たけたろう さん 2001年 10月 14日 19時 21分 05秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 144」

 全国制覇 其の4

 さて、いよいよチャンピオン大会が近づいてきました。イメージトレーニングだけはしっかりこなしたワシだが、さすがに走りこみ不足の為不安は隠せません。なにせ、ニューマシーンでの走行は、シェイクダウンをかねたSLレースとエンジンのナラシだけである(ひょっとこしたらもう1回走ったかも知れんが??)。もちろん、ありとあらゆるセッテイングを試したのだったが、いかんせんまだものにはなっていなかったのだった。
 そして、レース前日のことであります。我がジナレーシングクラブからチャンピオン大会に参加するドライバーのほとんどは、当然最後の調整のため、コースへと繰り出しています。ワシはといえば、当然お決まりの当日入りのため、店のガレージでせっせとメンテナンスをするのである。調べによると、既にコースでは47秒台がポンポンでているとのこと(現在の瑞浪のPSクラスは47秒台は当たり前だが、当時の47秒台は驚異的タイムである)。なかばあきれぎみのワシは、電話や新聞で翌日の天気予報をチェックするのだった。
 どうやら、明日の天気は雨である。降水確率もかなり高い。ワシは、完全にレース当日は雨と信じ切って、おニューのレインタイヤも購入しておくのだった。ちなみに、ワシは雨が嫌いだ。なぜならば、濡れるし(当たり前だ!)寒いし(冬やけん!)後片付けがめんどうだし(エンジンを開けて掃除するのが特にいややけん!)。しかし、雨だとけっこういい走りが出来るのである。やはり、ワシのこの181センチの長身を生かして滑りやすい路面を強引にグリップさせる走り方が、いつもさえまくるのである。おまけに、普段は重量オーバーで苦しむのだが、雨の日はギアさえ大きくすればなんとかなるし。
 「ムフフッ。これはいいぞ。やっぱりワシは雨がいいっ!!うまくいけば、明日は賞金ゲットだがや!」とも思ったが、よーく考えれば、ニューマシーンで雨の日1回も走ったことがないがや!!いくら雨が得意なワシでも、やはり雨セットが決まっていないとまともに走れません。どうしよう。
 「まあいい。なんとかなるさ。予選くらいは通るだろう。」なんとも安気なワシである。ちなみに、いっしょにメンテナンスをしていた、ワシと同じ当日入りの今は亡き後藤さんは、翌日のレースで思わぬ結果を残すことを、このとき誰も知る由もないのだった。
 其の5に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 10月 13日 19時 03分 25秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 143」

 全国制覇 其の3

 思わぬ形でフレームを購入してしまったワシだが、いざニューマシーンと対面すると「おおっ!!」と声をあげるのであった。H氏のフレームは、埃こそかぶっているが、磨けば光る原石のようなマシーンであった。さすがは1レース仕様である。おまけに、マメな性格のH氏のことである。フレームの底の擦り傷も、きれいにペイントして補修されてあるのである(ワシは絶対にそんなことはしない!!)。ワシの気持ちは、既にPCRのことなど忘れて、すっかりヤマハユーザーへと移って行ったのである。
 さて、そのニューマシーンのシェイクダウンはといえば、すぐに開催された瑞浪のSLレースである。もーーちろん得意のぶっつけ本ちゃんである。その第一印象は「大変乗りにくいフレーム」であった。それもそうだろう。練習なし。シート位置もてきとうに付けたためか、前後のバランスが最悪だったのだ。とにかくリアのトラクション不足が目立ち、フロントが入りすぎるわけの分からないマシーンであった。
 まあ、ワシは走れただけでもヨシという感じで気にも止めなかったのだが、これから先のことを思うと心配である。なぜならば、ワシは12月に開催される「PSーPCR全国チャンピオン大会」までに、このマシーンをほとんどテスト出来ないからだった。ご存知の通り、この時期のワシは岐阜県名産『柿』と格闘しており、朝は5時半から、夜8時半までぶっ通しでお仕事である。日曜日はとりあえず休みなのだが「もう寝るーーーー」状態である。とにかくカートどころではないのである。カートに乗るくらいだったら寝る!!である。おまけに『柿』の時期が終わるのは、12月の一週目だからお先真っ暗なのだ。
 しかし、そんなワシでも、エンジンのナラシだけはなんとかこなし、風呂や便所のなかでしっかりイメージトレーニングして全国大会に備えるのであった(ワシのイメージトレーニングは、優勝したときのガッツポーズまで組みこまれているのだ。はっきりいってそんな姿を人に見られたりでもしたら・・・と思うとゾクッとするがや!!)。
 其の4に続く。ではまた。

いとうかずお さん 2001年 10月 12日 19時 44分 40秒
 11月のサポート日、スケジュールに書いておきました。
 ココをクリック!!!

や〜の さん 2001年 10月 11日 23時 53分 19秒
ジャスミンさん、三田さんはこのページを見たこと無いらしいですよ。
あきらめて、早く、ソフトのシャフトを試してください。

ぴょんこさん、焼きとうもろこしは無かったけど、おいしいラーメンはありましたよ。


ジャスミン さん (bqy02025@nifty.ne.jp) 2001年 10月 10日 23時 57分 08秒
はじめまして、ジャスミンと申します。
ジナレーシングさんの掲示板に登場するのは初めてなの!ヨロピクね!
なんかこの掲示板見てて(9日の「フルティーさん」のコメントよ!)
ちょっとむかついたんだけどー、10月7日の鈴鹿のレースのことなんだけどさあー、
カズサンと龍徳は本当にお疲れさまでした!(2人共たいしたことないのね!なあんちゃって)
それはともかく、なんでいきなりぶるーとの伊藤君に行っちゃうわけえ?信じられなーい!
その前に、出てくるべき人がいるんじゃなくてぇ?えっ、あまり仲良くないの?
そうなんだあー。本人にそう言っておきます。これからの付き合い方が変わるかもよ!
そうそう、この場で私が言いたかったのは、トニーの50φノーマルシャフトを貸してくれた
三田さんにお礼を言いたかったの。どうもありがとうございました。
おかげさまで、3位に肉薄した4位でフィニッシュすることができました。
ところで、あのシャフトいつお返ししたらいいのかしら?
ユウヒコさんや大ちゃんが早く返せって脅迫するの!とっても怖いの!わたし!
でも、今度の瑞浪でお返ししなくちゃ!とは思ってます!
「N」が「H」に変わってても気にしないわよね?三田さん?
じゃあ、またね。

たけたろう さん 2001年 10月 10日 18時 52分 23秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 142」

 全国制覇 其の2

 それは、97年のことでした。当時のワシは、地方選手権をリタイヤし、ただのレジャーカーターの一人として、細々とカート活動していました。おまけに、地方選の時に溜りに溜まった借金の返済の為、ニューマシーンなど買うおじぇじぇ(資金)がなく、仕方なく3年落ちのPCRに乗っていたのである。もちろん、地方選で使い古したマシーンのため、そこかしこに溶接を施し、サイドボックスはテープで補強し、シートの穴の開いた個所はアルミの板を貼りつけリベットで止めてあるというありさまである。
 はっきりいって、既に限界を超えていたマシーンだったのだが、それでもたまーにニュータイヤを付けてレースに出ると、好結果を残すのである(ちなみに、あるレースにこのポロンコマシーンで優勝したワシは、賞品にPV50をもらったのだった)。それだけ、ワシと一心同体になっていたマシーンだったのだが、この年の秋に手放すことになったのである。
 今も現役のH氏が、ワシにこう言ってきたのだった。
 「フレームいらん??」調べによると、H氏のマシーンは前年の秋に購入した、ヤマハの97年型ウインフォースで、1回レースに出場して以来ガレージで埃をかぶっていたのである。どうやら、当時のH氏は仕事やらが忙しく、カートどころではなくなっていたらしいのである(今はそんなことはないが)。どうせ乗らんのだったら、誰かに売ってしまったほうがいいと思ったのだろう(誰でもそう思うが)。そんなときにちょうどワシが、ポロンコマシーンで奮闘していたのを知ってか、声をかけてきたのである。
 ワシは悩んだ。なぜなら、それまでずーーっとPCR一筋で、7機ものPCRを乗り継いできたのである。はっきりいって、ワシはPCR準ワークスドライバーと思っていたほどである。「いまさらヤマハになんか乗れるかい!!」とまで考えていたのだった。しかし、とりあえず、お値段だけは聞いてみたのである。
 「15万でいいよ」
 「買うーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
 今思うと、大変安い買い物だったのである。
 其の3に続く。ではまた。

ぴょんこ さん 2001年 10月 10日 00時 23分 45秒
またまた空白の時間が・・・。
みなさまには多々ご迷惑をおかけしたと思います。
ごめんね〜。
ところで今回は焼きとうもろこしなんてなかったよね?

ちなみに8日は言わずとしれた、二日酔いでぶったおれておりました。
津保川組のみなさんはおつかれさんでした。

フルティー さん 2001年 10月 09日 21時 42分 22秒
 鈴鹿選手権に出場された、かずさん、たつのりくんお疲れ様でした。そして、ぶるーとの伊藤君
優勝おめでとうございました。かっこよかたです。      
 そしてそしてその夜の悪魔の館でのいつのまにか朝までの飲み会、そしてチームグりーン公開こそれん
&エンジンならしin津保川(みんな二日酔い)。いやー、ほんと充実した三連休でした。
 そして高山に帰ってきて、昨日までは天国にいたのに今日は地獄です。めめめ免許が停止に。明日から
とうぶんのあいだ会社に泊まり込みです。しかし14日の瑞浪のレースなんとか出ます。ぜったい出場する
ぞー。それでは・・・。

 


ねーぴゃんの愛人!!ゆうひこ?? さん 2001年 10月 07日 23時 39分 01秒
 今宵は悪魔の館で飲み会やけん!!
 ぴょんこねーぴゃん遂に壊れた!!
 オトコ豊富だが、好みのジャニーズ系いないらしい!!
 こまったもんだ!!
 もうすぐ四十路!!

ぴょんこ さん 2001年 10月 07日 23時 34分 20秒
酔っ払いです〜!

明日は津保川逝きます!!

ゆうひこ さん 2001年 10月 07日 23時 04分 03秒
 池ちゃん元気??以上!!

たけたろう さん 2001年 10月 06日 18時 07分 50秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 141」
 
 全国制覇 其の1

 『全国制覇』
 ああ・・・なんていい響きなんだろう。全国を制するということは、すなわち日本一ということである。なかなかこの世の中、日本一になるという人はそういないはずである。しかし、人間何が起こるか分からないのである。こんなワシでも「元日本一」という肩書きの持ち主なのであります(ついに出たーーーっ!!究極の自慢話の始まりであります)(まあ最後のお話なので許してネ。ウフ)。
 レーシングカートの世界で、全日本選手権を除くホビーカターの全国大会というのは、みなさんご存知の「SL全国チャンピオン大会」(今もやってるかどうかはワシは知らん!!)が有名である。しかし、この大会は参加台数が制限されているため、多くて1クラス60台弱で争われる為、そうたいしたことはないのであります。
 そして、もう一つ有名なレースといえば「PSーPCR全国チャンピオン大会」であります。北は北海道から、南はどこやらの全国各地のコースで幅広く開催されている『PSーPCR』クラスの全国大会が、毎年12月のどえりゃーさびー時期に開催されるのである(いまさらそんな説明はいらんか・・・)。この大会の歴史も以外と古く、今年の大会で10回目をむかえるのである。
 参加台数もレースの安全面や、タイムスケジュールのことなどまったく無視し、儲けることを重視するためフリーで、多いときは90台以上の参加台数を集めたときもありました(まあそれだけこのクラスが一般的に広まっているということなのだが)。
 過去9回の歴代優勝者を見ると、その後全日本にステップアップし活躍した人。4輪レースで活躍する人。元全日本ドライバー。最近は将来有望な、恐いもの知らずのちびっこレーサーなどが、顔をそろえるのであります。
 この9人の、栄光を勝ち取った歴代優勝者のなかに、今では考えられないが、ワシがいるのである。「ええーーーーーっ!!うそーーーーっ!!」と思われる人もいるだろうが、これは本当の話なのであります。
 そういうワシも、今思うと信じられないのだが、その日の出来事は、今でも鮮明に覚えているのであります。
 其の2に続く。ではまた。

今日も明日もたけたろう さん 2001年 10月 04日 16時 06分 44秒
 んんーーーーーーーーーーーーっ!!
 フルテー君のあまりにもショッキングな免停事件のおかげで、クラブマンレースの話題がどこかへいってしまいましたねぇ・・・。ジナレーシングさん第一希望日の10月8日まであとちょっとなんですが、一体どうなってしまったんでしょうか??
 それはそうと、ねーぴゃんにワシのまねをされて嬉しい反面、複雑な心境の今日この頃のワシだが、いいかげん「たけたろうの・・・」を書かんといつまでたっても連載が終らんけん!!しかし、いよいよ柿シーズンの到来のため(あとミカンのネット詰めがあるけん)忙しくなるので、パソコンなんかさわっとる場合ではないのである。
 こうなったら、連載休止という案も出てきたのだが、全国30数人のたけたろうファンを見捨てるわけにもいかないため、いよいよ次回の「たけたろうの・・・」は、最終章になるのであります。乞うご期待(誰も期待しとらん??)。ではまた。

ないしょ さん 2001年 10月 02日 23時 03分 50秒
免停ボーイさんくじけずカートやりましょう。
昔免停になった人はたくさんいましたよ。
長期免停になってもカートショップのオーナーができるんですから。


ぴょんこ さん 2001年 09月 30日 22時 40分 55秒
んんーーー!!みんなごくろう!!(もちろん誰かさんのまね)
きょうもきょうとてみなさんは瑞浪に行っていたのね。
私は仕事で午前中は多治見に、午後は瑞浪をふっとばして恵那におりました。
それにしてもフルティーの免停は、プライベートはいざしらず、
仕事には影響ないの??
まぁ、何が原因で免停になったのかはよく知りませんが、
「スピード出すなら瑞浪で!」(これもどっかで見たね)
14日は昔にかえって「おかん」の運転でレースに参加してください。

けんぞー さん 2001年 09月 30日 22時 25分 35秒
本日瑞浪に行かれた皆さんお疲れ様です。
とくに、上宝からえっちらほっちらやって来て、準備完了さぁ走ろう!という時に雨が降って来て走行断念。
「じゃあ片付けよう」となった時にシャフトの曲がりを発見されて、自前のハンマーでガンガン直して再びえっちらほっちら山奥へ消えていったフルティー、本当にお疲れさまです。
あなたのそのカートに対する姿勢に感心いたします。・・・でも彼は今日一体何をしに来たんでしょう?
で、そのフルティーの免停事件。話には聞いてたんだけど10月9日からなの?じゃあ14日のSLはどうするのよ?
いつもマシーンの積み下ろしを手伝ってくれる「おかん」のドライブでやって来るとか?それはそれで楽しみかも・・・?

皆さん安全運転でいきましょう。 


フルティー さん 2001年 09月 30日 00時 58分 34秒
 ショックですは。またまた免停ですは。10月9日から車乗れません。まじやばいです。
でも、クラブマンが開催されるのであれば、飛騨の山奥からなんとしてでもサーキット
にむかいます。
 できればクラブマン開催してほしいです。しかしみんなの都合が会うようにしなければ
ならないのでむずかしいですね。うーんむずかしい。

まあしい さん (mercy@jina.co.jp) 2001年 09月 29日 18時 15分 35秒
URL:http://www.jina.co.jp/flash/menber.html
どうもまあしいです!
そいえばホームページ変わっているの知ってましたか?
上のバーの一番左に「MENEER」とあるのでそこを押してみてください
今のとこ「八木 元気」さんと「水野 麻美」さんを掲示しました。
今後良い写真等ありましたら続々と掲示していきたいと思います。
またジナの2階に写真を貼っていましたが、
代わりにここに掲示していきたいと思ってますので、
写真を撮らせてください!
てなことでみなさんジナに来てください!
新井が写真を撮ってくれると思います。

けんぞー さん 2001年 09月 29日 00時 47分 17秒
何やフルティー、また何かやったんか?

ゆうひこ     さん 2001年 09月 28日 23時 08分 18秒
 今年のクラブマン中止ですかゥ・
10月でも11月でも良いのですが、日程を早くきめて下さ。私としては、8日の祭日より出来れば、土日でお願いします。チームグリーンのこそ練の日程が決められません。

 けんぞうさんへ 
月3回が何だと僕は日水日と週3出たこと何度かあるよ。もう一つ、「毎年クラブマンはやるもん」は賛成です
高山の古田選手 車の免許大丈夫


たけたろうたけけたろう さん 2001年 09月 28日 15時 18分 19秒
 んんーーーっ!!
 さすがは部外者のねーぴゃんである(ワシは全然部外者だとは思っていないが・・・)。
 ワシの考えとまったくもって同じである。
 こうなったら、今年のクラブマンは中止!中止!!
 来年パーーーーッと思いっきりやったほうがいいじゃーあないですか!!

 今年のクラブマンでデビューをもくろんでいた方には申し訳ないが、その分たーーーっぷりと練習して、デビューウィンを狙ってもらうのもいいと思うのである。

 まあ、これはワシの勝手な意見だが、やるんだったらやる、やめるんだったらやめるのを早めに決めてほしいものであります。もしやるのだったら、また『馬』作らないかんし・・・。ではまた。

ないしょ さん 2001年 09月 27日 22時 52分 28秒
ううううう苦渋の選択だあ

ぴょんこ さん 2001年 09月 27日 11時 28分 05秒
そーですねー、クラブマンレースがデビュー戦という人は少なくないと思います。
そんな私もそうでした。♪あれは○年前♪、どきどきもんでした!
なんと、瑞浪を午前中のみ借り切ってのあわただしいレースでした。

さて、今年のクラブマンレースですが、
部外者の私がいろいろ言うのもなんなんですが、
10月や11月ではいかんせん、急すぎるというのがみなさんのご意見だと思います。
ここはやはり来年に持ち越しということで、
来年の瑞浪のスケジュールもできあがっていると思いますので、
早めに日程をおさえ、
(できれば春先にね、2002年、ひとりでも多くの人にレースの楽しさをわかってもらえたらねぇ)
早めに告知し、それで、わーーーーーっといく!!??
ってのはどぉ??
いちおう、私もそれまでに、参戦計画を練っておきます!?



高山の長屋 さん 2001年 09月 26日 22時 45分 17秒
クラブマンレースは、レース初体験の初心者クラブ員のみなさんもかなり出やすいレースであると
思うんですけど、(私もレースデビューはクラブマン!)レースも楽しいし、その後の打ち上げで
いろんな交流があって良いのではないでしょうか?
できれば打ち上げの行きやすい土曜日なんかは魅力的ですね・・・。でも土曜だと来れない人もいるん
ですよねぇ?
うーん、色々考えると11月の方が、みんなのスケジュールをあわせやすいかも?寒いかなぁ・・・?
あやふやな意見で申し訳ないです・・・。

あと、たけたろうさんの提案している、春と秋の年2回クラブマンは大賛成ッス!

けんぞー さん 2001年 09月 26日 19時 47分 59秒
んーそうか、鈴鹿のレースが7日に入っていたのか・・・たしかにそれでは鈴鹿に出る人はツライですね。
第二候補(?)の11月17日は、その前後の週末にレースがあるから僕は3週連続レースになってしまうんだなぁ・・・
ひと月に3度もレースをするのはいろんな意味でツライっす。・・・かなり個人的な意見で具体案も出さずに申し訳ないですけど。

たけたろうおけけたろう さん 2001年 09月 26日 15時 56分 58秒
 むむーーーーっ!!
 今ごろになって「10月8日がコース空いてるからクラブマンレースやりますよ」では、なかなかむずかしいんじゃないかとワシは思うのである。
 もちろん、ワシは出たい!!
 しかし、ワシにも予定というものがあり、それと資金的な問題も抱えているのである。
 そして、7日に鈴鹿のレースに出るという人のことも考慮してほしいのであります。

 まあ、この時期レースがたくさん詰まっていた為、日程的に予定が立てられなかったということもあるが、今年のクラブマンレースは、思い切って中止にして、来年春と秋に2回開催するというのはどうでしょう。それも、春は某2000円で走れるコースでやって、秋は瑞浪でやるという具合に・・・。
 
 これは、あくまでもワシ個人の意見なので、賛成、反対意見のある方はどんどん書きこんでちょーよ!!
 でも、本当はクラブマンレースには出たいワシであります。ではまた。
 

ジナ レーシング さん 2001年 09月 25日 22時 18分 56秒
10月8日では、時間がなさ過ぎると言う意見もあり

11月17日と言う案もあります

皆さんも考えてみてください

次回10月7日のミーティングでは、議題は、

”クラブマンレースについて”でした。

意見よろしく

高山の長屋 さん 2001年 09月 25日 21時 28分 33秒
10月8日ですか?寒くなる前に走れるのは良いですね!
もちろんエントリーしますよ〜。

アンドー1 さん 2001年 09月 25日 20時 28分 46秒
レースリザルトの掲載ありがとうございました。

某有名カートショップのオーナー様
こそ練 バレバレですね(^^)

お体を大切に・・・・。

けんぞー さん 2001年 09月 24日 23時 21分 29秒
いきなり来ましたね、10月8日なの?TIA CUPって7日じゃなかったの?スケジュール見間違えたかな?
まぁ僕としては毎年クラブマンはやるもんだと思ってるので、やるという話になればエントリーしますけど。


ジナ レーシング さん 2001年 09月 24日 22時 04分 08秒
緊急連絡

10月8日TIA CUPの予定でしたが中止となりました。

そこで我がジナレーシングのクラブマンレースを開催したいと思いますが
皆様は、どう思われますか?これを見た人、意見を書き込んでください。

10月8日は、瑞浪で第10回クラブマンレースができるかな・・・・
時間が少ないのが気がかりですが今年もやりたいクラブマンレース!!

よろしくお願いします。




たけたろう さん 2001年 09月 24日 18時 52分 52秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 140」

 『ジナレーシングミステリー劇場』
 岡山県中山サーキットギックリ遠征事件 其の11

 最後尾にマシーンを付けたおとっさんは、当然のごとく原さんと大ちゃんの豪華2丁掛けでスタートしていったのである。しかし、いくら百戦錬磨のおとっさんといえども、いかんせんこの体では、とうてい予選を通過するなどとうてい無理なはなしである。「まあ、走れただけでもいいか・・・」そんな状況であった。
 そして、いよいよ日章旗が振られてスタートである。さすがのおとっさんも、無理をせず大幅に出遅れるのだった。とその時である。「あーーーーっ!!」なんと、上位を争っていたマシーンが、1コーナーで多重クラッシュするのである。それも、5,6台のマシーンが、アウト側のクラッシュパッドに激しく突き刺さって行くのであった。おまけに、それを見た直後のマシーンも減速したため、大きく出遅れていたおとっさんは、そのスキをついて2コーナーまでに、一気に8台ものマシーンをかわすことに成功するのである。ということは、最後尾スタートで予選通過など絶望的だったおとっさんの順位は、なんと予選通過ギリギリの6位にまで、ポジションアップしてしまうのだった。こうなったら、もうギックリ腰なんて言ってられないのである。おとっさんは、必死に後続のマシーンと格闘し、なんと予選を通過してしまったのだった。
 なんという幸運か・・・。公式練習後のあのアクシデントで倒れたおとっさんが、奇跡の復活をとげたのであった。それは、なんとしても故郷に錦を飾ろうという、おとっさんの怨念か・・・。それとも単なる偶然か・・・。しかし、おとっさんは自分がギックリ腰で倒れた直後、あろうことか中山に招待していた両親に「来るな!!」と電話を入れ、自分の晴れ姿を見せられなかったことを、後悔するのであった。
 その後の決勝は、どうなったか忘れてしまったが(だっておとっさんのアクシデントがあまりにもインパクトがありすぎたけん)帰りのジナ号は、大変だったことは言うまでもないのである。
 それからというもの、それまでおとっさんには『わかめ』(スピンしたときに、よくハンドルを離したためバックしながらよくわかめ状態になっていたから)や『ズラさん』(頭の皮膚が柔らかいのか、かつらのように前後に大きく動くため)というニックネームがつけられていたが、新しく『ギックラズラさん』と呼ばれはじめたのは、当然の成り行きであった。
 続く。ではまた。

こそれん ぱーとT さん 2001年 09月 20日 19時 37分 30秒
  チャレンジカップに、エントリーしたクラブ員の皆さん。

 当日の、ゲートオープンは、7時でーす! くれぐれも寝坊しないように。

 今日もコースは暑かった・・・

 


ないしょ さん 2001年 09月 19日 06時 30分 31秒
体に気をつけて 無理しないように
心臓に悪いから

ないしょ さん 2001年 09月 19日 06時 29分 04秒
某有名カートショップのオーナーは
来る某チームのクラブレースに向けて
某ニー 某φ を 投入の情報
こそ練 しているらしい

アンドー1 さん 2001年 09月 18日 18時 19分 53秒
「管理人様へお願い」

レースリザルトの4月28日より前の結果をPDFでUPしてください。
瑞浪だけでも良いです。
瑞浪SL 2/11,3/18,4/22
CC 3/24
の分です。
よろしくお願いします。


たけたろう さん 2001年 09月 15日 11時 18分 51秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 139」

 『ジナレーシングミステリー劇場』
 岡山県中山サーキットギックリ遠征事件 其の10

 おとっさん亡き後、ワシはとりあえずタイムトライアルと予選ヒートをこなすのだった。しかし、肝心な特別臨時コーチの原さんが、おとっさんの付き添いで一緒に病院へ行ってしまったため、思わぬ苦戦をするのだった。前にも書いたとおり、参加台数が多い為、2グループでの予選となったのだが、ワシはギリギリで予選を通過するのである。いかんせん、前のカートを抜くどころか付いて行けないのだった。ワシは得意技の『見ながらブロック(見ながらブロックとは、その名の通り後ろにカートの気配を感じたときに振り向きながら相手をブロックしてしまう荒業である)』を駆使し、かろうじて予選落ちを免れるありさまであった。
 一方、思わぬギックリ腰に見舞われたおとっさんは、ワシがちょうど予選ヒートを終えた頃に、コースに戻ってきたのである。その姿は、頑丈に巻かれたコルセットが大変痛々しかったのだった。てっきり、今日のレースは欠場かと思いきや、おとっさんはこう言うのだった。
 「敗者復活戦で走る!!」と。やはり、中山まで来て、公式練習だけで終わってしまうのは、おとっさんも気に食わなかったのだろう。無理を押してでも走る気である。
 「やめとき!!」ワシらは、おとっさんを止めるのだったが、おとっさんはそんな心配を無視して準備にとりかかるのだった。
 仮に、おとっさんが敗者復活戦に出ても、予選を通るということは、容易なことではなかったのである。なにせ、おとっさんはタイムトライアルも予選ヒートも走っておらず、最後尾スタートが既に決定していたからであった。おまけに、おとっさんはワシ同様今日生まれて初めて中山を走るのだからであった。
 敗者復活戦は、14台で争われることが決まっていた。わずか6周のレースで、上位6台までのマシーンが決勝に進出できるのだが、いくらおとっさんのテクニックを持ってしても、8台も抜けるはずがないのである。そして、なんと言ってもあの体である。
 しかし、このあと奇跡が起こるとは誰も思っていなかったのだった。
 其の11に続く。ではまた。

べんちぃ さん 2001年 09月 13日 20時 14分 56秒
 ご愁傷さまでした。 
   やり過ぎは、体に良くないです・・・
 

たけたろう さん 2001年 09月 13日 17時 33分 55秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 138」

 『ジナレーシングミステリー劇場』
 岡山県中山サーキットギックリ遠征事件 其の9

 「うーーーん・・・、うーーーん。」
 どこからともなく聞こえるうめき声・・・。ワシはニヤニヤしていた大ちゃんの足元に、横向きに倒れ、背中を丸めているおとっさんを目撃するのだった。
 「おとっさんどうしたん?」
 ワシは、苦しそうにうなっているおとっさんを、起こそうとした。
 「痛い!!痛いッ!!」
 おとっさんは、あまりにも痛がったため、ワシは思わず腰を引くのだった・・・。
 調べによると、奇数組で公式練習を走り終えたおとっさんは、メカの大ちゃんと二人でカートスタンドに自分のマシーンを積もうとしたその瞬間に、
 『グキッッッッ!!!』
 ときたらしく、そのまま車検場で倒れるのは、あまりにも恥ずかしかったのか、とりあえず一番端っこにある我がジナレーシングのパドックまで、激痛をこらえて来たらしいのである。おとっさんのこのギックリ腰は、クセになっていたらしく、まさか中山でギクッと来るとは、夢にも思わなかっただろう。
 「とりあえず、病院行っときゃあ」
 ワシは苦しみもだえるおとっさんの姿に、笑いを必死にこらえながら言った。あわれ・・・。おとっさんは特別臨時コーチの原さんと一緒に、病院へと向かうのだった。
 其の10に続く。ではまた。

こそれん さん 2001年 09月 12日 22時 03分 43秒
べんちぃさ〜ん!
今日はどうも。帰ってからやってみたんですけど、悪化してしまいました・・・。
やっぱりやり過ぎは良くないんですかねぇ?今度は、ほどほどにしときます。

たけたろう さん 2001年 09月 07日 15時 02分 08秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 137」

 『ジナレーシングミステリー劇場』
 岡山県中山サーキットギックリ遠征事件 其の8

 なんと36台ものエントリーを集めたPSーPCRクラスは、予選落ちが8台も出るという激戦であった。ワシらは、岡山まで来て予選落ちでもしたら目も当てられんということもあってか、気合を入れるのだった。エントリーリストを見ると、やはり中山を走りなれたであろう、地元かその近郊のドライバーが多く(当たり前だが)、かえって岐阜からエントリーをしたワシらは、この日の注目の的であった。
 ワシらの予選落ちをしないための対策はただ一つ。本日の特別臨時コーチの『中山ポール男』原さんがいる為、心強いのである(このときは、本当に原さんを連れてきて良かったと思った)。原さんはワシとおとっさんに、中山の攻略法を細かく伝授し、そしていよいよ公式練習のお時間がやってきたのだった。
 台数が多い為、奇数偶数と、二つのグループに分かれての公式練習である。まず、我がジナレーシングクラブからは、奇数ゼッケンのおとっさんが公式練習に挑むのだった。その間、ワシはみんなの走りをよく注意して見守り、ドキドキしながら自分の出番を待っているのだった(いつのレースでもそうなのだが、ワシは公式練習の前が一番緊張する、変わったレーシングカーターである)。
 奇数組が終わり、遂に偶数組の公式練習のスタートである。ワシはいの一番にコースに飛び出し、極力自分の限界であろうラインどりで、走るのだった。しかし、やはり初めてのコース。自分では、けっこう飛ばしているのだが、いとも簡単に抜かれて行くのである。その、無礼にもワシを抜いて行ったカートを、とりあえず追いかけるのだが、抜き返すどころか離される始末である。必死にコースを覚えるのだが、あっという間にチェッカーが振られ、公式練習が終わってしまうのだった。このときばかりは、公式練習が一時間あればいいのに、と思いながら車検場にマシーンを付けるのだった。
 出迎えの原さんと、喧喧諤諤ディスカッションしながら、一番端っこにある我がジナレーシングのパドックに戻ったのだが、なにかがおかしいのである。メカの大ちゃんは、ニヤニヤしながら立っていたのだが、よーく見るとワシの目に衝撃の映像が飛びこんできたのだった。
 其の9に続く。ではまた。

こそれん さん 2001年 09月 05日 20時 23分 36秒
いいえこちらこそ、とっても良かったッス!
今度はもっと激しくいきますか?
”いろんなコース”攻略しましょう!
<ちーむ・こそれん> メンバー募集中!!!

べんちぃー さん 2001年 09月 05日 19時 31分 21秒
こそれんさーーん!
 この前は、ごちでした。あんな激しい夜は、久しぶりぃー!!!
   ちーむ・こそれん 結成のあかつきには、いろんなコース??? 攻略しましょう。

たけたろう さん 2001年 09月 03日 15時 35分 46秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 136」

 『ジナレーシングミステリー劇場』
 岡山県中山サーキットギックリ遠征事件 其の7

 まったくの初めてのコースがゆえに、最も気になっていたことは、ワシらが出場するクラスのエントリー台数がいったい何台いるのかということであった。ある程度の台数で、激しく楽しいバトルが出来れば一番いいのだが、万が一大量エントリーがあって、予選落ちでもしようものなら、なにしに岡山まで来たのか目も当てられないのである。逆に台数が少ないとまた寂しいし・・・。
 しかし、よそ者のワシらは、ゲートオープンの時間を知らなかったこともあるように、この日のタイムスケジュールは勿論のこと、何台のエントリー台数があるのか、他にどのクラスがあるのかもまったく知らないのだった。
 ようやく、パドックが賑わってきて、あたりを見渡すのだが、思ったより盛り上がっていないというか、カートの台数もそんなにいないのである。しかし、不思議とワシの目に飛び込んでくる映像は、PV50のエンジンを積んだカートばかりである。
 「エントリー張り出されたよ」と今日のチーフメカの大ちゃんがやってきた。ワシとおとっさんは、おそるおそるエントリーの張り出されてある掲示板に近づき、それを見てホッとするのであった。
 「なーんや。15台しかおらへんがや」ワシとおとっさんは、安どのの声を上げながら自分たちのパドックに戻り、余裕の一服をするのである。「それにしても・・・。15台しかエントリーおらへんのに、やけにPVが多いな」ワシの不安は的中するのである。しばらくして、そのへんを散策していた大ちゃんが飛んでくるのだった。
 「ちょっと、ちょっと!!15台ばかやあらへんで!!」と。ワシとおとっさんは、あわてて掲示板に行くと、そこにはとんでもない事が起きていたのである。さっきワシらが見たエントリー用紙の下に、もう1枚ゼッケン16番以降の名前の書かれた用紙が、追加されてあったのだった。
 「うっそーーっ!!なんで36台もおるんやーーっ!!」
 ワシらは、はっきり言ってなめていた・・・。いくら、田舎にある中山サーキットとはいえ、さすがに『関西チャレンジカップ』だったのである。こんなに、このシリーズが盛り上がっていたなんて・・・。他のストックやオープンクラスなどは、みな10台未満のエントリー台数だったのだが、多分普段中山を走っていないドライバーも、ワシらと同じで遠征してきたのであろう。これまでの余裕が、どこかに吹っ飛んだワシらは、ただオロオロするばかりであった。
 くどいようだが、ワシとおとっさんは、今日生まれて初めて中山サーキットを走るのである。
 其の8に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 09月 02日 17時 30分 27秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 135」

 『ジナレーシングミステリー劇場』
 岡山県中山サーキットギックリ遠征事件 其の6

 そして、レース当日の朝がやってきた。ワシらは、いつものレースの朝と同じ様に、午前4時半には起床するのであった。そして、大変お世話になった、おとっさんの両親にお礼を言い、いざ中山へと向かうのであった。
 6時すぎだっただろうか、ワシらを乗せた『キャラバン号』は、中山の正面ゲートに着いたのだった。しかしである。ゲートの守衛さんはおろか、今日レースに出るだろうよそのチームのトランスポーターがどこにも見当たらないのである。
 「ちょっと早く着きすぎたけん!!」仕方なくワシらは、みんなが来るのを待っていたのだが、7時になっても誰も現れないのである。本当に今日レースをやるんだろうか・・・。だんだん心配になってきたワシらは、あたりをウロウロするのである。当時の瑞浪だったら、6時にはゲートオープンするのが当たり前だったため、なおさらであった。
 7時半になって、ようやく守衛さんらしき人が現れ「あれっ。もう来とるの??」という顔をしながら、ゲートを開けるのだった。中山のレースが当然初めてなワシらは、その人にパドックの位置などを尋ねたのだが「どこでもいいよ。早いもん勝ちやけん」である。なんともルーズなコースである。
 とりあえず、コース一番乗りのワシらは、パドックをどこにしようか探すのだったが、やはりよそ者ということもあってか、はしっこのほうに陣取るのである。レースの準備もそこそこに、コースを歩いて下見などをしながら待っていると、9時くらいになってようやく、ゾロゾロと人が集まり出すのだった。
 「こんなんやったら、もっとゆっくり寝とりたかったけん!!」と眠い目をこすりながら、思うのだった。「まあいい。早起きはなんとかと言うように、今日はなにかいいことがあるかも知れん!!」と気持ちを切り替え、本日の特別臨時コーチの中山ポール男の原さんに、攻略法を聞くのだった。
 何度も言うようだが、ワシとおとっさんは、今日初めて中山サーキットを走るのである。」
 其の7に続く。ではまた。

ぴょんこ さん 2001年 08月 30日 23時 34分 39秒
先日またまた仕事で高山に行きました。もちろん日帰り。
で、最近「高山なんて近いじゃ〜ん!!」と思うようになりました。
が!! レースに参加して、飲み会にも参加して、
そんでもって高山まで帰るフルティー君には頭がさがる思いです。
思い返せば、フルティー君は高校生のときからジナレーシングや瑞浪に通っていたんだものねぇ。
それもこれも「おかん」の助けがあってこそ・・・。
ほーんと、たまにはレースで賞品持っていってあげてください。

PS.この前のレースの帰り道、ジナ号の中でフルティー家の話をしていたのだよん。
   知られざるフルティーの過去を聞いてしまいました。
   なーんて、おおげさなことでもないか・・・。

べんちぃー さん 2001年 08月 30日 19時 10分 07秒
 こそれん おつかれさまでした、○○○さーーん!!!

  今度 飯つれてってね♪♪♪

たけたろう さん 2001年 08月 30日 15時 23分 11秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 134」

 『ジナレーシングミステリー劇場』
 岡山県中山サーキットギックリ遠征事件 其の5

 「こんばんわーー」
 『キャラバン号』を西浦邸に横付けしたワシらは、おとっさんの両親の熱烈な歓迎を受けるのだった。おとっさんの両親は、おおらかな性格のおとっさんの親らしく、人の良さそうな感じであります。特におかあさんのほうは、おとっさんの顔にそのままオバチャンパーマを載せただけというくらい、うりふたつである。夜分遅くにお邪魔したのに、イヤな顔ひとつせず、家の中に招き入れてもらったのだった。
 「お風呂わいとるけん」ワシらはずうずうしくも、風呂にまで入れてもらい、旅の疲れを取るのだった。
 「お腹すいとるでしょうけん」部屋に入ると、そこにはテーブルいっぱいの料理が並べてあった。スーパーでわざわざ買ってきたであろうお寿司や、おとっさんが好きそうな手料理(こういうのをおふくろの味というのか知らん??)。その他とても4人じゃあ食べ切れないほど、用意してあったのである(勿論ビーちゃんも!!)。
 ワシとおとっさんは、ほとんど食べずにやって来たので、ハラがへって仕方がなかったからいいものの、大ちゃんと原さんは既に満腹状態である。「しまったーーっ!!」大ちゃんはそう言いながらも「せっかくやで食べないかん!!」と深夜の宴会が始めるのだった。
 しかし、一生懸命食べ続けたのだが、やはり食べ残してしまい「残りは明日の朝食べよう」ということで、4人は深い眠りにつくのだった。
 其の6に続く。ではまた。

ほんじつの「たけたろうの楽しいジナレーシング」はお休みです・・・。と書くらいやったらちゃんと連載書け!!ってか??たけたろう さん 2001年 08月 29日 20時 00分 43秒
 フルテーくん!!
 今日の中日新聞の朝刊にも、吉城郡上宝村のほうでいっぱいクマちゃんの目撃情報が出てたよ!!
 フルテーくんのおかんは「秋やでクマちゃんが出る」とか言っとったが、そんなことはないので襲われないよう気を付けましょう。もしクマちゃんに出会ったら、絶対走って逃げてはいけません!!クマちゃんは時速60キロくらいで追いかけて来るらしいです!!

 それはそうとフルテーくんは、おかんに『マシーーーーン』の積み下ろしを手伝ってもらってるんですか。早くその『マシーーーーン』で表彰台にでも乗って、賞品も一緒に下ろしてもらえるといいですね!!ではまた。

またまた2度目の登場!!たけたろう さん 2001年 08月 28日 20時 11分 45秒
 フルテーくん。素直でよろしいっ!!

 ときに、クマちゃんが出るとはすごいですねえ。しかし、先日おっさん(堀井氏)の生まれ故郷の垂井町にもクマちゃんが出たって知ってた??残念ながら射殺されたんだけど、フルテーくんのクマちゃんは大丈夫だったの??よかったら、今度お土産に岐阜に連れてきてちょ!!

 ときに、ケンゾは3連勝やないか??うーーん・・・流石というか、もはや敵なしというか、今年のジナレーングクラブで唯一楽しませてくれますねえ!!

 よーーしっ!!ワシももうひと華さかせないかんなあ!!

Return