートレース日和といったところであります。調べによると、前日の練習走行で47秒台がポンポン出ているという噂がチラホラ・・・。ワシは過去このPSーPCRでは48秒フラットがベストタイムだったので、朝からあきらめモードに突入であります。
さて、公式練習を走ったワシだったのだが、いかんせん今年初めて走る瑞浪。おまけにワシ自身も昨年の12月以来の走行とあっては、走りがバラバラであります。しかしタイムは48秒4と、決して悪くはないタイムで11番手と健闘するのであります。ワシは少しリアのトレッドを広げ、タイヤの空気圧をコンマ5落としてタイムアタックに臨んだのでした。作戦としては、公式練習で47秒台を出した連中に、なんとしても付いていくだけであります。
いよいよ、タイムアタックが始まりました。ワシはいの一番にコースインし、速い連中の後ろにつけます。ワシの前には5,6台の集団が出来、ワシは必死に追いかけるという展開でした。しかし、コーナーではワシの華麗なブレーキングで詰まっていくのだが、ストレートスピードが伸び悩み、2コーナーまでにこんま3,4秒離されるのであります。そんなことを繰りかえすうちに、7分間のタイムアタックが終了したのでした。ワシのタイムは、48秒085と惜しくも47秒台を逃したが、順位は7番手とまずまず。「ストレートで付いて行けたらなーー!!」と悔しがるワシがそこにいたのである。
予選は、A組、B組、C組と3クラスの総当り戦であります。ワシは総合7番手のため、A組の3番手と好位置であります。とりあえず、午前中にAXBの予選ヒートに挑むのである。5番手スタートのワシは「とりあえずキープできたらなー」と消極的な作戦にでるのである。スタートはまずまずの出だしで1周目を終えます。しかし、2周目からは後続集団の猛攻に遭い、どんどん順位を落とすありさまである。まーあ、久々の実戦でワシはレース勘を取り戻すのに苦労するのであった。おまけに、あまりにも路面のコンディションが良過ぎて、ワシの5年落ちヤマハは悲鳴を上げるのであった。特に5コーナーの立ちあがりでパワーが食われてしまい、次のタコツボの侵入でインを差されるという、非常に悪い展開であります。9番手に順位を落としたワシは、なんとかしようと考え込むのであります。
昼休みが終わり、今度はAXCの予選ヒートであります。ここでも5番手スタートのワシは「悪くてもキープ」という作戦であります。スタートし、2周目に入るとワシの目の前の4番手のカートのペースがなかなか上がらないことに気づきます。ワシは「よーし、ここでいっちょう仕掛けたるでー」とピッタリマークしタコツボを立ちあがるのだったが、ここで大きなミステイクを犯すのである。ワシはアウト側の縁石に乗り上げすぎ、ダートに飛び出してしまうのであった。なんとか、コースに復帰したのだったが3,4台一気に抜かれてしまうのである。「オーマイガーーーッ!!!」なんという情けないことか。またもやこのヒートを9番手で終えるのである。
失意のワシは、もうこれ以上望めないと考え、決勝ヒートにむけて大幅なセッティング変更で最後の賭けにでるのである(その内容は企業秘密である)。15番手スタートのワシは「なんとしてもベスト10以内」と積極的な作戦でスタートするのである。しかし、ローリングが終わり、いざスタートという時にあろうことか目の前の13番手の野郎がカブッたのである。「バカモーーーン!!」とワシはイン側からそいつを抜いて加速するのだったが、すでにアウト側の連中にいかれていたのである。それでも、なんとかしようと必死に走るのである。自力で2,3台抜いただろうか、上位連中の脱落もあり目標のベスト10以内、総合9番手でチェッカーを受けるのであった。
まあワシとすれば、今年初めてカートに乗って、おまけに予選の1ヒート目には自身最高の47秒台も出たし、なかなかいいレースだったと思うのである。「これで、普通に練習をして、フレームもいいやつを使えればまだまだワシもいけるなー」と自信を取り戻すワシであった。
PS:ちなみにこのレースに向けて、ワシは3キロの減量に成功したのだったが、夜の焼肉を食いすぎてしまったためか、朝体重計に乗ったら、もう元の体重に戻っていたのである。
今度予定しているレースは7月の芦原の耐久である。みなさんも一緒に芦原の耐久に参加しましょう。ではまた。
たけたろう さん 2001年 05月 04日 14時 26分 57秒
本当のこと言うと、ワシ明日もイチゴの配達があるんやけんど・・・。
特別に休んだったーーー!!
よーし!昨日の晩は飲まず食わずで過ごしたったけん。ちょこっとくらいやせたかナーー??
あーあ。ハラ減った・・・。
KOOL さん 2001年 05月 04日 05時 21分 16秒
たけたろう様いつも楽しく拝見させてもらっています。
明日はレース以外の楽しみがあります。そりはあなた様のお顔を拝見する事です。
これまでそのチャンスに恵まれませんでしたが・・・
これからもガンバッテください。
げっ!もう5時過ぎてるやん!現場行かなきゃ。
まったく毎年の事ながらGWに開市するなョー。
そうは思わないですか?たけたろう様。
たけたろう さん 2001年 05月 03日 08時 43分 38秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 101」
ワシのこだわり 其の6
ワシはスーツやグローブにもささやかなこだわりがある。まずグローブだが、ワシはイタリアの一流メーカー「スパルコ」のグローブを愛用しているのである。これは、手のひらのマメの出来やすいところに厚みがあって、マメ知らずなのだ。手触りもなかなかしっとりしているというか、ハンドルとうまくマッチしているというか握りやすくていいのだ。昔、ワシがビギナーのころに愛用していたバイク用の「ダイネーゼ」のグローブは、新品の下ろしたてのときは、はめごこちはいいのだが、いかんせん皮製でうすいためすぐにマメだらけになり、おまけに汗で次にはめるときにはパリパリになっているのがいまいちだったのである。レースの商品でもらった「コンペティションライセンスA」のグローブも今や雨用となってしまっている。やはり、グローブはドライバーにはかかせないもので、極力自分のドライビングスタイルに合ったものを選びたいものであります。
レーシングスーツも基本的にスパルコ製である。まあ、ワシがカートを始めた12年前は、それまでの皮製のスーツから現在の布製のスーツに主流が切り替わるころだったので、まだまだ国産の値打ちなスーツが出ていなかったので、みんなスパルコを使用していたのである。ワシは3着スパルコを着つづけたのだが、だんだんスーツのデザインも派手になっていき、3着目のグリーンの光沢のあるスーツを着ていたときには「ガチャピンスーツ」とからかわれたものである。しかし、やっかいなことにスーツには期限があり、2,3年使うとレースでは使えなくなるのでワシみたいな貧乏カーターは買い換えなければいけないので困るのだ。仕方なく4着目のスーツは「コンペティションライセンスA」の安いスーツを購入し現在も使っているのだが、スパルコを着ている人を見ると「いいなーあ」と見とれてしまうのである。
続く。
PS:5月5日の「ゴールデンウィークシランプリ??」で今期初参戦するワシだが、いかんせん今年の初走りのため既にあきらめモードに入っています。せめて減量だけはしようとがんばったのだが、昨日体重計に乗ったら75キロもあり、はっきりいってご臨終であります。ではまた。
たけたろう さん 2001年 05月 01日 17時 25分 07秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 100」
ワシのこだわり 其の5
レーシングカートドライバーの顔といえばヘルメットです。ワシはヘルメットにもささやかなこだわりを持っています。ワシが現在使用しているヘルメットは「ショウエイ」製の最新型であります。12年のカート人生で3個目のメットなのだが、いずれもショウエイのメットを使っているのである。なぜ「アライ」製のメットを使わないか?勿論アライのヘルメットは世界に通用するメットなのは承知しているし、デザイン的にもシンプルでカッコいいと個人的には思うのであります。しかし、全日本や4輪のレースで、ドライバーが被っているのはほとんどアライのメットなのが気に入らないのである。もともと、ショウエイを使っていたドライバーも(例えば高木虎之介や本山哲などなど・・・)現在は全員アライユーザーである。まあ、簡単に言えばアライの企業努力でトップドライバーにばらまいているだけのことなのだが、それならこのワシにも1個ぐらい分けてほしいのである。そんなこともあってか、ワシはショウエイ一筋なのであります。
カラーリングもこだわりがあって、自身2個目のメットから現在のデザインで通しているのである。原さん曰く「パンツメット」とからかうのだが、ワシにしてみりゃこんなにカッコイイデザインは他にないと自我自賛するのである。なんてったってデザイナーが、このワシなのだからである。ブルーのラインに濃紺のふちどり。これはワシの人生の師と仰ぐ元祖日本一速い男星野一義さんとツーリングカーレースでおなじみだった星野薫さんのデザインを、たして2でわったワシオリジナルなのであります。最近の若い衆のメットのデザインは、非常にカラフルなのはいいが誰が誰だか分かりずらいのである。こったカラーリングは結構なのだが、あまり複雑なデザインだと誰が走っているか覚えれないのである。ワシみたいに、シンプルかつ分かりやすいデザインのヘルメットはサーキットでおなじみの存在になるのである。
其の6に続く。
PS:昨年の11月8日から始まった「たけたろうの楽しいジナレーシング」も今回で連載100回目を迎えました(番外編と特別企画を含めると108回目)。もともと自慢話の大好きなワシがみなさんの耳の痛くなるような、ワシの自慢話楽しく愉快にを読んでもらおうと、そしてこのジナレーシングのホームページの掲示板を繁栄させようと始めたこの企画。ほとんど、ワシの読み物で埋め尽くされた感がありますが、この企画のおかげで消息不明だった元全日本ドライバーの清井ちゃんらが、カキコしてくれるようになりました。ある情報では、コースに行ったジナの子が、よそのチームの人から「たけたろうさんのいつも読んでるよ」と言ってくれたり、そんなことを耳にするとワシも嬉しくなるのであります。よそのチームのホームページの掲示板を覗いても書きこみ件数がほんのチョロンパなところを見ると、ワシもまだまだ連載がんばらないかんなーと思う今日このごろなのであります。
はーあ・・・。いったいいつまでつづくことやら。ではまた。
たけたろう さん 2001年 04月 30日 19時 06分 03秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 99」
ワシのこだわり 其の4
ある日、柳津町で『色彩堂』という写真屋さんを経営しているジナレーシングのカメラマンドライバー林さんがワシに言います。「わしー(林さんのことね)もうカートあんまり乗らせんでー、杉山君欲しい?」んー・・・。ワシとしては、ショップのことを思うと個人売買というのはあまり良くないことだと考えていたので、少し悩んだのだが「15万でどう?」と言う林さんの一言に「買う!!買うーーっ!!」と即答するのだった。なぜならば、この林さんのフレームというのは、96年型ヤマハの97年仕様で、おまけに彼はこのフレームに3,4回乗っただけという極上品なのであった。
ああ・・・。ワシもとうとうPCRと決別の時がやってきました。しかし、津保川のレースでヤマハの速さをまのあたりにしてからワシは「いつかはヤマハ」と思っていたのである。おっさん曰く「ヤマハはすぐへたるぞ!!」と言っていたのだが、ワシにしてみりゃー「どこのフレームでもへたるもんはへたる!!」である。
それから、早速ワシはこのヤマハフレームであるレースに優勝したのだったが、そのときPCRの鈴木さんがワシに言うのだった。「はあー。青いフレームそんなにいい?」と。やはり、鈴木さんから見ればワシがヤマハに乗っていることに違和感があったのだと思うが「だったら、フレームちょうだい」とワシは思うのである(それからワシは鈴木さんと会うたびに同じ事を言われつづけるのだった)(これは一種のストーカー行為である)。
それから5年。ワシは未だにこのフレームに乗っているのである。そのあいだ続々とニューモデルのフレームが出てくるのだが、現在のワシはこの96年型ヤマハにこだわり続けるのである(単純に次のフレームを買う資金がないということだが)。だが、本当はもう1度PCRに乗りたいのである。やはりPCRはワシのカート人生の一番充実した時期に、共に戦い続けたフレームなのだから。
其の5に続く。ではまた。
オザタロウ さん 2001年 04月 28日 21時 49分 27秒
「ニセたろうの楽しいジナレーシング パクリ版おざわ編 最終回」
たけたろう師匠のコーナーがあまりにも楽しそうなので まねっこします
私おざわの2年間のカート生活で一番思い出に残ったレースは95年瑞浪ウエンズデーシリーズのレース(第何戦かは忘れましたが。)です。 予選第一ヒートで はじめてトップチェッカーを受けた私は 何を思ったか二周にわたってウイニングランをかましてしまい、2コーナー付近でふと我に返ると いつもは美形のニーナさんが顔をひきつらせながら旗を振っています(イチモツと連動して)
「やっべー」知らない国に迷い込んだ気持ちで 振り返ると な、なんと 超笑顔の平山君がついて来てるではありませんか 「平山君 あんた本当の お人よしやわ ありがとう」
ピットに戻ると 当然ながらコントロールタワーへの出頭命令で なんだか生徒指導室に呼び出される気分でしたが お人よしの平山様が一緒なので ちょっぴり気が楽 ドアを開けると案の定「なにやってまんねん!」と堀井ボス その後の注意は何を言っていたかは覚えていませんが、また今回も革靴で叩かれるのでは...と終始 堀井ボスの足元ばかり気にしていました。
気を取り直しての第二ヒート しかしペナルティーの為最後尾スタート 隣には何か文句がありそうな平山君 気休めのつもりで「ハンデやて ハンデ」と言っても ムッとしたままロも聞いてくれません そうこうしているうちにローリングが始まり 日章旗のお時間です どりゃああああああああああっと インチキくさいスタートで一周目のタコツボコーナーまでに12台抜いて(この間呼吸するのを忘れてた気がする)そのあとはちんたら何台か抜いて 結局9番手で第二ヒートを無事に終わらせました。
決勝は 平和なレースで仲良く楽しく をテーマに走るつもりでしたが 地獄の番人後藤ひろりん先生が待ち構えています。後ろから見る後藤先生の姿は妙に堂々としていて 「かかってくるなら かかって来い」とでも言いたそうです ビビリながらも後藤先生とのバトルに競り勝ち 最終ラップに外れたマフラーでバビボボボボボボボボーと爆音を轟かせながらトップでチェッカーをくぐました ヤッホー もう一周あったらオレンジボールでペナルティー
今度こそダブルチェッカーを受けないようにと緊張しながら 一周だけのウイニングランでばっちり締めくくるのでありました めでたし めでたし
たけたろう さん 2001年 04月 27日 15時 33分 09秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 98」
ワシのこだわり 其の3
それは、ワシが地方選を引退し2年ほどたった春のことであった。当時ワシは地方選で最後に使っていた7台目のPCRに乗っていたのだったが、既にそいつはポロンコ(ボロボロ)状態になっており、このワシでさえも手を焼いていたやっかいものであった。とにかく金属疲労が激しく、溶接個所は数え切れないほどヘタリ、ブレーキも走るたびにオーバーホールしなければスカスカになったものだ。おまけに、ちょこっと走るとフレームの剛性は著しく低下しており、コーナーではよじれてバッタンバッタン暴れるのである。しかし、ジナレーシング1の借金王のワシは、とてもとても新車など買える状態ではなかったのである(ちなみに、地方選を引退して一時レースから足を洗ったワシだったが、半年もたたずにPV50を購入し復帰してしまった意志の弱いワシである)(いいふうに言えばよほどレーシングカートオタクのワシなのである)。
97年の春、ジナのしんちゃんこと大山慎二氏のいわゆる『婚前レース(独身最後のレース)』に付き合う形で、ワシは津保川のレースに出場したのである。もちろん、参加クラスはPSーPCRであります。ワシはポロンコPCRを巧みに操り、タイムトライアル2番手となかなか好調であった。しかし、ワシの前に立ちはだかる一人の人物が、それからのワシのカート人生を狂わせたといってもいいほど、速さを見せ付けたのだった。その人とは、愛知の「チームぶるーと」所属の女性ドライバーで、見かけは男勝りの山田さんという女の子だったのである。彼いや彼女は97年型ヤマハの「ウインフォース」の新車に乗っており、とにかく速いのである。あっという間にワシはぶっちぎられ見えなくなるのである。コーナーの侵入はカチッと決まっているし、立ちあがりもガンガン踏んで行ける感じで、ワシがそれまで抱いていたヤマハの印象は一気に覆されたのである。
ワシはこのレースがきっかけで「必ずしもフレームはPCRだけではない!!」と考えを改めたのであった。しかし、人情深いワシは7台ものPCRを乗り継いだこともあってか、心のどこかでは「本当はPCR欲しーーい!!」と思っているのである。
そんなワシにも、遂にヤマハを購入する決断を迫られるときがやってくるのだった。
其の4に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 04月 25日 20時 50分 31秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 97」
ワシのこだわり 其の2
PCRに乗り出したワシは思った。「PCRに乗っている人少ないなあ」当時中部地域でPCRを扱っているカートショップといえば、我がジナレーシングか今はとっくにつぶれてなくなったラガッツァぐらいで、特に津保川あたりではほとんど見かけないのである。やはり、輸入代理店の力の差かやる気の無さかどうか知らないが、あまりにもさびしいのである。逆に言えば、かえってあまりにも希少車のあまり目立つことこの上ないと言う感じである。そして、あの何とも言えない独特の雰囲気のフレームであるゆえに(独特の雰囲気というのは黒い塗装に金メッキバンパーのことである。活気あふれるカートコースにPCRを2,3台持ちこむだけで、そこはまるでお葬式でもやっているんじゃーないかと錯覚するのである)売れないのは仕方の無いことであろうか。ところがワシはそんなPCRが、だんだん好きになってくるのである。なぜならば、ワシら少数派のPCRユーザーが、がんばって結果を残しさえすれば、よそのチームも注目するではないですか。そんな気持ちなのであった。
もちろん、ワシもカートに乗っている以上いろいろなメーカーのフレームに乗りたいのは当然である。しかし、なぜにPCRばかり乗りつづけたのか自分でも分からないのだ。そんなワシも、とうとうPCRと決別するときがやってくるのであった。
其の3に続く。ではまた。
三河の元PCRドライバー さん 2001年 04月 23日 21時 18分 03秒
フォーミュラーカーってやっぱり乗ってみたい乗り物ですよね。
カートみたいに手軽とはいきませんが、あの快感一度経験すると病みつきになりますよ!
ただ、最低限の費用も掛かるわけで、そこがなかなか難しい所。
でも本当にやりたいと思う人がいれば、早いうちに経験した方がいいと思います。
それから考えても遅くないわけですから…。
ちなみに私のフォーミュラー初走行は’96の鈴鹿で当時F4にスポット参戦しました。
初めての走行時雨で1周目にスピンしました。
そこからはカートの習性で、サンドトラップにとまったクルマを手で引っ張ってました。(当然動かず)
その後、コントロールタワーで「危ないじゃないか!」ってご指導いただきました。
瑞浪に持っていったら面白いかもね。でもガレージが山梨だから。持っていくのが大変だ!
たけたろう さん 2001年 04月 23日 19時 57分 04秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 96」
ワシのこだわり 其の1
ワシは、この12年間のカート人生で10台ものフレームを乗り継いできました。初心者のころはヤマハのストックの乗るのはまず当然なことだが、外車に乗るようになってからはほとんどPCRに乗ってきたのでした。では、なぜにPCRばかり7台も乗り継いできたのかここに説明しよう。
まず、ワシの所属するジナレーシングは、もちろんPCRを中心にカートを販売しているのはみなさんもご存知の通りであります。しかし、ワシは決してPCRが特別好きだったわけでもなく、おっさんのおさがりを売りつけられたのがPCRに乗るきっかけとなったのである。当時、ジナレーシングと親しく取引があった輸入代理店は、今はもうとっくにつぶれてなくなった「エンター」と「ユーロプロダクト」という代理店でした。この2社が扱っていたフレームは「PCR」「トニーカート」「マックミナレリ」「ウィル」「BRM」などなど、なかなかバラエティーにとんでいたのだった。「トニーカート」は非常に高価だったのでパス。「マックミナレリ」は当時のお客の能勢君が乗っていたのでパス(この能勢君という子はすごい面白い人で、彼がミナレリを発注したとき本当は黒のフレームを注文したつもりがなにかの手違いで赤いフレームが来てしまったのである。それまでの彼は甲高い声で「やっぱーマックは黒やね黒!!」とはしゃいでいたのだったが、いざ赤いミナレリを見た瞬間またもや甲高い声で「うーーん。やっぱマックは赤やね赤!!」と豹変。結局何色でもよかったのであった)。「ウィル」や「BRM」はまったく欲しいとも思わなかったワシは、結局PCRにおちつくのであった(その後ウィルを買った中村カズさんとBRMを買った木村さんは苦労していた)。しかし、ワシが本当に欲しかったフレームというのは、国産フレームの「カーレル」だったことを知る人は少ないのである。
其の2に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 04月 22日 20時 07分 20秒
なになにーーーっ!!!清井ちゃんフォーミュラートヨタ参戦だってーー!!
気軽に乗せてくれるって本当??
ワシに乗せてけれ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ではまた。
’95全日本PCRドライバー さん (kiyoi@mth.biglobe.ne.jp) 2001年 04月 22日 10時 02分 13秒
度々お邪魔の元PCRドライバーです。
今年は勝負の年と考え、フォーミュラートヨタに参戦する予定です。
すでに車両は中古で購入の意思は固めており、あとは限られた予算の中でどれだけのレースに出場するかだけです。
資金的な問題もあり、今後全戦の出場は不可能です。
もし、乗ってみたい等興味のある方がいらっしゃいましたら、気軽にご連絡頂ければ幸いです。
また詳細決定いたしましたら、ご連絡させていただきます。
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