たけたろう さん 2001年 07月 06日 15時 46分 47秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 128」
 恐怖!!メカトラ物語 其の16

 最近のワシは、深刻な悩みを抱えている。それはワシの愛車「96年型ヤマハウィンフォース」が、あまりにもヘタッてきたからである。おっさんは「新しいシャシー下ろせ!!」といつもの『悪徳ジナ商法』と使ってしつこいのだが、いかんせん既婚者で月4万円の小遣いでやりくりしているワシでは、とてもニューマシンなど購入できないのが現状である。
 先日の「ゴールデンウィークしランプリ」出場したときも、調子は良かったのだが、やはりフレームの戦闘力不足はどうにもできないのであった。レース後、フレームをチェックすると、案の定クラックが入っており、伊藤ちゃんに溶接をしてもらうのだった。
 まあ、ドライ路面をクラック入りフレームで走っても、ほとんど気がつかないという人がほとんどであろう。もちろんワシもそうである。だいたいは、走り終わったあとの洗車中に発見することが普通である。しかし、レインコンディションをクラック入りフレームで走ったら、これはもうまったく走れないのだ!!なにをどうやってもフレームの動きが変わらなくなってしまうのである。
 3年前のクラブマンレースのことである。その日は朝から大雨であった。ワシはほとんどセミスリック化したレインタイヤで四苦八苦していたのだったが、ようやくセッティングも決まり、決勝ヒートの後半になってついにトップに躍り出るのである。ところが、チェッカーまであと5周を切ったときに、あろうことか足もとのフロアパネルを止めるステー(ベロとも言う)がポッキリ折れてしまい、そのとたん大アンダーステア大会となり、おしくも優勝を逃してしまったのである(しかしこのときワシが2位を死守したおかげでクラブマンレース恒例の馬の配当金がみなさんに行き渡ったのが唯一の救いだった)。
 昨年、雨の津保川の練習中にも、ありとあらゆるセッティングを試みたのに、まったくフレームが反応してくれなかったことがあった。ワシは「絶対これはどこかにスジ(クラック)が入っている!!」と確信し、調べてみると、やはりステアリングポストにクラックが入っていたのだった。
 ワシは、意地でも現在の愛車に乗りつづける覚悟である。当分の間、ワシの悩みは消えそうにもないのである。
 其の17に続く。ではまた。

伊藤 さん 2001年 07月 06日 13時 04分 48秒
 8月5日 サマーシランプリの、ドライバーエントリー&組合せ表 作りました。 (SHOPに置いておきます!!!) 
レースに出場される方、耐久レースのパートナーを探してほしい方、などなど SHOPまで連絡下さい。
     FP−4   2人1組
     FP−3   2人1組
     KT100S 1人以上  
  今年は、この3クラスの開催です。
真夏のお祭りレース みんなで楽しみましょう!!!
                ジナレーシング 伊藤

たけたろう さん 2001年 07月 05日 16時 26分 26秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 127」
 恐怖!!メカトラ物語 其の15

 だが、エンジンの焼きつきというのは仕方のないことである。「壊れるものは壊れる!!」と割り切れるからである。しかし、エンジンの焼きつき以上に悔しいのは、なんといっても『カブッた』時だろう。まあ、練習のときにはいくらカブらせてもなんてことないのだが(しかしトヨタの1コーナーや鈴鹿のバックストレートエンドでストップしたときは非常につらい。だって遠いんだもん!!)、レース中でプラグがカブる時というのは、大体ローリング中かスタート時どと思われます。ワシもレース中にカブったことが何度かあるが、そういうときにかぎってポールだったりフロントローを取ったりしているのである。
 95年の瑞浪の開幕戦では、フロントローを取っておきながら、ローリングの最終コーナー立ちあがりでカブらせてしまい、そのままスタートは切ったのだが、結局1コーナーを過ぎた所でストップしリタイヤである。同じく95年の作手のレースでは、ポールスタートながら、これまたローリング中にカブらせコース上にストップしてしまうありさまである(しかしこのときは幸いにも赤旗が出たため、ワシは命拾いするのだった)。
 98年の3月の瑞浪のレースでは、チームの子に借りたヤマハのFPエンジンのいわゆる「FP−2」クラスでエントリーし、まったく初めて使うエンジンながら(当然ぶっつけ本チャンである)タイムトライアルでポールポジションを獲得したのだった。しかし、初めてのエンジンゆえに勝手が分からず、案の定予選ヒートのスタート直後にカブらせてしまうのである。幸い10台ほど抜かれてからエンジンが息を吹き返したのだが、今度は前方で起こった多重クラッシュに巻き込まれるという結末であった。
 レース中にエンジンが壊れるたときは、なぜか知らん笑ってごまかせるのだが、レース中にガブらせて終わったときには、なぜか知らん笑えないのは、なーぜなんだろう・・・。どーしてなんだろう・・・。いまだに謎である。
 其の16に続く。


 PS:おいどんさんのご提案なかなかよろしいですねー!
    ワシも他チームの方と組んで耐久レースに参加することは、大賛成であります。
    しかしながら、ワシのような身長181センチ、体重76キロの大男と組めるのか知らん??
    いい言い方をすれば、日本人離れしたまるで「なんとかモデル」のようないでたちである。
    ちなみに、ワシはレース中には呑んどらんけん!!レースが終わった瞬間に呑むんやけん!!
    最近のワシは、レース後の『あの一杯』のためにカートやっとるもんやけんねー!!ではまた。

おいどん さん 2001年 07月 03日 21時 35分 29秒
たけたろうファンのgakuさん、CIDPさん、
今度、瑞浪の高速バトルしませんか?

よかったら、夏の耐久をジナの方たちと組んで
出場しませんか? ○○○withジナレーシングで!!

たけたろうさんにも会えますよ!多分、呑んだくれている
思いますが。

たけたろう さん 2001年 07月 03日 15時 48分 53秒
 gakuさん!!

 雨の練習ご苦労様です。ワシもその昔、練習に行くたびに雨で、しかも休みが少ないため、仕方なく雨の練習をたくさんしていました。
 おかげで、雨の日のレースは5割ほどの勝率を誇っております(これはワシのささやかな自慢話である)。
 体重が少なくても、雨速い人はたくさんいますよ。ようするに、いかに雨の日にたくさん走り込むかということです。gakuさん、次回のレースで雨が降ったら、まず間違いなく上位を走るでしょう。がんばってください!!
 
 ではまた。

gaku さん 2001年 07月 02日 23時 25分 19秒
>たけたろうさん

土曜は予想通り雨でした。しかも朝から、じゃんじゃん降る降る。
借りたレインをよくよくみたら、もうほとんど溝がない!インターミディ状態。
いやー、ウォールに刺さりまくりました・・・。(苦笑)

午後からは雨が上がりぎみで、雨好きな師匠と追っかけっこ。
抜きつ抜かれつで面白かったですよ。
二人で30〜40くらい周回していたような。

雨って体重軽いのダメなんですね。
ドライに合わせて減量してたら全くダメでした。

“全損”。僕も前回そうでした。
上、下合わせて64000円。
これで一気にレイン買えなくなって・・・。
あーあ、泥沼ですよね。(笑

たけたろう さん 2001年 07月 02日 16時 10分 29秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 126」
 恐怖!!メカトラ物語 其の14

 レース中にエンジンが焼きついたときには、それはもうダメージが大きすぎるのである。まあ、後ろのほうを走っていて焼きついたときはそんなことはないのだが、上位争いをしているときに焼きつかせれば、本当にこたえるのである。4年前の津保川のレースで、2番手走行中の残り2ラップでエンジンを焼きつかせたときには、泣けてきたのだったが、ワシの変わりに2番手に浮上したジナのしんちゃんこと大山慎二氏が、最終ラップに負圧のホースが抜けるトラブルで脱落してくれたので、このときはまだ救われたのだった。
 しかし、いまだに思い出しても怒りが込み上げてくるようなトラブルが、95年の瑞浪のレースで起こったのである。この年、以前にもたびたび書いたが、ワシは絶好調だった。ムンクホルムスペシャルPCRフレームとホリイスペシャルPCRエンジンは向かうところ敵なしであった(そのわりには毎レースリタイヤしていた)。
 運命の日。ワシはまたまた好調で、予選は3番手だったのだが、セッティングも決まり、優勝間違いなしといったところであった。案の定、決勝ヒートが始まると、ワシはあっという間にトップに踊り出るのである。後方集団は、ナイスバトルを展開しているため、ワシは余裕の一人旅で独走ブッチギリであった。
 ところがである。こんなときにかぎってワシの脳裏には不吉な予感が出てくるのだった。「そういえばこのエンジン、もうそろそろオーバーホールしんといかんかったなあ」なーんて思いながら「まああと数ラップやけん!!最後まで持つやろう」そんなときは、ろくなことが起きないのである。
 そして、いよいよファイナルラップである。ワシはストレート一本分後続を引き離し、まったくの余裕であった。1コーナーを全開で抜け、2コーナーのブレーキングで悪夢を見るのだった。
 「パーーーーーーンブゴオッ!!」とにぶい音がしたとたんいきなりリアタイヤがロックし、そのままスピンしながらアウト側のクラッシュパッドに激突していくのだった。「ハレーーーーーーッ??」ワシはただ呆然と目の前を走り去って行く後続車を見つめるのだった。
 「ワシはなんて不幸な星に生まれたのであろう・・・。こんなことってあるのだろうか・・・。もーーーいやっ!!」と半泣きでパドックに帰るのだった。ワシは気づいていた。これはただの焼きつきではないことを。ワシのとっておきのエンジンは、ものの見事にコンロッドが折れ、シリンダーもまっ二つに割れ、フィンも2,3枚飛んでいたのである。これはいわゆるひとつの『全損』というやつであったのだった。
 それからワシは、あまりのショックのため、3,4日寝込むのである。
 其の15に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 06月 30日 18時 09分 58秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 125」
 恐怖!!メカトラ物語 其の13

 そしていよいよチューニングにステップアップしていくのだが、さすがにチューニングともなると数え切れないほどエンジンを焼きつかせているのである。その中には、ナラシで焼いたりレース中で焼いたりと様々である。
 例えば・・・。昔、おっさん(最近この連載を読み出したという人に説明しよう。おっさんとは我がジナレーシングサプライの誇る名物社長の堀井氏である)が、原さんが全日本で使うスペシャルエンジンのナラシをしてこいと、ワシに命じたのである。それまでワシが使っていたチューニングエンジンは、原さんが前年に使っていたいわゆる『お古』エンジンで、もちろん「スペシャル」と名のつくエンジンなど、とてもとてもワシには回ってこなかったのである。ワシはナラシとはいえ、スペシャルエンジンに乗れるうれしさのあまり承諾するのだった。
 そしてワシは、意気込んで瑞浪に出かけ「スペシャル」のナラシを始めるのだった。
 「おおーっ!!なんやねんこの加速はーぁっ!!」ワシはあまりのトルクにヘルメットの中でニヤニヤするのだった。「うーーん。やはり全日本で上位を争う原さんは、こんなにいいエンジンを使っとるんやー!!」と感心するのである。そして、低中速ナラシを終え、本当はここで次のエンジンに載せ変えなければいけなかったのだが、ワシは「ちょこっとだけ高速ナラシさせてーー」と勝手に高速ナラシを始めるのだった。
 しかし、高速ナラシを始めて2周目の3コーナーの立ち上がりで「パーーーンンギャッ!!」とやってしまったのである。なんたることか・・・。ワシはキャブのローニードルを合わせるのを忘れてしまい、原さんの、いやジナレーシングクラブとっておきの「スペシャルエンジン」を焼きつかせたのである。それも、次の全日本開催まであと3日というときにである。
 「やってもーたーっ!!」ワシはおそるおそる店に電話を入れ、おっさんにひたすらあやまるのだった。受話器のむこうで、おっさんは声を震わせながらこう言ったのを、ワシはいまだに鮮明に覚えているのである。
 「バカモーーン!!なーにやってまんねん!!」
 其の14に続く。

 PS:gakuさん走れていいですねー。雨が降ってもどんどんカートに乗ってください。絶対ものになりますよ。
    ワシはいよいよ7月15日の芦原のSLに参戦する予定です。
    しかし、芦原なんて走るの6年ぶりやし、おまけにコースレイアウトも変わっとるし、もひとつおまけにぶっつけ本チャンやし・・・。よーし!!こうなったら芦原温泉街の「ミュージック劇場(ストリップだよ)」でビンビンするかーあっ!!ではまた。

gaku さん 2001年 06月 29日 23時 25分 03秒
>たけたろうさん

こんばんは、gakuです。
ユニバーサル行ってらしたのですか?
オープンの時に大阪に遊びに行っていたのですが
飲んだくれて行けませんでした・・・。残念。(苦笑

明日も走りに行く予定です。
最近は毎週走ってばかりで、財政きっつくて
レインタイヤ買えない・・・と思っていたら
レインタイヤワンセット貰っちゃいました♪
かなりハッピーなんですけど。(笑

たけたろうさんの“メカトラ”はリアリティあって
かなり面白いです。ある意味エグいですよねー。(笑
また次作を期待しています。
では。

ウインターホース さん 2001年 06月 29日 21時 31分 54秒
拝啓ブラック魔王様
あなた様の正体は誰ですか
なんか聞いたことのある話じゃないですか
ひょっとすると
昔 笑いヘルメットを装着して走っておられた方ですか?
いやいや
よく薬局のまえにたっておられた方ですか
間違っていたらごめんなさい。


たけたろう さん 2001年 06月 29日 19時 54分 01秒
 ムムムッ!!また一人ワシのファンが・・・。
 
 CIDPさん。これからもよろしく。ウフ!!

 ワシを応援してくれる人は老若男女、オカマ、おなべ、そして両性類なんでもOK!!
 今週はなかなか連載が進まなかったが、いよいよテンションも上がってきたし、来週はがんばって書くがや!!

 ではまた。

CIDP さん (sakur@nitten.co.jp) 2001年 06月 29日 08時 09分 55秒
たけたろう 様

たけたろう殿、ファンです。是非、連絡とりたし。

sakur@nitten.co.jpまで一度メール下さい。その後、返信いたします。

ちなみに男です。

よろしくお願いいたします。

たけたろう さん 2001年 06月 28日 20時 08分 55秒
 gakuさんへ。

 そうですかー。関東の方もワシの「たけたろうの・・・」を読まれているんですんねえ。
 どんどん、チームの人やお友達にこのサイトを宣伝してちょーおらい。ウフ!!

 昨日は、ヨメさんと大阪の「ユニバーサルスタジオジャパン」に行ってきたがや!!
 どえりゃー疲れたがや!!
 
 しかし、完全子供向きの「ディズニーーランド」よりも「ユニバーサル」のほうがビーちゃんも売っているし、やはり基本的に大人向けの映画のアトラクションが多いため、こっちのほうが良かったかも知れんでした。
 
 ではまた。

ぴょんこ さん 2001年 06月 28日 12時 53分 07秒
>管理人さん
「WHAT’S」のレーススケジーュルで「暖かくなってきたぞ・・・」とありますが、なんかへんじゃない??
もう7月だよ・・・。




KILT さん 2001年 06月 27日 12時 57分 15秒
わーい!!!
  9998ヒット・・・
 (10000ヒット、頂いちゃおうかな!)
    

gaku さん 2001年 06月 26日 23時 50分 27秒
こんにちは!
gakuと申します。
関東(大井松田カートランド)でカートやってる者です。
今年始めたばっかりなんですけど。(笑

たけたろうさんのメカトラ物語があまりに面白かったもんで
一言感想を書かせて頂きたく、カキコさせてもらいました。
ホント、Eg焼き付きは辛いっすよね・・・。

また寄らせて頂きますね。
では。

たけたろう さん 2001年 06月 26日 17時 37分 50秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 124」
 恐怖!!メカトラ物語 其の12

 ワシのエンジン焼きつき歴で、忘れられない事件があります。それは、92年の1月3日のことである。1月3日と聞いてピピッと来た人は、かなりのカート通といえるでしょう。そうです、その日はジナレーシングクラブ毎年恒例『新春初走り』の日であります(まあよそのクラブでも1月3日は初走りをすると思うが)。それまでの初走りは、津保川で行われてきたのだが、92年よりいよいよ新装開店となった瑞浪レイクウェイでの走行となったのである。
 ワシは、毎年初走りの日は、一番でコースインしないと気が済まないタイプである。しかし、この年は店を出発するのが遅れたのか、コースに到着したときには既に走行が始まっていたのであった。今のワシなら、そんなことなど気にしないのだが、当時まだ若手のパリパリで子供のような性格のワシは、とにかく一番にコースインできなかったのが悔しくてしょうがなかったのであった。
 焦ったワシは、大急ぎでカートをジナ号から下ろし準備をするのだったが、やはり既に走っている連中を見ると、いいかげん落ち着かなくなるのであった。
 そして、ようやく準備も整い、ワシはとりあえずジナでは一番にコースインするのだった。そして1周を走り終え、2周目の2コーナーで、ワシは悪夢を見るのである。快調に飛ばしていたワシだったが、あろうことか2周目の2コーナーで「パーーーーーンンギャッ!!」とエンジンを焼きつかせたのであった。
 なんということか・・・。ワシは焦ったあげく(別に焦る必要などこれっぽっちもないのだが)、キャブのニードルを合わせるのを忘れ、いきなり焼きつかせてしまったのである。おまけに、そんなときにかぎって、スペアのエンジンを持ってきていなかったのだった。
 哀れ・・・。ワシの92年の初走りは、わずか1周と数百メートルで終わったのである。
 其の13に続く。ではまた。
 

ブラック魔王 さん (poripu@pop12.odn.ne.jp) 2001年 06月 24日 00時 15分 05秒
伝説4
 私の初レース
  多分10年ほど前になってしまうけど、津保川カート場、通称”ツボ太郎ランド”
  でストックで初レースに出たときの事。
  私は当時のビギナークラスに出るタイムとしては速すぎるタイムを、練習のとき
  に出してたのであとはレース運びのみ!と気合をいれて挑もうとしてました。
  その朝。。。
  車やさんに商用のワンボックスを借りて、がんがんに気合を入れてツボ太郎ランドに
  向かっていました。頭の中は、本当に”優勝”しかなかったです。それがいけなかっ
  たのかもしれない。知らぬ間に川沿いの道をアウトインアウト気味で気持ち飛ばし
  気味で走ってました。ブラインドになっている右コーナーに入ったところ、対向車が
  パニクって突っ込んできて、こちらの右フロントとあちらの正面真中が!!!!!
  気が付いたらこちらのフロントガラスはきれーーーに外へ吹き飛び(本当に室内には
  一粒も入り込んでない!割れたこともきずかなかった)右ガラス窓も私のひじで
  しらんまに割っていました。足元はフレームがぐにょ〜んとシートのとこまで潜入
  してきてて、足が隙間にじょうずにおさまっていました。
  呆然としていると警察やらがきて、しらんまに病院にいました。相手の方も呆然としてて
  とりあえず検査だけして私はもう一度事故現場へ戻りました。そうです。レースに出るんでした。
  カートや道具も置きっぱなしです。
  でもなんかしらレースには支障ないと感じてました。
  でもよく考えたらどうやってツボ太郎ランドまで運ぶにゃ!!やっと気付きました。
  あせってきました。タクシーが現場につくと、見知らぬにいちゃんが青色の軽トラに
  私のカートやら道具やらを乗せているではないか!!!
   どろぼう!!!!!とは思わなかったけど、何しとるのこの人?誰?
  その人は”まだ間に合うで持っていったるで、乗っていきゃ〜”と天使のような一言!!
  誰ともわからず、レース場までつんでいってもらいレース場につくと、ひげおとっつあん
  が、”だいじょうぶか〜〜、杉山、ごくろう!”
  そうです。その人が”たけたろう”であった。続く。。。


   PS たけたろうさんへ、ネット上では実名、会社等はのせんでくれ〜〜〜。
      

たけたろう さん 2001年 06月 23日 17時 11分 42秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 123」
 恐怖!!メカトラ物語 其の11

 「ンーーモーーーーォオウニュッ!!」とコントロールタワー前で、いきなりタイヤがロックし、そのまま15メートルほど真っ直ぐ行って止まりました。ワシは初めて経験する感触に、何がなんだかわけがわからず、とりあえず自分のカートをパドックまで引きずっていきました。
 「これって、ひょっとして、ひょっとしたら、ひょっとするぞー!」とエンジンのヘッドを開け、中を覗きこむとシリンダーにスジが入っており、見事に焼き付いていたのである。「おかしいなーあ・・・。しっかりナラシしたはずなのに・・・。」とワシは初めてエンジンを焼きつかせたショックで、2,3日寝込んだのだった。
 それから何ヶ月かして、焼きついたKTをオーバーホールし、再びナラシをしに三重に出かけました(なんでわざわざ三重まで行ったのか未だに謎である)。しかし、今回もエンジンのフィーリングが良くありません。とにかく、重く感じるのである。「もう片方のエンジンは、軽やかでよく回るのに、なんでかしらん??」と思いながら、1コーナー、2コーナーを全開で立ちあがり、3コーナーのブレーキングに差しかかったとき、
 「モーーーーウニャッ!!」という音とともにタイヤがロックし、スピンするのだった。
 「ゲゲッ!!また焼けたか?」とヘッドを開けると、ワシの不吉な予感は見事に当たるのであった。「なんでやねん!!KTのくせして2回も焼けやがって!!」とワシは怒り狂うのだった。
 それからというもの、この大ハズレKTエンジンは、一度も火が入ることなくさっさと下取りに出されるのであった。ウワサ通り、タダでもらったエンジンというのは、ろくなもんじゃなかったということを、ワシは身をもって実証するのであった。
 しかし、ワシのエンジン焼きつき歴は、これから先多々続くことをまだ知らないのである。
 其の12に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 06月 21日 16時 13分 14秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 122」
 恐怖!!メカトラ物語 其の10

 モータースポーツというスポーツは、エンジンにトラブルを抱えると、非常につらいのである。とくに、2サイクルエンジンが主流のレーシングカートのエンジンは、少しでも調整をあやまるとすぐに焼きついてしまうのである。エンジンが焼きつくと、瞬間頭の中に計算機が現れ「ピッポッパッ」と修理代を計算してしまうのはワシだけではないはずである。まあ、ほとんどおいしいところを使ったエンジンが焼けたときは「まあいっか!どうせオーバーホールするんやしー!」と、それほどダメージがないのだが、ナラシのときに焼けたときには、ウルウルと涙線がゆるんでくるのである。
 ワシも、長年のカート人生で数多くのエンジンを焼きつかせてきたものである。思い出せば腹の立つことばかりであるが、みなさんにワシのエンジン焼きつきの歴史を紹介しよう。
 ワシが初めて焼きつかせたエンジンは、実はヤマハのKT100SDである。このヤマハのKTは、ストックエンジンの定番中の定番で、普通は焼きつきなどおきないのである。ところが、ワシは同じエンジンを2回も焼いてしまったのである。前にも書いたが、ワシがクラッチクラスのダブルチャンピオンを獲得したとき、ヤマハから御報美として2基のKTを頂いたのである(もちろんタダ!!)。現在もシリーズチャンピオンを獲ったりすると、エンジンがもらえるのかどうかは知らんが、ワシの場合その年のSL手帳の色と同じ青色ヘッドのエンジンで、いかにも前年度にどこぞのSLでチャンピオンを獲得したぞという、よく目立つエンジンだったのである。しかし「タダでもらったエンジンはまともではない」というウワサがチラホラ聞こえてくるのであった。
 やがて、そのエンジンを下ろす日がやってきました。ワシは朝一番で津保川でナラシを始めるのだった。最初に載せたエンジンは、なかなか軽やかなフィールディングで、順調にナラシが進みました。トルクもまあまあで上もけっこう回った記憶があります。しかし、問題はもう一つのエンジンにあったのである。すばやくエンジンを載せ替え、また低速からナラシを始めたのだったが、なんとなく重い感じがするのである。
 「むむっ!同じエンジンにしては、フィールディングがまったく違うがや!!」そんなことを思いながら、せっせとナラシを続けるのだった。そして、中速ナラシも終え、いよいよ高速ナラシを始めたのだった。コースインし、1周目はまだタイヤも冷えていることもあって、慎重に走ります。最終コーナーを立ちあがり、アクセルを全開にした瞬間の出来事であった。
 其の11に続く。ではまた。

 KILT さん 2001年 06月 21日 14時 36分 50秒
とうまさん!

 トップページにある(アソコだよね)パスワードは、
昭和56年7月23日 生まれの、あの人のニックネームを入れてみたら!!!
 とうまさんもよーく知ってるあの人の・・・

とうま さん 2001年 06月 21日 00時 42分 31秒
おおい
ぱすわーどって
なんじゃ?
なんかいいもんでも見られるのかな。


たけたろう さん 2001年 06月 19日 16時 00分 20秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 121」
 恐怖!!メカトラ物語 其の9

 今や伝説となった、愛宕氏の『ラララ無人君暴走カート!!そのままコントロールタワーに激突!!全損しちゃったよーん事件』も、単純にメカトラとは言えないかも知れないが、結局は走行前の準備不足と言えるだろう。まあ、平日にしか練習に行けない、おまけに手伝ってくれる人間もいない状態では、同じような状況の立場のワシもさすがに愛宕ちゃんには同情するのだった。しかし、愛宕ちゃんの無人暴走カートは、誰にも被害を出さなかったのが不幸中の幸いとも言えるだろう。
 もっとも、この手のトラブルで最も不幸な人間が我がジナレーシングに存在するのである。その不幸な人物とはいったい誰のことでしょう、ワシ(whith西浦現在ホームシック中ズラ氏)である。
 今から5年ほど前のことだっただろうか。ワシと西浦氏は二人仲良く瑞浪へ練習に行った時のことである。ワシらは、瑞浪の屋根付きパドックにはしっこに陣取り、並んで作業をしていたのだった。ところが、コントロールタワーの向こうのほうから誰かが押しがけをしたと思った瞬間、ワシらにとんでもない悲劇が襲うのだった。
 もちろん、ワシらの前にはピットロードが走っており、そこにエンジンのかかり終わったカートが通り過ぎるのは、ごく普通の光景なのだが、なんとなくその瞬間だけ殺気を感じたのである。だんだんとカートの音が大きくなり、そして以上に急加速してくるのである。
 「ハッ!!」とピットロードに目をやったとき、あろうことか無人のカートがワシらめがけて突っ込んで来るではありませんか。その無人カートの後ろには、ドライバーと押しがけを担当したであろうメカニックが、必死に無人カートを追いかけてくるのを、ワシは目撃したのだった。
 「ドッシャアアアーーンンンッッッ!!!」とワシと西浦氏は、まるでボーリングのピンのように弾き飛ばされ、吹っ飛ばされるのだった。無人君カートは、かなりの勢いがついており、ワシらをなぎ倒したあと、屋根の柱に激突してようやく止まったのだった。「すみませーーん」と犯人の二人は謝ってきたが、スタンドはグニャグニャに曲がり、カートは地面にたたき落とされ、工具箱もひっくり返り、クリアケースがバリバリに割れてしまったワシが納まるはずがありません。「バッカヤローーッッ!!ターケかーてめーら!!クソボケーーッッ!!」と言いたい事を言った後、なんで二人で押しがけをして、無人カートになってしまうのかあまりの不思議さゆえに、怒る気力をなくすのであった。
 幸いにも、相手のカートがオープンクラスだったので打撲のみで済んだので良かったが、もし愛宕ちゃんの暴走カートが当たったらと思うと、背筋がゾクゾクッとするのである。みなさんも、押しがけをしてエンジンがかかったと思ったら、どんなに不細工な乗り方でもいいから、絶対カートに飛び乗ってください。けっしてカートを放さない。これは基本中の基本である。
 其の10に続く。ではまた。 

KILT さん 2001年 06月 19日 15時 35分 57秒
ストック no ゴシマ 君

  日曜日 元気なドライバーも、同じようなタイムで走ってた。
    グリップ不足だったけど、速いドライバーにひっぱてもらって 51:5秒ぐらい・・・でした。

ストックnoゴシマ さん 2001年 06月 18日 22時 56分 47秒
元気なドライバーくん、日曜日はどうやった?

こっちは今日行って、51.5でした。
newタイヤ使ったのに・・・

シャフトが微妙〜に曲がっている気がするのは気のせいかなぁ

hhh さん 2001年 06月 18日 00時 19分 21秒
Audi優勝O(^-^)m(-^ )e(^ )d(  )e( ^)t( ^-)o(^-^)~♪ 

皆さんもp(^^)qガンバッテ!って

たけたろう さん 2001年 06月 15日 16時 22分 01秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 120」
 恐怖!!メカトラ物語 其の8

 近年のレーシングカートは、弱者にやさしい。なぜならば、面倒な押しがけを強力にアシストしてくれる『押しがけ君』又は『押しガケヘルパー』又は『押しがけ一発』という新兵器が開発されたからである。ワシのようなカートの乾燥重量よりも体重が重いドライバーは、そんないらん道具などなくても容易に押しがけが出来るが、最近多くなったチビッコレーサーや女性ドライバー、又は虚弱体質ドライバーなどは、これがなくては走り出せないのである。
 昔むかし、まだ押しがけ君がまだ存在しない頃のお話である。当時チューニングクラスに参戦していた、愛宕博昭氏(初登場なので説明しよう。愛宕氏の実家は「YESアタゴ店」という少し間違えれば危ない名前の(例えば:▲┘蹈好▲淵訶后廚覆匹覆ノ)電気屋さんを経営しており(現在は「マツヤデンキ平田店」に改名)、おまけに店長という肩書きの持ち主のため日曜日に休みがとれず、なかなかレースに出られないのであった。最近は中古カートを購入し、虎視眈々とレース復帰をもくろむブラック魔王さんなのだ)が、津保川に一人で練習に行ったときだった。勿論平日にコースに走りに行った為、同じチームのドライバーはおろか、他のチームのドライバーもいなかったという、完全貸切状態で走らなければいけないという、ワシにしてみりゃ夢のような始まりだったのである。
 ちなみに、愛宕氏の体型は非常にスリムで、ストッククラスでもウェイトを積まなければいけない、ましてや最低重量の重いチューニングクラスでは、何十キロもウェイトを積まなくてはいかなかったのである。そんな、虚弱体質の愛宕氏が一人で押しがけなど出来るはずがありません。おまけに、チューニングなどは特に力が必要となってくるのでなおさらである。
 そんな、愛宕氏が考え出した押しがけ対策は、アクセルを少し開けておくというものだったのである。そして、いよいよ準備が整い、その日の初走行のお時間がやってきたのである。ダミーグリッドまでカートを引きずっていき、そして愛宕氏は、こん身の力で押しがけをするのだった。
 「せーのっ!!よいしょーーーっ!!」と言ったかどうかは知らんが、勢いよくカートを持ち上げ地面にたたきおろしました。と次の瞬間、とんでもない事件が起きるのだった。「パーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンンンンッッッ!!!」とアクセルの開いているそのカートは、いきなりものすごい勢いで、それも主の愛宕氏を一瞬引きずったあと、無人で走り去ったのだった・・・。
 哀れ・・・。そのラララ無人君カートは、そのまま津保川のコントロールタワーに激突し、お亡くなり(全損)になるのだった。
 其の9に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 06月 11日 20時 27分 13秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 119」
 恐怖!!メカトラ物語 其の7

 その昔ジナレーシングクラブには3人の中村さんがいました。今も現役でレーシングカート歴15年のベテランドライバー中村一夫氏と、この連載にたびたび登場する中村秀康氏。そしてこの中村秀康氏の弟の中村元雄氏の3人であります。特に中村兄弟の上の秀康氏は全日本まで上り詰めた、いわばエリートドライバーだったのである。そしてその明るいキャラクターから『兄ィ』と呼ばれていたのであります(年下のワシもずうずうしく兄ィと呼んでいた)。さて今宵はこの『兄ィ』のことでも書くことにします。
 兄ィはエンジンをよく壊しました。よく「ジナの壊し屋」とか「ジナのチェザリス」とか言われたものである。まあチューニングをやっていたこともあって、テストやレースでエンジンを壊して帰ってくるということはよくある話なのだが、彼の場合は毎回全部壊してくるのである。そして店に帰ってくるなり「まーた壊したー」と首をひねっているのだった。
 ある日、またもエンジンを壊して帰ってきた兄ィの様子が少し変です。どうやらこんなにエンジンが簡単に壊れるのは、組み方がおかしいんじゃないかと、おっさん(久々の登場なので紹介しよう。おっさんとは・・・そういえば最近あんまり店でも顔を見なくなったなあ。どこをほっつき歩いとるんかしらん??堀井氏である)を疑いはじめたのである。勿論おっさんも反論し、よほど自分の組んだエンジンに自信があるのか、壊れる責任は兄ィにあると一歩も譲りません。そんなかんやで熱い議論は延々と続くのだったのだが「おいっ、兄ィちゃんとオイル混ぜとるか??」とおっさんが問いただすと、兄ィは「こう」と身振り手振りを使い説明しました。「それや!!」とそこで兄ィの説明を聞いていた誰しもが叫んだのである。
 なんと兄ィのオイルの混ぜ方は、まずオイルジョッキにガソリンを入れ、そしてそこに適当にオイルを入れてから(普通はメスシリンダーか軽量カップでオイルの量を測ってから混ぜると思うのだが、なんと兄ィは手の感触でオイルの量を測っていた)、あろうことかレンチでかき混ぜていただけだったのである。それではさすがにエンジンも壊れます。特にチューニングエンジンほどデリケートで繊細なエンジンはなおさらである。それ以来、兄ィエンジンを毎回壊して帰ってくることがなくなりました。結局この手のトラブルも、走行前の準備不足が原因となっているのである。
 そんな憎めないキャラクターの持ち主の兄ィに、当時こんな替え歌が流行りました。チーターこと水前寺清子の名曲『365日のマーチ』のリズムに会わせて、さあ皆さんも元気よくご一緒に歌いましょう。
 『ポイントは 歩いてこない だから走って取るんだネ 一日1基 三日で3基 3基直して2基壊す エンジンはPCR スタートカブッて予選落ちー』
 そして前にも書いたが、トヨタの地方選で雨の中大逆転優勝したときは、兄ィのそのカエルのような風貌から『ど根性ガエル』のテーマソングに合わせてこんな替え歌が出来あがりました。
 『カキーン ドカーン ドッボドボ 殿様ガエルアマガエル カエルにゃいろいろあるけれど この世で一匹 カートガエルのヒデヤス様は ケロッケロッケロッとは鳴かないで 根性!根性!ど根性!! 焼いて笑ってひっくりかえり 「憎いぜこのー カートガエル!!」 ひょっこり勝ってる 雨の中ー』
 ああ・・・。最近のジナレーシングはこれほどまでのキャラクターの持ち主がいなくて、なんだか寂しい今日この頃なのであります。
 其の8に続く。ではまた。

井上 さん 2001年 06月 11日 08時 31分 52秒
URL:http://www6.ocn.ne.jp/~itabashi/
ジナレーシングさんへのリンクは
会社のHPのリンクではちょっと場所がわかり辛かったので、
わかりやすい場所に移動させてもらいました。

瑞浪に走りに行かれた方。
昨日はお疲れ様でした。m(_)m
ボクはさっさと帰ってしまいましたが、雨に降られなかったかとちょっと心配しています。

またお店でも、サーキットでも宜しくお願いします。

井上 さん 2001年 06月 09日 20時 39分 08秒
まあしいさんウチの会社のHPですねん。
リンクして頂いてありがとうございます。m(_)m

ボクも明日は走りに行きます。(^^)
それなりにがんばるじょゥァ」

ヤガナ さん 2001年 06月 09日 17時 59分 12秒
あした、走りに行くよ〜ん。
若いモンには負けてられないッス!
他には誰か行きますか?

がんばって52秒切るぞ!

元気なドライバー さん 2001年 06月 09日 14時 39分 19秒
 6月17日(日)
 
 瑞浪へ 練習に行きます。
誰か、行きますか???

  がんばって51秒切ってくるぞ。

まあしい さん (mercy@jina.co.jp) 2001年 06月 08日 16時 22分 55秒
どうも、どうも、まあしいです。
たけたろうに続きまして、
小関 正司 氏 井上 欣人 氏のHPが、
リンクに追加されました。
ぜひともみなさん見てみてください。

またジナレーシングの写真館(今はコンピューターでうまってます)を
新しく階段に作りたいと思います。
でもってみなさん是非とも新しい写真を撮りたいので、
是非来店してください。

たけたろう さん 2001年 06月 07日 15時 36分 57秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 118」
 恐怖!!メカトラ物語 其の6

 あ、さてーー・・・。今宵からはワシ以外のちょこっと笑える、そして一歩間違えれば大惨事を引き起こしかねないメカトラの数々を紹介しよう(あんまりネタはないんだけどね)。
 7,8年ほど前でしたか、レーシングカート界にも安全装備として、サイドボックスが出始めたころのお話であります。それまでのレーシングカートは、バンパー剥き出しで、ちょこっとバトルが熱くなったりすると、すぐにタイヤとタイヤが絡み合い、どこかに飛んでいってしまうというパターンが一般的でありました。それは危なすぎるということでサイドボックスが登場したのだが、そいつは我々カートドライバーの安全のためだけではなく、いろいろなステッカーを貼ったり、色とりどりのカッティングシートなどでカラーリングを施すことが出来、なんとなく油臭かったカートコースに華やかさをもたらしたのである。
 しかし、そのサイドボックスも一歩間違えれば大変危険ということを、みなさんに認識していただこう。
 その昔我がジナレーシングクラブの暴れん坊で、岡山県出身の今は亡き唐川富治氏(別名:クレイジー唐川とも言う)のお話であります。それは、芦原のレースの時であった。彼はPCRを駆りオープンクラスで快走中にその事件は起きたのである。確か3,4番手を走行中の1コーナーで突然、あろうことか彼のPCRのサイドボックスが外れてしまったのである。それだけならまだいいが、なんと自分の落としたサイドボックスに乗り上げ、そのままアウト側のクラッシュパッドにクラッシュしていったのだった。それはもう激しいクラッシュシーンで、目の前で起きた唐川氏の惨劇に、当時まだ若手のパリパリだったワシも、思わず目をそむけたほどだったのである(内心はあまりの激しさに喜んでいたのだった)。
 パドックに戻ってきた彼に、事情を聞くと「サイドバンパーのネジ締め忘れたけん!!」とさすがは岡山県出身。本場の岡山弁を使い説明するのだった。
 何度も書くようだが、結局はこの手のトラブルも事前のチェックを怠ったからであり、いくらサイドボックスが義務付けになったから安心だといっても、一歩間違えれば飛んでいってしまうという例であるのである。
 其の7に続く。ではまた。

たけたけ愛猫さゃしゅけにボデープレスを見舞ったらゲーゲー吐いちゃったたろう さん 2001年 06月 06日 19時 35分 12秒
 ねーぴゃんへ!!
 ワシがなぜに小説家のような表現力豊かな文章を書くかというと、今から15年ほど昔に、岐阜放送の深夜番組にせっせとハガキを書いていたからだよーーん!!
 ちなみに、ワシの当時のペンネームは恥ずかしいので言えません。ではまた。

ぴょんこ さん 2001年 06月 06日 18時 09分 38秒
きょうはお休みだったので、「たけたろうの〜」をさかのぼってじっくり読ませていただきました。
ひとりでにやにやしながら、ときには、がはは!と笑いながら・・・。
しかしながら、たけたろう様の文章表現力の豊かさには感心するばかりであります。
そして、「なぜにそんなことがいろいろ起こるの?」ということに関しても感心するばかりです。
まぁそんなこんなの経験があるからこそ、今のたけたろう様の速さ(?)があるのでしょうね!
ところで、「ブラック魔王」さんはどうしちゃったの? 先日のSLでは久々アグレッシブな走りが拝見できると期待していたのに・・・。
ちなみに私は男はみつくろえてないけん、みつくろってほしいけん、よろしく!!

たけたろう さん 2001年 06月 05日 15時 45分 54秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 117」
 恐怖!!メカトラ物語 其の5

 走行前のマシンチェックで、是非とも確認してもらいたい個所は、なんといってもブレーキであります。ブレーキにトラブルが出たときの、あの恐怖といったら体験した人しか分かりません。ワシも他人がブレーキトラブルで飛んで行ったシーンを何度か目撃しているのだが、自分がまさにその瞬間に遭遇したときは本当にパニックであった。
 今から10年ほど前の話である。ワシは会社が早く終わったこともあって、津保川に遊びに行ったのでした(現在も会社が早く終わるとコースに遊びに行く成長のないワシであるが)。その日は土曜日ということもあって、我がジナレーシングの面々も5,6人ほど練習に来ていたのである。ワシの目的は、もちろん人のカートに乗せてもらうことであった。当然メットとスーツを持参してである。ワシは誰でもいいから乗せてもらえそうな人を物色していると、ストックに乗っていた左高さんという人が「乗る?」と言ってきたので、ワシは少し遠慮しながらも(本当は心の中で「ラッキィー!!これでわざわざ津保川まで来たかいがあったけん!!」と思っている)ちゃっと(名古屋弁だよ)持参したスーツに着替えるのであった。ワシに声を掛けてきた左高さんという人は、ワシと同じく長身で足が長くて甘いマスク(これはウソ)の持ち主だったため、他人のカートながらシートポジションもバッチリであった。
 さてコースインしたワシは快調に飛ばすのだった。人のカートとはいえ、乗り心地もまあまあである。しかし、わずか2周目のバックストレート後の5コーナーのヘアピンで、とんでもない事が起こるのだった。ワシはいつものようにブレーキングを始めると、いきなり「スコーン!!」とブレーキペダルがフロントのバンパーまで行ってしまったのである。「ぎゃーーーっ!!」こんな叫び声でも上げただろうか、ワシはとにかく焦ったのである。そのままコースアウトして真っ直ぐ行ったら、最終コーナーで飛び出してしまいます。しかも、この日は走っている台数が多く、もし最終コーナーで飛び出して、まったく罪のない人を巻き添えにするわけにはいきません。ましてや、そのまま激突すればワシも痛いのである。ワシはとっさにハンドルを思いっきり切り、そして体を大きく振ってスピンさせました。しかし、スピンさせたのはいいがブレーキがまったく利かないので、そのままダートの上をバックしながら、ピットロードの入り口のクラッシュパッドに乗り上げて、ようやく止まったのである。
 このブレーキトラブルの原因は、ワイヤーが切れてただけのことでした。本当に単純なトラブルであって、走る前にちょこっとチェックさえしていれば、防げたトラブルであります(まあ、ワシのカートじゃないので仕方のないことだが)。ブレーキにトラブルが発生すると、非常に危険です。へたすれば、他人をも巻き込む可能性が大いにあります。そして、自分もとてもスリリングな恐怖を味わうことになってしまうので、これからはみなさんもよく注意して走行前の確認作業をしっかりやっておくことが大事であります。
 其の6に続く。ではまた。
 

たけたろう さん 2001年 06月 04日 19時 41分 28秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 116」
 恐怖!!メカトラ物語 其の4

 さすがのワシも今までタイヤを飛ばしたことはないが、その昔信じられないものが外れてしまってリタイヤした経験があるのである。97年の瑞浪で行われた地方選に、ワシがスポット参戦したときの話である。
 一応93年から3年間地方選に参戦していたのは、みなさんご存知だろうが、その時のチーフメカを勤めてくれていたのは、今は亡き西浦群馬県民浩二氏であった。しかし、今回メカを買って出たのは、長野県で『松乃園』というお茶屋さんの跡取り息子の松下賢治氏であった。松下氏といえば、今や伝説となりつつある「生ガス事件」の張本人である。生ガス事件とは、昔原さんの全日本のメカをやっていた松下氏が、あろうことかガソリンにオイルを混ぜるのを忘れてしまい、哀れ原さんはそのレースの公式練習の2周目に、ナンバー1エンジンを壊してしまったという信じられない本当の話である。
 そんな彼が、ワシのメカニックをやってくれるとは、涙がチョチョぎれそうになったワシである。「んんっ!!今日のレースはワシもしっかりマシンチェックをしとかんと、なにかが起こるかも知れんがや」と気を引き締めるのだった。しかし、予選を5番手で通過したワシは、決勝ヒートに向けて大幅なセッティング変更を、メカの松下氏に命じるのだった。その内容は、スプロケットの変更、リヤハブの変更、フロントの車高調整などなど、時間のない中二人であわててセッティング変更にとりかかるのだった。
 そして、いよいよレースが始まったのだが、やはりワシの読んだセッティング変更が当たり、ぼちぼちいいレースが出来ていたのである。しかし、まだ5周目に入ったところのブラインドで「ウィーーン!!」とチェーンが切れたのである。ワシはすぐのヘアピンの脇に、マシンを止め後ろを覗くと、一瞬自分の目を疑ったのである。なんと、チェーンが切れてしまったとばかり思いこんでいたワシの目には、リアシャフトがまるでフラフープをしているかのように、スプロケットが「カランカラン」と回っていたのであった。そりゃーあそうでしょう。この日下ろしたてのチェーンが、そう簡単に切れるはずがありません。普通は3点止めしてあり、外れるはずのないリアスプロケットが外れてしまうという、考えられないトラブルである。思いおこせば、ワシは一生懸命フロントの車高調整をしていたのであって、犯人はすぐに判明したのである。
 しかし、もとはといえば、ワシがチェックを怠ったのが原因であって、決して松下氏の責任ではないと思うのである。結局何事もゆとりを持ってやらないと、痛い目にあうということである。これは、レース中のことだけではなく、走る前にいつでもマシンチェック、確認作業をしっかりやっておくことが大事なのである。
 其の5に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 06月 01日 15時 20分 38秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 115」
 恐怖!!メカトラ物語 其の3

 まあボルトやナットの締め忘れによるメカトラというのは、人為的ミスによるものであり、一番目に付くトラブルである。その中でも一番恐いのは、なんといってもタイヤが外れるというものである。ワシは幸いにも(奇跡的?)今までタイヤが外れるといったトラブルはないのだが、タイヤが外れて大クラッシュしたドライバーを何度か目撃したことがあるのでなおさらである。そして、このトラブルは見ているギャラリーにも危害を与える可能性があるので恐いのだ。
 昔、津保川の地方選を見に行ったときの話である。ちょうどワシは1コーナー前のスタンドで公式練習を見ていると「ギャギャギャ!!ドッシャッ!!」と目の前のクラッシュパッドに後ろ向きでクラッシュしたカートが。とその瞬間ワシのすぐ真横にリアタイヤが飛んできたのである。たまたまそこに居合せたギャラリーは、ワシと今や世界に羽ばたくトップドライバーの高木虎之介選手で、ワシとトラちゃんは「おおーーーっ!!」と互いに恐怖の雄たけびをあげるのであった。タイヤが外れると、なぜか知らんそのスピードで一緒に転がってくるので本当に危ないのである。そんなのが当たったりしたら、それこそ大怪我につながるので、ギャラリーのみなさんもよく注意をしなければいけないのである。
 前にも書いたが、三重のレースで今は亡き中村秀康氏のメカニックをやったときに、1コーナーでリアタイヤがハブごと抜けてしまい、哀れ中村氏は大クラッシュしてしまったのである。そんなときはメカを引き受けた人も大きなダメージを追ってしまうのでつらいのである。勿論ハブの締めつけの甘かったワシに責任があるのだから、その時は穴があったら入りたいといったような心境である。レーシングカートという乗り物は、タイヤが4つ付いていないと走れない物なので、最低でもタイヤだけはしっかりと取り付けてもらいたいものである。
 其の4に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 05月 31日 15時 42分 47秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 114」
 恐怖!!メカトラ物語 其の2

 一年ほどした、ある津保川のSLレースのことです。その日のワシは、朝から絶好調で見事ポールポジションを獲得したのであります。予選の結果からいって、決勝ヒートでもワシの勝利はほぼ確実な情勢であった。なにごともなければ、100パーセント優勝というとき、思わぬトラブルに見まわれるのである。
 ローリングが始まり、ワシは後続のマシンを引き連れ2コーナーから3コーナーに差しかかったところで異変を感じたのである。「あれっ??ハンドルが切れんがや!!」とワシはそのままダートへと、真っ直ぐ飛び出してしまうのであった。当時のヤマハのストックは、ハンドルを切りすぎてもフロントのナックルがフレームに当たらないように、ストッパーの役目をするボルトが付いていたのだが、なんとそれを止めていたナットが緩み、ボルトがこっちに出てきてしまったのであった。当然ハンドルをちょこっとでも切ると、すぐに当たってしまうので曲がれなくなってしまうのである。
 ダートに飛び出してしまったワシは、思いっきり焦った。そして、コントロールタワーに向かって大きく手を振るのだった。「おーーい!!ポールが止まったぞーーっ!!」と。当時のSLレースの規則で、ポールポジションがローリングで止まったら、赤旗再スタートという現在ではとても考えられない規則があり、ワシはかろうじて命拾いするのである(ちなみに再スタート後、ワシは独走ぶっちぎりで優勝するのだった)。
 こういうトラブルは、本当に単純なことであり、しっかりとメンテナンスさえしていれば防げるのである。しかし、人間という生き物はすべて完璧にはいかないので仕方がないといえば、仕方がないのである。ボルトやナットの閉め忘れ、または締め方が甘いというトラブルは、我々レーシングカートドライバーやメカニックに常につきまとうのである。
 其の3に続く。ではまた。

とうま さん 2001年 05月 29日 22時 35分 58秒
なかなか美しい掲示板じゃないですか。
私もホームページをつくろうと
したのですが、写真はっただけでした。
ちゃん ちゃん

syunさんがんばれ
くんでばらして
くんでばらして
組んで、バラして。
覚えるのよ。はい

とうま さん 2001年 05月 29日 22時 35分 44秒
なかなか美しい掲示板じゃないですか。
私もホームページをつくろうと
したのですが、写真はっただけでした。
ちゃん ちゃん

syunさんがんばれ
くんでばらして
くんでばらして
組んで、バラして。
覚えるのよ。はい

とうま さん 2001年 05月 29日 22時 35分 37秒
なかなか美しい掲示板じゃないですか。
私もホームページをつくろうと
したのですが、写真はっただけでした。
ちゃん ちゃん

syunさんがんばれ
くんでばらして
くんでばらして
組んで、バラして。
覚えるのよ。はい

たけたろう さん 2001年 05月 29日 15時 37分 18秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 113」
 恐怖!!メカトラ物語 其の1

 メカトラ・・・。ああなんて忌わしい言葉だろう。レーシングカートをやっている以上必ず付きまとうメカトラ。相手が機械であるため、切っては切れない関係である。ワシも長年のレーシングカート人生で、数多くのメカトラを体験したものである。練習中やテスト中のメカトラは、さほどダメージはないのだが、いざレース中に起きるメカトラには、はっきり言ってお手上げである。さて、これからワシが実際に体験した、また身近でおこった恐怖のメカトラ物語の始まりであります。
 メカトラといっても、ピンからキリまであるのは当たり前である。ワシが初めて体験したメカトラを紹介しよう。今から11年ほど前のことである。ワシがまだ初々しいビギナーの頃、津保川のSLレースの日である。その日、朝から雨模様でワシはあわただしくレインタイヤに履き替えていたときのアクシデントだった。6ミリのTレンチで、リアハブのボルトを締めた瞬間「ウニュッ」とやってしまったのだった。そうです。ボルトの締めすぎでナメてしまったのであった。しかし、代わりのハブなんて持っていないし、ましてやカートビギナーの初々しいワシは(ほんなら今は憎たらしいワシなのだろうか?)(西濃弁ではちょーすいとるワシとでも言うのかしらん??)まだ他のチームの人に、助けを求められないでいたのである。仕方なく、ワシはそのまま走ることにしたのである。当時のヤマハのストックは、リアタイヤがハブごと抜けないように、シャフトのはしにストッパーが付いていたのでタイヤがとれてしまう心配はなかったのだが、案の定もどってくるとタイヤが内っ側にずれていて、クラッチに当たっていたのである。当然、クラッチとタイヤがこすれてけずれていたので、ワシの右のリアタイヤはパーになってしまったのである(それも新品のレインタイヤだがや)。
 まー、それからどうなったかは忘れてしまったのだが、勿論その日一日苦労したのは言うまでもないのである。こういう単純なメカトラはしょっちゅうである。今、一生懸命ワシの過去のメカトラ劇を思い出しているのだが、だんだん腹が立ってきたのである。
 其の2に続く。ではまた。

Syun さん (e1101@edu.gifu-nct.ac.jp) 2001年 05月 25日 16時 26分 46秒
KILTさん

ブレーキは動いてません!!ブレーキオイル入ってないし・・・。
ブレーキオイルを入れるところのねじがかたくて動かないんです・・・
泣けてきます。

カート走行は、ないっす!!!!まったくもって初心者。

いいんですかんねこんなんで・・・(−_−;)

たけたろう さん 2001年 05月 24日 15時 25分 10秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 112」
 たった一度の全日本選手権 其の11

 予選通過がほぼ絶望的となったワシだが、とりあえずまだ予選第2ヒートが残っていたので、それに集中することにしたのである。雨はようやく小降りとなり、だんだん明るくなってきました。セッティングもそこそこ決まっていたので、あとはもう行くのみである。アウト側スタート(確か16番手か18番手だったと思う)のワシは、日章旗が振られた瞬間アクセルを踏みこむのだった。とそのとき、イン側スタートの連中が多重クラッシュを引き起こし、ワシはいきなりの大幅ジャンプアップに成功するのだった。そこから先は、もうイケイケ状態でパカパカ前のカートを抜いていくのだった。しかし小雨の中、おまけに西日が出てきたものだから、水煙が反射して前がまったく見えない状態で、これ以上の追い上げは断念するしかないのであった。
 ワシは、このヒートを6番手(だったと思う)で終え、おまけにレース中のラップタイムもトップを走っていた奴よりも速かったのである。「ここまで追い上げれるんやったら、なんで1回目の予選を諦めてしまったんやろう」と後悔することしきりなのであった。しかし、もう遅いのである。とりあえず、決勝に出られることを願って準備をしていたのだが、あえなく予選45番手くらいで脱落するのであった。
 こうして、ワシの全日本は終わったのである。出来ればドライでレースがしたかったのだが、天候にはさからえないし、また雨が降っても全日本は全日本なのであった。思えば、前代未聞の全日本当日入りをやってのけたワシだったのだが、仕事とはいえ全日本選手権に当日入りして、予選を通ろうという考えも甘すぎるのである。また、こんなワガママのワシに付き合ってくれたメカの伊藤ちゃんと原さんにも頭が下がる思いでいっぱいである。
 ちなみに、この日ワシが出場したFAクラスでトップが車検失格したとはいえ優勝したのは、ウィリーの宮森君であった。2位は清井ちゃんで、ICAクラスでも高須君が優勝(だったと思う)し、前年までの地方選で顔見知りでワシとよくしゃべってくれた3人が華々しい全日本デビューを飾ったことが、嬉しかったのであった。
 一人かやの外に取り残された感のワシだが、このたった一度の全日本参戦で得た教訓が、この後大きく役立つとは思いもしないのであった。
 続く。ではまた。

とうま さん 2001年 05月 24日 06時 13分 44秒
うおおおおおおお
こりゃ目に毒だ
ゆうひこさんには見せたくないな

いつも発情期だから

ゆうひこ さん 2001年 05月 24日 00時 08分 21秒
まあしい 最高
どうしたら、脱がせるの?

KILT さん 2001年 05月 23日 13時 57分 37秒
Syunさん

 私 KILT が お答え致しましょう。
 Syunさんの買ったカート、ブレーキはしっかり動いてる?
ブレーキが効かないと、大変な事になっちゃうよ。
それからPV-50というエンジンのキャブレター開度が分からないと言う事だけど、
 Syunさん、カート走行ありですか? 何時間位? 何回位? 

 キャブセット 下1:00
        上  20 
   これ位だったら、プラグはかぶらないかもね!           

まあしい さん (mercy@jina.co.jp) 2001年 05月 23日 13時 42分 58秒
どうも、どうも、まあしいです。
大ニュースです!!
なんとレースクイーンのページができました。
どんなものか皆さんチェックして下さい。

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