たけたろう さん 2001年 01月 06日 16時 09分 20秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 27」
アクシデント 其の4
そして、ワシは生まれて初めてタンカに乗せられ、それから、ワシは生まれて初めて救急車に乗ったのでした。その救急車の乗り心地はというと、サイレンの音はあまりいい気持ちではないけれど、ワシのためにまわりの車がみんなよけてくれるので、まんざら悪い気分ではなかったでした。病院に付くとまずレーシングスーツを脱がなくてはいけません。しかし、鎖骨のポッキリいってしまっている体では、脱がせようにも脱がせれません。そして看護婦さんが「これ、切っていい?」と手にハサミを持ちシャッキンシャッキンとやっています。ワシは今日下ろしたてのスーツを切られてはたまりません。「ボ、ボクがまんするからぬがせてーー!!」しばらくして「ギャーーーッ!!痛いっ!!痛ーーいーーっ!!」とワシの叫び声が響きわたるのでした。
この2つのアクシデントとも、前のスピンに巻き込まれたのだが、2つともスピンしたカートのアウト側から避けようとしたのが、飛んで行った原因である。それからのワシは多少学習したのを生かして、前のカートがスピンしたらイン側に避ける。それでもダメならば真っ直ぐぶつかっていく。それでもダメならば思いきってコースアウトさせる。そのおかげで、それ以来前のスピンに巻き込まれて飛んで行くようなことはなくなったのであります。
それでもダメな時は、目をつむってハンドルをしっかり握って身を硬くして神に祈りましょう。
其の5に続く。ではまた。
@驚くタメゴロー さん 2001年 01月 05日 22時 08分 00秒
キャンバー角を調整するには・・。見ればわかる!というよりキャンバー角とは何か?が解ればおのずとどこをどうすれば解るというもの。というのもここに書いて説明するのは非常にめんどくさいといったのが本音。カートはメカ剥き出しなので言葉の意味がわかれば大体どこを触れば解るはず。ちょっとぶしつけな返事でごめんね。いつも(ご飯)「炊けたろうさん」のカキコ楽しく読ませていただいております。今後も数々の武勇伝お聞かせください。突然の乱入失礼しました。では良いお年を・・。
たけたろう さん 2001年 01月 05日 19時 49分 09秒
ところでみなさん、3日のジナレーシング恒例「新春初走り」はいかがでしたか?どえりゃーさびぃー1日だったんじゃあなかったでしたか?ワシはヨメとスキーに行ったにゃけんど、スキー場に近づくにつれどんどんテンションがさがっていき(だってーーモーレツにふぶいてるんだもん)結局そのまま温泉につかってきたけん!!んーー温泉もなかなかいいなーーと思うようになったワシってもー年かなーー!!(しかしねーぴゃんより9歳若いけん)
たけたろう さん 2001年 01月 05日 16時 39分 45秒
今、30分かかってカキコしたのだが、最後の最後でへんなボタンを押してしまい全部消えてしもーたー!!あーあ、今宵はついとらんけんトホホ・・・。
2000 さん 2001年 01月 05日 12時 14分 57秒
開けましておめでとうございます。って遅いですが。
3日の初走りは寒かったですねー。雪も降ってましたし。
SL開幕戦も降るんでしょうかね。
今年は就職活動でどれだけレースに出られるかわからない
ですけどそれなりにがんばります。
皆さんに聞きたいんですけど、やっぱり
2000から2001に変えたほうがいいんでしょうか。
僕のマシンにはEURO2000って文字が入ってるし
2000で皆さん分かると思うしー、どう思います?
ぴょんこさん、窓際販売は平日は基本的にはやってません
よー。土日祝日のみです。それに27日は出勤してません
から。またコロッケ1個買おうとしたのー?
ぴょんこ さん 2001年 01月 04日 23時 39分 15秒
ちょっと遅くなりましたが・・・。
あけおめー!! ことよろー!!
今年もみなさんきばっていきましょう!!
さてさてカートのセッティングについての質問です。
「キャンバー角はどこをさわれば変わりますか?」
知り合いのカーターに質問されましたので、みなさん教えてくださいませ。彼にはこのHPのアドレス教えておくからねー!
それとー、管理人さん・・・。
まだ「WHAT’S NEW」や「RACE」が去年のままなんですが、変わらないのはまた私だけ??
それともアップしてないのかしらん??
たけたろう さん 2001年 01月 02日 12時 29分 31秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 26」
アクシデント 其の3
その日のワシは、92年初レースということでレーシングスーツを下ろし、タイヤもおニュー、そして気合も入っていました。PSーPCRクラスは、今ほど普及されていなくて当時バリバリの全日本ドライバーや、地方選ドライバーの寄せ集めで何とか10台ばかりエントリーがありました。ワシはその中で健闘しタイムトライアルは4番手でした(その当時は49秒台でポールだった)。そして予選のローリングが始まりました。ワシの前3台はバリバリの現役チューニングドライバーで負けるのがよっぽどいやなのか、さかんにカートを左右に振ってけん制しあいます。ワシは「アホかこいつらは」と思いながらおとなしく隊列を整えます。そして運命のスタートが切られました。ワシはポジションをキープして1コーナーに向かいます。ところがそこで思いがけないアクシデントに見まわれるのです。トップの2台がたがいにゆずらず、1コーナーで接触したのです。そしてアウト側にいた2番手のカートが、スピンをしたのでした。ワシの目の前でおきたそのアクシデントは、その直後にみんなが総立ちとなる大アクシデントに発展するのでした。ワシはスピンした2番手のカートをよけきれず、アクセル全開のままそのリアタイヤに乗り上げ、空中高く跳ね上がったのでした。「フワッ」と何とも言えない感覚の後「アグッーーウ!!」とワシは声にならない悲痛の叫びとともに、地面にたたきつけられたのでした。ワシはあまりの激痛に「ぅぅぅぅっ」とうめき、胸を強打して息ができない苦しみに必死に耐えていました。ほどなくしてスピンしたドライバーがワシに近づき「だ、大丈夫ですか?」とオロオロしています。「大丈夫なわけないやろ!どたわけ!!」そう言ったか知らないがワシはもがき苦しみます。そして堀井氏がやってきて「おーーい、大丈夫か?どこが痛い?」と声をかけます。ワシは「肩、肩」と訴え堀井氏がワシの左肩をさわると、「バキバキッ」と音がして「おー折れとるやないかー。タンカ、タンカー」その瞬間、ワシの脳裏には「どーーしよーう。明日から仕事できへんやんか」と思いました。ワシは地面に頭からたたきつけられ、ヘルメットのアゴのところで鎖骨をきれいにまっ二つに折ったのでした。
其の4に続く。
PS:みなさんあけましておめでとうございます。「たけたろうの楽しいジナレーシング」はいつまで続くか分かりませんがなるべく長ーーーく連載しますので懲りずに読んでちよーーらいませ。今年もワシの自慢話満載の「たけたろうの楽しいジナレーシング」をどうぞ宜しく。ではまた。
ずらV さん 2001年 01月 01日 16時 14分 52秒
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
それでは3日瑞浪でお会いしましょう!!
ずらV さん 2001年 01月 01日 16時 14分 43秒
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
それでは3日瑞浪でお会いしましょう!!
森田 さん 2001年 01月 01日 11時 44分 24秒
文字化けしてごめんなさい。
迎春
昨年中は、ジナレーシングの皆様に子供共々お世話になりありがとうございました。
新年を迎えジナレーシングのご発展と
皆様方のご健康をお祈りいたします。
今年もどうぞよろしくお願いします。
ケンゾウさん子供に年賀状ありがとう。
今年も皆さん頑張ってくださいね。
森田 さん 2001年 01月 01日 11時 43分 55秒
文字化けしてごめんなさい。
迎春
昨年中は、ジナレーシングの皆様に子供共々お世話になりありがとうございました。
新年を迎えジナレーシングのご発展と
皆様方のご健康をお祈りいたします。
今年もどうぞよろしくお願いします。
ケンゾウさん子供に年賀状ありがとう。
今年も皆さん頑張ってくださいね。
森田 さん (mm7814@z.zzz.or.jp) 2001年 01月 01日 11時 39分 10秒
迎春
昨年中は、ジナレーシングの皆様に子供共々お世話になりありがとうございました。
ジナとこ・擁・留廖垢里竿・犬箸慣鮃・鬚・Г蠅掘「
新年の挨拶に代えさせていただきます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
ケンゾウさん子供に年賀状ありがとう。
今年も皆さん頑張ってくださいね。
とうま さん 2001年 01月 01日 11時 35分 06秒
新年あけましておめでとうございます。
今朝は早朝から雪が降りました。
ホワイト新世紀てとこですかね
今年もよろしく。
ヒライ さん (lonesheep@hotmail.com) 2001年 01月 01日 02時 08分 23秒
皆さん、新世紀明けまして御目出とう御座います。
今年もご指導宜しく願います。
今、2001-1/1のAM02:00にレーサー777をゲットしました。
今世紀一番から何か良い予感がしてきました。
YZも、もう少し乗れるようになるかもしれない予感。
AKI さん 2000年 12月 30日 08時 02分 56秒
思い出したのですが、シェイクダウンの時は直線でも同じクラスにガンガン抜かれたのに、こないだは直線でKTに抜かれることはなかった気がする。(もちろんYZなどには気を使ってました)
慣らしが進んだのか・・・低速でかぶり気味なので、今度はキャブをあわせてみます。
ずらV さん>
やっぱり気合いですか(笑)! カーター(超若葉マークですが)としては重量級の私のこと、できんことはないと信じてやってみます。
ところで、一人で持ち上げるときはカートのどこを持ちますか? 後ろ?右?それとも左サイド?
しゅういちさん>
他にも一人で走りに行かれる(ていた?)方がいるとは心強いです。転勤族で休日も仕事が入ることがあるので、これからもどうしても一人になってしまいがち・・・
toma さん (toma@mx.biwa.ne.jp) 2000年 12月 30日 06時 42分 24秒
みなさんもうすぐ新年です。
今年はどんな年でしたか?
わたしは昨年はついにカート歴いやjina歴
20年オーバーとなってしまいました。
うううおっさんや!
昔「このおっさんええ歳してようやるわ」と
思っていったのですが今は
みんなそう思ってるんやろなと感じる今日この頃
21世紀サーキットで会っても仲間に入れてね!
最後に今年はありがと、来年もよろしくね。
by 前田
たけたろう さん 2000年 12月 29日 16時 32分 50秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 25」
アクシデント 其の2
ワシが初めてアクシデントに遭遇したのは、90年の夏のことだった。その日ワシはいつものように津保川を練習走行していました。そして、20周ばかり走ったところの1コーナーでオープン野郎が強引に抜いて行ったのです。まーワシとスピード差があったので仕方がないのだが、その直後に信じられない事が起きたのでした。そのオープン野郎は3コーナーの入り口でスピンをしでかし、すぐ後ろを走ってきたワシはそれを避けきれず、リアタイヤに乗り上げそのまま空中にジャンプしたのでした。そしてワシはカートと一緒に、ダンロップブリッジまで飛んでいき「1回転半回ひねり」を見事にきめたのでした。幸いにも軽い打撲程度ですんだのだが、初めて購入したワシのカートは「誰が見ても曲がってる」状態になってしまったのでした。まったく不運な話だが、今思えばそのオープン野郎はまったく無キズでいちおう謝りに来たのだが、ワシがフレームを曲げて半泣きでいるのにあとは知らんぷりだったのが、むかつくのである。だいたい津保川の3コーナーの立ちあがりでスピンするのなら分かるが、ブレーキングでスピンするとは情けない。しかし、何を言ってもしょうがないのである。そこんところがレーシングカートのつらいところなのかなー。
次にワシがアクシデントに遭遇したのは、92年の1月のことであった。前年の10月にオープンしたばかりの瑞浪レイクウェイで「新春SL瑞浪シリーズ」が開催されたのでした。ワシはすでにクラッチを卒業し、堀井氏のお古の「PCR F2」という中古カートを購入し、おまけに当時できたてホカホカの「PSーPCR」クラスでエントリーしたのでした。まだ瑞浪もできたてホカホカだったので、トータルで40台ぐらいしか台数もいませんでした。そんなのんびりムードのなか、ワシは思っても見ない大アクシデントに遭遇してしまうのでした。
その3に続く。ではまた。
ぴょんこ さん 2000年 12月 27日 23時 54分 58秒
きょうは中津川から高山まで行き、清見インターから雪で凍結した高速(高鷲村までだけどね)で岐阜まで帰ってきました。もちろん仕事でね。あの路面を結構楽しんで運転できたのも、もとカーター(?)だからかしらん??
ところで、帰りに関のSAに寄ったのに、2000(来年彼は2001と改名するのだろうか?)はすでに店じまいをしたあとだった。残念!!
うな さん 2000年 12月 27日 12時 09分 28秒
3日の初走行、今日聞いたぞ!(笑)
もちろん行きますので、いぢめないで下さい♪
で、たのんでおいたパーツ類は持ってきていただけるのだろうか?
じゃないと走れないです(T-T)
よろしく♪
とうま さん 2000年 12月 26日 22時 30分 10秒
冬がきたぞ〜
鼻水を垂らしながらカート三昧。
一月三日は誰が行くの
しゅういち さん 2000年 12月 26日 18時 17分 01秒
URL:http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=cartland
お久し振りです。僕がKART行く時はほとんど一人でした。ただ、コースが雰囲気のいいところだったんで、カートの上げ下げは、ずっと手伝ってもらってました。そうゆうコースばっかりだったらいいですよね。
たけたろう さん 2000年 12月 25日 16時 46分 09秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 24」
アクシデント 其の1
ワシも、長年カートに乗ってきたが今までいくつかのアクシデントに遭遇しました。まーレーシングカートは、モータースポーツでは安全な競技だと言われるが、それはまったくの間違いで、レーシングカートは非常に危険な遊び(レジャー)だということをこのワシが証明しましょう。
ワシは、カート歴11年の今までに大クラッシュというアクシデントは3回ほど経験しました。大クラッシュというのは、カートの場合だいたいは転倒することを意味するのだが、そのどれもが他人のスピンに巻き込まれたり巻き添えを食ったりというものです(その逆の場合は人に迷惑をかけていることだが)。予期せぬアクシデントは本当にいつおこるかわかりません。ワシはレースの前にいつも思うのだが「ひょっとして今日あたり大きいクラッシュでもしーへんやろかしらん」と・・・。実際ワシは、アクシデントのおかげで救急車に乗ったことがあるのでなおさらです。みなさんに安全なカートライフを送ってもらうために、ワシのアクシデントの数々を見てもらいましょう。
其の2に続く。ではまた。
ずらV さん 2000年 12月 24日 23時 01分 50秒
AKIさん 一人でスタンドに乗せるやり方だけど
壁や柱など使ってスタンドが動かないようにするといいですよ。あとは気合のみです!!
でもやっぱり誰かに手伝ってもらうのが一番です。
自分なんか降ろすの手伝ってもらってついでに押しがけも
手伝ってもらったりするしね(ダイレクトは押してもらう
と楽なんだな!)
AKI さん 2000年 12月 24日 08時 03分 07秒
昨日瑞浪に行って来ました。これでようやくマーカート走行2回目。
同じクラスの上級者との差を少し縮められた気はするのですが・・・ブレーキングと5コーナーはまだ大きな課題ですね。
まったくの一人で行って来たので、スタンドに上げるのに2回(おろすのは一人でOK)、隣の「ぶるーと」のチーム員お兄さんの助けを借りました。
気ままな走行にはクラッチ付きは便利ですね。
一人でスタンドに乗せるやり方って、ないですかね?
たけたろう さん 2000年 12月 22日 17時 31分 11秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 特別企画」
2000年ジナレーシングミレニアム重大ニュース
その3 『ジナレーシング西春店 閉鎖』
ついにというべきか、やっぱりというべきか、11月末にジナレーシング西春店が閉鎖されました。思えば、約2年半前「西春に店を出す」と聞いたときには「なぜ今この不景気の時期に店を増やすのだろう」と思いました。初代西春店店長の増田康広氏は、当時勤めていた土木関係の会社を退職させられてまで強引に引き抜かれ、売上が伸び悩んだ末解雇されてしまいました。ワシらもはじめのうちは、暇さえあれば西春店に顔をだしたのだが、ほどなくして行かなくなりました。しかし2代目店長の原博昭氏の地道な努力によってなんとか西春店を存続させてきたのだが、ついに閉鎖においこまれてしまいました。だが、西春店のお客さんはいい人ばかりで、なんとかこのままカート活動を続けて行ってもらいたいものです。
其の4 『堀井智幸氏・・・逝く。(10秒間)』
ジナレーシングのオーナーの堀井智幸氏(46)が今年の8月になんと心筋梗塞で倒れてしまいました。もともと堀井氏の心臓はバラツキがあって、昨年大垣市民病院で修理したのだが、今年の夏の海で1週間ぶっとうしでキャンプをはった時に、心臓がまたもバラツキ始めたのでした。そして海から帰ってきてからも心臓のバラツキがおさまらず、ついに油圧低下のため心臓が止まってしまったのでした。たまたま息子のましぃーがその場に居合わせたため、病院にかつぎこまれ電気系統(電気ショック)をいじったところ、なんとか心臓が動き出しました。その間堀井氏は、10秒間ほど逝っていたらしく背筋が凍りそうになるほどでした。さすがに、その後の堀井氏は元気がなかったのだが最近は顔色も良くなって、「来年は津保川に全戦参戦するぞ!!」と言っております。しかし、そんなことをすると今度こそ本当に逝ってしまうんじゃーないかと、いちおう心配するのでした。
と今年もいろいろありましたが、2001年もみなさんの活躍を祈りまして終わらさせていただきます。
特別企画 完。ではまた。
ARUGO さん (arugo@arugo.com) 2000年 12月 21日 23時 49分 10秒
やっと出ましたね、復活宣言。
今までの「来年から、来年から」と言い続けて数年。
てっきり、今年も・・・・なんて思っていたのは、おいら一人?
最近の若い奴らは知らないけど、「恐ろしいです」
まして、ブラザーズになったら、「世界の終わりです」
当時、まだおいらが高校生だった頃、話しかけるのでさえ怖かった事を今でも覚えています。
みなさ〜ん、気を付けた方がいいですよ。
yoshi さん 2000年 12月 21日 21時 12分 33秒
お邪魔します。
中古車のコーナーでNO,8が売り切れになってますが
ボクが買いました。(^^ゞ
まだ初心者中の初心者ですのでみなさんいぢめないでね。
宜しくお願いします。m(_ _)m
かかってこい!福岡じゃ さん 2000年 12月 21日 18時 34分 28秒
往年の名ドライバーが復活する事になったのだ。
忘れもしない、んんん何年前だっけ。
忘れもしない、何とか保川カートランドにて
(わすれとるやんけ)
シリーズチャンピオンをとった名ドライバーが
ついに、ん十年の沈黙を破って瑞浪レイクェイに殴り込みなのだ。
腕に自慢のアルやつはかかってきなさい。
私がいっちょうもんであげますから。
ところでJクラスてまだあるの?
たけたろう さん 2000年 12月 21日 16時 46分 07秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 特別企画」
2000年ジナレーシングミレニアム重大ニュース
其の2 『2000年がんばった人、がんばれなかった人』
今年も、我がジナレーシングクラブは数多くのレースに参戦しました。それでは、今年がんばったジナレーシングの誇る戦闘員を紹介しよう。
まず、今年もっとも期待に応えたのはンーーーッゴゴゴゴッシィーーでおなじみの五島比呂志選手だろう。五島氏は今年ジナレーシングで唯一地方選手権にフル参戦しました。なかなかレベルの高い地方選で、彼は優勝1回、2位1回と活躍しチームの期待に応えたのでした。特に地方選での優勝は91年の中村秀康選手以来の快挙でした。しかし、好、不調の波が激しくチャンピオンのかかった最終戦を落として、残念ながらランキング2位という結果に終わりました。来年はぜひ全日本で走ってもらいたいものです。
次にがんばった人は、矢野幸弘選手だろう。矢野氏は使い古したPCRで孤軍奮闘し、瑞浪シリーズでランキング2位、瑞浪ウェンズディシリーズではチャンピオンとこちらもみんなの期待に応えたのでした。しかし、彼は2年以上同じフレームで走りこまないとセッティングが出せないドライバーで、ニューフレームをおろす来年はあまり期待できないだろう。矢野ファンのみなさんは再来年の彼に期待しよう。
そして、後半戦になって目覚しい速さを見せつけたのは、山際賢三選手です。特に夏場以降の速さは他のドライバーを寄せ付けない勢いで、瑞浪シリーズの終盤3レースだけを見ると優勝2回、2位1回と完璧であります。先日の鈴鹿の全国大会でも5位入賞と、今乗りに乗ってるドライバーであります。なぜ前半戦パッとしなかったのか不思議です(だいたい予想はつくけど)。
そして、水上龍徳選手と水野麻美選手には見習うところがあります。とにかく、この2人は熱心で(水上氏はお父ちゃんが熱心なのだが)月に5,6回はコースに走りに行きました。その結果2人とも優勝を経験し満足な結果を残すことができたのであります。ワシ個人的には水野麻美選手に、何か表彰してほしいのであります(ワシの熱ーーーいキスでもいいよ)。
さて、今年皆の期待に応えられなかった戦闘員を紹介しよう。まず、その筆頭は高田創太選手だろう。彼は非常に熱心でよく走り込んだのだが、いかんせんレースになるとよくつぶれるのであります(これはワシが見た限りなのだが)。速さはあるのだが、まだレースの組立てができないので、ぶつかったりメカトラに泣いたりするのが目立ったと思います。まー彼は若手のピチピチでまだこれからのドライバーなので、期待を込めてあえてがんばらなかったドライバーにさせてもらいます。
そして、がっかりさせたのは栗本兄弟だろう。今年はヤマハの新車を購入し練習ではなかなかの走りを見せていたのだが、いざレースではいまひとつどころかいまふたつといってもいいくらいピリッとしてなかったと思います。まーこの兄弟と仲のいい古田選手や萩原選手も同罪だろう。来年はこの栗本兄弟軍団に暴れまくってもらいたいものです。
あと今年、たまにキラッと輝いたドライバーも何人かいたので、来年こそみなさん安定した走りを期待したいところでがんばりましょう!!
続く。ではまた。
たけたろう さん 2000年 12月 20日 16時 41分 35秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 特別企画」
2000年ジナレーシングミレニアム重大ニュース
其の1 『新クラブ長!!わずか3ヶ月で更迭!!』
昨年末、前任のクラブ長の杉山武久氏(29)が辞任を表明し、杉山氏の強い要望で新しいジナレーシングのクラブ長に就任した西浦浩二氏(32)は、今年の3月にあろうことか、群馬県に転勤してしまいました。残念なことにこの新しいクラブ長に就任したばかりの西浦氏は、わずか3ヶ月で「辞任」したのであります。西浦氏がクラブ長になってからの働きは、毎月第1土曜日恒例のクラブミィーティングの司会を2回ばかこなしただけで、たった3ヶ月間「ジナレーシングのクラブ長」という肩書きを背負っていただけというあまりにも『短命西浦内閣』と言わざるを得ないでしょう。まー会社のサンヨー電気からみれば、32才にもなって独身で気楽な寮生活を送っている彼を見れば、地方に飛ばしたくなるのもうなずけます。ちなみにやさしいジナのみなさんは、西浦氏の群馬行きの1周間前から毎日送別会を開いてあげるのでした。
さて、後任の新しいクラブ長には、三田幸二氏(26)が選ばれ、また新たなジナレーシングの発展をめざしてがんばっているということです。
続く。ではまた。
たけたろう さん 2000年 12月 19日 16時 27分 11秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 番外編」
第9回 PSーPCR全国チャンピオン大会 其の5
ワシは敗者復活ヒートを見ながら思った。「いやーーっ、みんな必死に走っとるなーー。こんなに予選通過がいいことなんて・・・。出てよかったーー!!」そして、遂に予選通過34台が決まった頃、ワシは決勝に向けて気合を入れなおすのでした。しかし、決勝直前にまたしても雨が降り出すのでした。今度の雨はさっきまでの雨とはちがって、なかなか雨つぶが大きく、ワシは悩んだのだが結局レインセットで行くことに決めるのでした。ところが、レインタイヤの空気圧で最後までふっきれません。ワシは高めの空気圧が良かったのだが、堀井氏が「落とせ、落とせ」とさかんに忠告してきます。たしかにその時点では、まだ雨量も少なかったのでワシも「うーーん。ここはおとっさんの言うことを聞いておくかー」と空気圧を下げて、ダミーグリッドに並んだのでした。しかし、無情にもスタート3分前のボードが出された頃、雨が本降りになってしまったのです。堀井氏は「もう降るな、降るな!」と顔をしかめていたのだが、もう手遅れです。そのままローリングが始まってしまい、ワシはローリングの2周目には「これは終わった・・・。」と空気圧の失敗に気づくのでした。案の定スタートが切られると、ワシはまったくグリップのないカートと格闘するのでした。ワシは3周目までにはには10台ほどのカートに抜かれてしまい、「クッソーー、堀井のおやじめーー!!」と泣くに泣けない状態でした。しかし、ワシは粘りの走りで前がつぶれるのを待ちつづけ、結局14位でフィニッシュしたのでした。
まー残念な結果に終わったのだが、空気圧が分からないというのは練習不足が最後の最後に響いてきたのであって、決して堀井氏が悪いわけではありません。今回は久しぶりのレースだったが、なかなかレースを堪能できたのでよかった、よかった。
あーーあ。もっと走りたーーーい!!
番外編 完。
たけたろう さん 2000年 12月 18日 16時 39分 13秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 番外編」
第9回 PSーPCR全国チャンピオン大会 其の4
思わぬ好走に、鼻息のあらくなったワシは「このままキープすれば、予選通ってまうがやーー!!」と年がいもなくドキドキしていました。そして、第2ヒートが始まる頃またもや雨が降り出してきたのです。ワシはあわててレインタイヤに履き替え、おまけに雨セットまでほどこしたのだが、B組が終わる頃には雨もやんで、再度あわててドライセットにもどすのでした。ワシは(多分他のドライバーもそうだが)こういう中途半端な天気が大キライで「晴れやったら晴れ、雨やったら雨、どっちかにせんかいワレーー!!」とウンザリしていました。しかし条件はみんな一緒なのでしかたがありません。そしてダミーグリッドについた頃またしても雨が降ってくるのでした。結局スリックタイヤのままローリングが始まりました。コースに出るととてもスリックではまともに走れないほど、よくすべります。アクセルを少し踏みすぎるだけで簡単にホイールスピンしてしまいます。ワシは「無理してコースアウトするくらいやったらゆっくり走ろう」と慎重に行くことにしました。スタートが切られて、一番怖い1コーナーも無事通過すると、後ろからレインタイヤを付けたカートにあっという間にぬかれていきました。「うわーっ、やっぱレインのほうが良かったかな?」しかしワシは慌てません。じっとガマンのレースで前がつぶれて行くのを待ちます。5周ほど走ってだんだん路面が乾いて行くと、ペースが一気にあがっていきました。そしてファイナルラップには1周目に抜いて行ったレインタイヤのカートがみるみる近づいてきました。残念ながらそれを抜くことはできなかったのだが、なんと5位で第2ヒートを終えることができたのです。ワシはC組の6位、5位という結果で予選を終えることができました。なんと、ワシは当初の目標の『予選通過』を達成することができたのです。それも、余裕の総合13位で12台出場したジナ勢の中ではトップの成績でした。ワシは「やっぱぁー当日入りでもーきちんとした体制でのぞめばー予選も通るんやーなー。うーーんウデも落ちとらんしーー」と御気楽で激戦の敗者復活ヒートをたかみの見物するのでした。
其の5に続く。ではまた。
たけたろう さん 2000年 12月 17日 19時 34分 29秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 番外編」
第9回 PSーPCR全国チャンピオン大会 其の3
やばい!!このままではドボクソレースになってしまう。ワシは焦った。しかし、タイムトライアルが始まる時なんと、ポツポツと雨が降ってきたではありませんか。ワシは(他のドライバーもそうだが)あわててレインタイヤに履き替えて、自分の番がくるのを待ちました。さすがに最初の頃にタイトラした人は、ただレインタイヤを付けただけというだけあって、なかなかタイムがのびません。1分8秒から、7秒、6秒とワシの順番に近づくにつれ、どんどん路面のコンディションが変わっていきます。そしていよいよワシの番が来ました。ワシは鈴鹿の雨は初めてだったので、慎重になりすぎおまけに、レインタイヤも新品だったので、皮むきに手間取り1分5秒台にとどまりました。それから後にタイムアタックをしたドライバーは、もっと路面コンディションが良くなったこともあって、トップは1分を切る59秒台とそれこそ、クジ運が良すぎたと言わざる結果となりました。それでもワシは「真ん中よりは上におるなー」と内心ホッとしていました。案の定ワシは86台中36位とまずまずの順位に、思わずニンマリするのであった。
ワシは予選でC組の12番スタートとなりました。なぜかワシは優勝した97年から毎年C組になるので「おおっ、今年もC組かー。なんかいいことありそう」とプラス思考で予選第1ヒートにのぞむのでありました。予選では雨もやんでドライ路面でレースが行われました。ワシは朝とは大幅にセッティングを変更してのぞみました。そしていよいよスタートが切られました。ワシはまずまずのスタートを決め1周目を終えました。2周目からは速いドライバー(鈴鹿シリーズのチャンピオン、後に単独スピン)には道をゆずる形で、それでいてアグレッシブに攻めるのであります。セッティングの変更が当たって、なかなか調子の良かったワシは3,4台のカートを抜いてきて、予選の第1ヒートを終えるのでした。ワシは自分でも信じられない気持ちでメカの鷲見氏に順位を聞くと「6位だよ」と言われ「ウッソー」とはしゃぐのであります。まさか6位まで上がってこれるとは、やはり減量したのが良かったのかなーと思わぬ結果にご機嫌でした。おまけにレース中のベストタイムがC組の2番手と聞くと「おいおい、ワシは天下の当日入りやぞ!他のドライバーは昨日なにやっとったんやー!!」と鼻息もあらくなっていくのでありました。そして気分のいいまま予選第2ヒートにのぞむのであります。
其の4に続く。ではまた。
AKI さん 2000年 12月 17日 09時 53分 51秒
あ〜・・・走りに行きたいよー!!!
コースがもっと近かったら空き時間にいけるのにね。
丸1日時間がとられるのでなかなか・・・
たけたろう さん 2000年 12月 16日 16時 29分 12秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 番外編」
第9回 PSーPCR全国チャンピオン大会 其の2
さて、レース当日の朝、ワシはメカニックの鷲見氏と山勝号で鈴鹿に急ぎました。何と言っても当日入りのため、早めにコースに入っておかないと、バタバタしてしまうからです。そして、ワシらは5時15分には南コースの門の前に到着しました。当然のように1番のりしたワシらは、まだ誰もいないコースを1周するほど、早く付きすぎたのであります。ほどなくして、ほかのメンバーも続々と集まりいよいよレースの朝らしくなってきました。
受け付けで、タイムトライアルのクジ引きをしたのだが、すでに4本しかクジがなかったので「おおっ、ワシ以外にも3人当日入りがおるがや]とワクワクしながらクジを引きました(しかしリタイヤした人が2人ばかいたのでやっぱり当日入りしたのはワシだけ?)。ワシのゼッケンは49番だったのだが、引いたクジはなんと49番目と「こいつは朝からえんぎがいいーーっ」と一人で喜んでいました。いがいとゆとりをもって準備が終わった頃、ノバの原さんが近づいてきました。「杉山君、調子どう?」「いやー、今日3年ぶりに鈴鹿走るんですよ」「なめとるんかコラ!!」と言われ「おのれーー!仕事休めんからしょうがないがやー!ワシが土曜日入りしたら全勝しとるぞオラーー!!」といらん闘志をかきたてるのでした。
そして、ドラミも終わっていよいよ公式練習が始まりました。ワシは奇数なのでいきなり走らなければなりません。てきとうにセッティングをして走り出すと「うぉーーっ!こんなにスピード出とったかしらん」とまずカートの速さに驚きました。いかんせんブランクが長すぎたため、目がついていかないのです。そして「ひぇーーっ!!曲がらん、止まらーーん!!」とあまりにもセッティングの出ていないマシンに四苦八苦していました。おまけに、高速シケインではコースアウトをする始末で、タイムはトップに2秒落ちでした。
「これは終わった・・・。」ワシの今回の目標は『予選通過』だったのだが、これではあまりにもひどすぎるため、ワシは今回の目標を改めた。ワシの今日の目標は、
『なんとか予選通過!!』
其の3に続く。ではまた。
まあしい さん (mercy@jina.co.jp) 2000年 12月 15日 19時 09分 43秒
みなさんお待たせいたしました!
中古車のページが出来ました!
新しくカートを買おうと思っているけど、
お金が無い人は是非中古車を・・・!
たけたろう さん 2000年 12月 15日 16時 41分 17秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 番外編」
第9回 PSーPCR全国チャンピオン大会 其の1
今年もやってきましたこの季節が・・・。よりによって鈴鹿でやるなんて、鈴木さんもミーハーだなーと思いつつワシも当然参加してきたのでした。ワシの過去のこの大会の成績は、96年:7位。97年:1位。98年:予選落ち。99年:何位か忘れた。とまあまあの結果を残してきているのである(なんてったって元チャンピオンなんだもーーん)。しかし、いかんせん資金不足のため、96年は3年落ちのPCR。97年から今年まで同じヤマハのウィンフォースと厳しい体制なのであります。そして、お決まりの当日入りとくれば、おのずから結果も見えてくるだろう。しかし、ワシはこの厳しい体制でどこまで通用するか楽しみでもあるのであります。さすがに今年は、タイヤはおニュー(昨年は中古タイヤで苦労した)。エンジンもフルオーバーホールし、おまけに5キロの減量までしてきたのでありました。しかし、体調がよくなくて、レース1周間前にカゼをひき、おまけにオケツにできものができたため、ろくに練習をしなかったのであります。
そんな不安の中、遂に12月10日がやってきたのでした。
其の2に続く。ではまた。
たけたろう さん 2000年 12月 14日 15時 57分 05秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 23」
チャンピオンへの道 其の6
そして、決勝レースが始まった。しかし、ワシの気合もむなしくあっというまにトップの由井君ともう一人のEMレーシングの子に離されて行くのであった。3位のワシは「これで終わった。1年間応援どうもありがとう」と半泣き状態で小さくなった前の2台を、ただ見守るしかないのであった。
すると、そこで信じられないことがおきるのである。ワシは走りながら体に異変を感じた。「さびーーーーっ!!」よく見るとなんと土砂降りの雨が降っているではありませんか!!さっきまでわずかに路面を濡らすていどだったのが、すでに川のように雨が路面にたたきつけます。「おーーーっと、スピンしんように走らないかんがや」と思っていると、なんと2位を走っていた子がスローダウンしているではないですか。ワシは難なくそれを抜くとき気づいた。「こいつ雨カバー付いとらへんげー」ひょっとして、ひょっとしたら、ひょっとするぞー。と思いながら先を急ぐと、やはりトップの由井君もスローダウンしていました。「やったーーー!!ラッキーーーッ!!」と大喜びでワシはトップに立ったのでした。それからワシは毎週ガッツポーズをしながらコントロールラインを走り抜け、ついにチェッカーを受けたのであった。
ワシは地獄の底から這い上がったのである。夢にまで見た芦原のチャンピオンを取ったのである。まさにドラマでも見ているような劇的な結末を迎えたのであった。ワシは由井君に「なんで雨カバー付けへんかったの?」と聞くと「だって寺井さん(EMレーシングのオーナー)が「そんなもんいらんわー」って言ったから・・・。」と半分泣いていた。ワシは彼に同情した。しかし内心思っていた。
「寺井さん。ありがとーー!!」
かくしてワシは津保川と芦原のダブルチャンピオンに輝き、次の年からいよいよチューニングクラスへとステップアップするのであった。
続く。ではまた。
たけたろう さん 2000年 12月 12日 17時 12分 04秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 22」
チャンピオンへの道 其の5
そして、いよいよ芦原の最終戦の時がやってきました。ワシは人生最大のピンチを迎えて「絶対決めてやる。チャンピオンはこのワシだ!!!」と気持ちだけが、先走っていました。タイムトライアルの結果、1位由井君、2位ワシと、いきなり出鼻をくじかれた感じでした。予選も由井君が、あっという間に2位のワシを引き離して、トップを独走したのでした。「あー、もーだめだー。これ以上ワシは速く走れない。キビシーー!!」と完全にワシは弱気になっていました。しかしなんともなりません。このまま決勝も走らなければならないのです。とそのとき雨がポツポツと降ってきたのです。土砂降りではないのですが、路面はウエットコンディションになりました。ワシは起死回生をねらって、完全な雨セットで決勝レースに挑むのでした。
其の6に続く。
PS:みなさん鈴鹿は大変ごくろうさまでした。鈴鹿のレースレポートは次の次のこのコーナーで報告します。ではまた。
ぴょんこ さん 2000年 12月 11日 23時 23分 02秒
きのうはみなさんお疲れさまでした。
ドライバーさんはもちろんメカニックのみなさんも、お疲れ様でした。
雨に翻弄された1日だったと思います。
私は土手の上から、楽しく観戦させていただいておりました。天気がよかったら最高だったのに、とつくづく思います。来年はまた瑞浪にかえってきますが、もう1回くらい鈴鹿でもいーよねー、なんて思うきょうこのごろでした。
とうま さん 2000年 12月 08日 16時 13分 16秒
もうすぐPSチャンピオン出場するする人頑張ってくださいね。
時間がありましたら応援にいきます。
山勝青果出版社 さん 2000年 12月 08日 06時 45分 45秒
大好評「たけたろうの楽しいジナレーシング」は作者レースの準備のためしばれく休みます。
ぴょんこ さん 2000年 12月 07日 22時 14分 31秒
いよいよ「PSチャンピオン大会」ですね。
私はこの日をどれほど待っていたことでしょう!!
ひっじょーに楽しみです。
ただ心配なのはお天気。やっぱり小春日和のなかでのレース観戦といきたいものです。
ジナRのみなみなさま、健闘を祈ります!!
たけたろう さん 2000年 12月 06日 17時 22分 22秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 21」
チャンピオンへの道 其の4
その最強のライバルとは、EMレーシング(現ウィリー)の由井君(今ごろ何してるのかナーー)と言って、ウワサによると北陸のクラッチスペシャリストらしい。EMレーシングの奴らも「由井君が本気出したら速いよーー!」とワシに脅しをかけてきた。調べてみると今は亡きルネス金沢というコースでは、連戦連勝の勢いである。なぜ芦原の2戦までワシは彼の存在に気づかなかったかというと、開幕戦で彼は38度の高熱のため調子が上がらず、3位だったこと。そして第2戦は、彼が試験のため欠場していたからだった。ワシはEMレーシングの戦闘員の脅しにおびえながら、第3戦を迎えたのだった。しかし、結果はやはりウワサ通り、その由井君が独走で優勝したのでした。その後、第4戦、第5戦と彼に3連勝を決められてしまい、ポイントでも逆転を許したワシであった。「いかんこのままではワシが公約した、ダブルチャンピオンの夢がかなわなくなってしまう。どーしよう」しかし、勢いからいうと由井君のほうが上である。ワシはとりあえず、今、自分に何ができるか、何をすればチャンピオンになれるか、ありとあらゆる対策を考えた。まず、軽量化である。当時はサイドボックスの出始めで、付けても付けなくてもどちらでもよかったので当然ワシは付けなかった。そしてクラッチのスターターも邪魔なのではずした。勿論タイヤは新品である。おまけに、それまで1回も練習に行ったことが無かったのに、わざわざ山勝軽トラック号で芦原の走りこみをしたのである。しかし、それでもワシの調子は上がらなかった。なぜならば、ワシのマシンは少し曲がっていたのである。極端なことを言うと、右コーナーがどアンダーで、左コーナーは超クイックなカートだったのである。これではさすがに苦しい。そしてワシは津保川のチャンピオンが決まった後、次の津保川のレースにオープンクラスで出たときに、あろうことか軟骨剥離になってしまい、右コーナーのとき痛みに耐えながら走らなければならなかったのである。
ワシは半分あきらめていた。「もー無理だ。とてもチヤンピオンなんて取れない。あーあ、もっと素直なよい子になっていれば神様もワシに御褒美をくれるのになーー」とそんな自分勝手なことを思いながら、いよいよ最終戦の日が来たのであった。
其の5に続く。ではまた。
MERCY さん (mercy@jina.co.jp) 2000年 12月 06日 12時 15分 33秒
>学校のパソコンでやっているので掲示板に乗せてもらえるとうれしいのですが・・・・
そうですか・・・・!
それでわなんとか作りましょう!
少し時間をくださいな。
いま中古車のページも作っているとこなので、
少し時間がかかりそうです。
じゃがいも さん 2000年 12月 06日 11時 53分 06秒
学校のパソコンでやっているので掲示板に乗せてもらえるとうれしいのですが・・・・
ぷー さん 2000年 12月 05日 20時 39分 10秒
PSチャンピオン見に行けない。悲しー。最近つまらんことばっか。
たけたろう さん 2000年 12月 05日 20時 24分 50秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 20」
チャンピオンへの道 其の3
ワシは公約通り津保川のチャンピオンに輝いたころ、もう一つの芦原シリーズの方では、人生最大のピンチが訪れようとしていた。
SL芦原シリーズ(通称グランドチャンピオンカップシリーズ)は、この年全6戦で争われていました。ワシは4月の開幕戦に当然のようにエントリーし、そして当たり前のように優勝を飾っていたのでした。第2戦も優勝してしまい、「なーーんやーー。こんなに簡単に2連勝とは・・。もおーー芦原もチョロイもんよ。ナハハハハハーーッ!!!(自分で書いとってもムカツク発言しとった若き日のワシ)」とそのまま芦原の温泉街にあるミュージック劇場でセンOリでもかきたくなるような心境であった(今宵はちょっと1杯やってきてからこれを書いているのでゴメンナサイ)。しかし、だいたいこんなことを思っている不届きものには(昨日も書いたようなセリフ)いいことが続くはずがありません。この芦原には、最強のライバルがいることに、この時点でワシはまったく気づいていなかったのであります。
其の4に続く。ではまた。
まあしい さん (mercy@jina.co.jp) 2000年 12月 05日 18時 56分 48秒
始めましてじゃがいもさん。
HP管理者のまあしいです。
FP−3のシリーズランキングですね!
メールアドレスを教えていただければ、
メールで送りますよ!
じゃがいも さん 2000年 12月 05日 18時 18分 22秒
突然で申し訳ないのですが。
今年の瑞浪のFP−3のランキングを20位くらいまで教えていただきたいのですが・・・
今年の第7戦までは出ていたのですが事情により出れなくなったため教えていただきたいのですが・・・
当方は、三重在住でなかなか見に行くことができないのでよろしくお願いします。
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