たけたけおたけ子 さん 2001年 02月 09日 19時 59分 17秒
 太郎さんへ。名神高速春日井インターの出たところに、レンタルカート場がありますよ。ビギナー用から上級者用までカートがそろっていてなかなか楽しめると思います(なにをかくそうワシもたまに隠れてそこで練習しているのだ)。
 というわけで本日の「たけたろうの楽しい・・・」はお休みなのぢゃ!!ではまた。

太郎 さん (ANB38857@nifty.com) 2001年 02月 09日 15時 26分 20秒
 こんにちは カートに興味がありこのページを開きました。 そこで質問があります・・いま愛知県岡崎市に在住ですが、静岡県・愛知県にレンタルカートを行っている場所はありますか?できれば教えてもらいたいです。
 よかったら詳しくどなたか教えて下さい。お願いします

2000GTマッハGOGO さん 2001年 02月 09日 14時 13分 46秒
 2000へ 
カート部へ、ステップUPしたんだ!?

   部費が入ったら、社会勉強しに行く?

sakura さん (sakura@chive.ocn.ne.jp) 2001年 02月 08日 23時 03分 34秒
2000へ私の夢をかなえてくれてありがとう。

たけたろう さん 2001年 02月 08日 16時 16分 58秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 48」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド其の14(つま恋国際カートコース編 3)

 さて、ワシのつま恋の思い出といえば、今から6年ほど前の95年の地方選手権であろう。例年つま恋は最終戦に組み込まれているのだが、その日はワシの地方選手権最後の挑戦でもあったのである。思えば、92年の最終戦から丸3年間、ずーーっと地方選に参戦してきて目立った成績を残せないまま19回目の地方選を迎えたのでした(地方選19戦連続出場は当時ワシのささやかな自慢でもあった)。いいかげん、支払い(ツケね)もたまってきて、ワシの地方選に参戦する気力と意欲がなくなってきたので「これで最後だ!!」という気分で臨んだのでした。今では考えられないことだが、ワシはコースに土曜日入りして最後の地方選に賭けていたのでした。しかし、そんなときにかぎってワシの体調が最悪で、右目に大きなめんぼ(ものもらい、岡山弁だはめばちことも言う)ができ、おまけに頭痛信号がピピッときて、おそらくカゼだろうけど厳しい条件で臨まなければいけなくなったのでした。
 いよいよレース当日、やはり季節は12月ということで朝からキンキンに冷え込んでいました。ワシにしてみれば「シメシメ」という状況のなか、公式練習も終り、さてこれからタイトラと言う時のことでした。その日ジナレーシングからエントリーしたのはワシひとりで、当然パドック割りもよそのチームと一緒になったのだが、よりによって北陸の暴れん坊「チーム ウィリー」と一緒になったのでした。ウィリーも坂尻君という昔から顔見知りの子しかエントリーしていなかったので、二人で仲良くやっていたとき、ワンカップ片手にウィリーのオーナーの寺井氏がやってきたのでした。「オイッ。おまえらタイトラは全開でいけるぞ!!」とプーーンと酒くさい声で言います。寺井氏はわざわざ公式練習の間、コントロールタワー下にある音量計測機で見ていてくれたのでした。人のいいワシらは、その言葉を当然信じ込みタイトラに臨んだのでした。ワシはこん身のタイムアタックで、50台くらい出ていたと思うがなんと4番手タイムをたたき出したのです。ワシとメカの西浦氏は小躍りして喜んだものでした。「よしっ!このままいけば最後の最後で有終の美を飾れるやんけー!!」とワシは気合を入れなおしていました。そして、いよいよタイムトライアルの結果が張り出され、ワシと西浦氏が見に行くと、「な、ないっ!!ワシの名前がないーーっ!!」B組の2番手にいるはずのワシの名前がないではありませんか。もう一度良く見るとそこには非情にもこんなことが書かれてあった。
 『杉山武久(ジナR)音量ペナルティー1秒加算』
 こんなことってあるんだろうか。ワシの思い描いた有終の美はこの時点でもろくも崩れ去ったのでした。ほとんど最後尾に落とされたワシの地方選は、これで終ったのである。ああ、人の言うことって素直に聞くものではないと心に誓うのでした。
 ちなみに50台ばかりエントリーのあったFA2クラスで、ワシのほかにもう一人音量ペナルティーを食らった人がいました。その人の名は、チームウィリーの坂尻くんであったことを付け加えておこう・・・。
 其の15(次回はトヨタスピードランド編)に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 02月 06日 16時 19分 36秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 47」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド其の13(つま恋国際カートコース編 2)

 さて、そんなつま恋のコースを紹介しよう。まずホームストレートを駆け下り(ここは下り坂なのでメチャクチャスピードが出るので恐い)1コーナーです。ほとんど直角なのですが、アクセルを少し抜くだけで曲がっていきます。イン側の縁石に「ブルルン」と乗っていくといいだろう。しかし、タイミングを外すとアウト側のダートへ1直線であります。1コーナーを立ちあがってすぐにブレーキングして向きを変えないと、2コーナーのイン側に付けないので、1,2コーナーは「大きいヘアピン」と考えていくのもいいでしょう。2コーナーの立ちあがりの縁石に乗りすぎると「ブルルルルリウワーーッ!!」とダートに飛び出すので注意します。3コーナーは軽く右に曲がっているがそこでブレーキングしないと4コーナーを回れないので、手前から直線的に行ったほうがいいです。4コーナーは結構大きいRで苦しいのだが、なんとかふんばりましょう。5コーナーは入り口がいがいときつくて出口がゆるいので、できれば立ちあがり重視にセットしたいものです(ここでマシンが決まっていないと裏ストレートが苦しい)。裏ストレートを抜けると6,7コーナーのシケインです。ここは一つ目で「ギュギュッ」と入って立ちあがりで「スパーーン」という感じでいきます。出口の縁石にカートを「バコーーン」と乗り上げて行く人がいるが、そんなことをすると体力が消耗するだけなのでいただけません。シケインを立ちあがってすぐに最終コーナーがあります。ここは、木の影になるので非常に見にくいのだが、早めにブレーキングしてカートの向きを変えないとインにつけないので注意しましょう。ここも立ちあがりの縁石に乗ってしまうとダートに飛び出すので気をつけます。
 こんな感じでいかがでしょうか?原さん?
 其の14(次回はつま恋国際カートコース編 3)に続く。ではまた。

とうま さん 2001年 02月 06日 06時 41分 15秒
おはようございます。
みなさん元気ですか、
そろそろみなさんも雪の中から這い出して
カートに乗り出す今日このごろ

おたけさんいつも読んでるよー
かきかき、しこしこたのしいな。

たけたろう さん 2001年 02月 05日 16時 37分 42秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 46」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド其の12(つま恋国際カートコース編 1)

 つま恋はきれいである。緑がまぶしく芝生も整備されていてさすがヤマハリゾートなのである。しかし、国際カートコースのわりにはいかんせん規模が小さいのであります(昔トゥルーリが言っていた)。あんなけ広い敷地があるのに、800メートルそこそこのコースでは、設計した人間の器が小さいのか、オチンチンが小さいのか疑問に残るのである。しかし、コースの力関係か毎年全日本や地方選が開催されるので、ステップアップをするカーターは必ず走らなければならない重要なコースでもあるのだ。
 ワシも、何回かつま恋を走ったのだが、なかなかの高速コースで、それでいて半時計回りのためいつも左の首筋を痛めてしまうやっかいなコースなのであります。特に1コーナーな脇で見ていると、あまりのコーナーリングスピードの高さからか、カートがよじれているのが分かるのであります。「ワシ、本当にこんなスピードで走っとるんかしらん?」と思うほどで、コースの規模が小さいわりにはドライバーをびびらせるのである。
 其の13(次回はつま恋国際カートコース編 2)に続く(今日は時間がないのでこんなけだよーん)。ではまた。

もりたの父 さん 2001年 02月 04日 21時 37分 44秒
たけたろうさんへ、子供が世話になっています。
いつも楽しく読んでいてますよ。
ありがとうございます。
「たけたろうの楽しいジナレーシング」
これからも連載に期待しています。
子供に印刷して見せてますよ。
話は変わりますが、
HPの管理人さん、
RACE INFO / CIRCUIT INFO
など更新してくださいね。
せっかくの良いHPですからね。

おせっかいのおじさんでした。
 

たけたろう さん 2001年 02月 04日 19時 52分 34秒
 最近、ワシは寂しいのだ。なぜならば「たけたろうの楽しい・・・」をせっかくカキコしているにもかかわらず、誰も感想文を書いてくれないのである。本当に皆さん読んでくれているのか、不安である。
 皆さん、つまらない話ばかりで申し訳ないが、是非感想を聞かせてちょーらい。そうでないとテンションが下がっていくんじゃーないかと不安なのである今日このごろのワシなのでした。

わしが池田じゃ! さん (ZVQ01226@nifty.ne.jp) 2001年 02月 04日 19時 07分 43秒
わしが池田です。
ちょっと過去の人だけどけんぞーには負けません!!
三田クラブ長にも負けません!!
    多分まけるけど・・・・
でも 彦根城には負けない。絶対!!!!!!
 やっとジナのページに行けた池田君でした。
     マーシー元気か朝時々見るよ。

謎の男 さん 2001年 02月 03日 18時 09分 02秒
 名前は名乗れませんが まんまん教の教祖 たけたろう師を心から尊敬しております。(うそ) しかし たけたろう氏を心から恐れているのは本当です。みなさんご存知のように、たけたろう氏は善人ぶった極悪人で おれが世界の中心だ 自作自演 自我自賛 唯我独尊 な人です このままでは日本の青果市場もすべて たけたろう氏の計画どおり独占市場化するのではないでしょうか? 柿1個5.000円? わおお
 しかし 一信者の私は まんまん教の益々の発展のため教典である たけたろうの楽しいジナレーシング を楽しく拝読させていただいております。製本されて店頭に並んだ時には 必ず買いあさって まんまん教の運営資金にビックリするほど貢献したいような やっぱりやめようかどうか複雑なムードがただようフィーリングですうが 一冊ぐらいは義理で買います。 たけたろう先生がんばって

yoshiです さん 2001年 02月 02日 20時 00分 21秒
今度の日曜日はお世話になります。
クルマを置きに行くだけになりそうですが・・・。
もし、万一コースが空いていたら、を考え、
とりあえず走る準備はしますけど。
ではでは、失礼しました。

たけたろう さん 2001年 02月 02日 15時 55分 17秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 45」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の11(鈴鹿サーキット南コース編 2)

 さて、南コースを紹介しよう。まず、長いホームストレートをすぎると複合といってもいい1,2コーナーがあります。1コーナーでがんばりすぎると、直後の2コーナーが苦しくなるので注意します。2コーナーの立ちあがりで失敗すると3コーナーまでのバックストレートの伸びがなくなるので、1コーナーはゆっくり小さく、2コーナーでためていたものを吐き出すという感じがいいでしょう。バックストレートは、上りなんだけど意外とスピードが出るので3コーナーの侵入は、結構恐いです。3,4コーナーも複合になっているので、3コーナーの侵入はいいのだが直後の4コーナーのRがきついので、非常に難しいところです。4コーナーの立ちあがりもムリをすると、5コーナーの侵入が苦しくなるので注意します。特に5コーナーからはS字になっているので、失敗すると6,7コーナーもうまく走れなくなるので厳しいところです。要するにラインに乗ってじょうずにクリアすると、こんなに気持ちのいいコーナーはないということです。8コーナーは逆バンク気味で、ここもラインを外すとバタバタとカートが外に飛んでいくので無理は禁物です。9コーナーのヘアピンもクセモノです。ヘアピンなんだけど意外とコーナーリングスピードが高いので、あまりスピードを落としすぎてもいかんし、逆に突っ込みすぎると、どこかに飛んでいってしまうのでこれも難しいこーなーです。短いストレートの次に10,11コーナーの高速シケインです。セッティングが決まっていれば全開で行けるのだが、決まっていないのに無理をして突っ込むと、まずまちがいなくダートに飛び出します(先日のレースでワシは中でアクセルを抜いていた。3年前は全開で行けたのになーー)。縁石にも乗らないほうがいいでしょう。最終コーナーは、ホームストレートのスピードを生かすために、きれいにまわりましょう。アウトにはらんだり、立ちあがりの縁石に乗ったりするとストレートの伸びがなくなるので注意します。こんな感じで1周するのだが、まともに練習したことがないワシが説明してもあんまり説得力がないのであしからず。
 鈴鹿の思い出は、やはりこのワシがFSAクラスでレースにでたことかなー?ちょうどワシが地方選に出だした時の頃です。たまたまブリヂストンの6インチのタイヤがジナにあったのです。当時全日本に出場していた原氏は、ダンロップと契約していたので、それを使うことが出来ません。そんな時堀井氏がワシに「おまえ出ろ!!」ときました。ワシはその時、まだ鈴鹿は1回しか走ったことがなく、ましてやステップアップしたてのヒヨッコがいきなりFSAで走れなんて、なんて無謀なことかと思ったものでした。しかし、ワシみたいのがFSAで走るとどんなものなのか興味もあったので、出ることにしたのです。しかし、いざFSAで走ってみると、やはり現実はキビシーといわざるを得ません。いかんせん初めてのハイグリップタイヤで、おまけに6インチだったので、まともに走れというほうがおかしいのです。トップ(確か津田さんだったと思う)から2秒以上遅くて、一緒に出てくれた原氏よりも1,5秒以上遅かったときは「出るんじゃなかったー」と落ち込みました。しかしレースが終ってみるとフルグリッド34台中11位だったのが今でも不思議であります(ちなみに原さんはメカトラで1周遅れでした)。
 あー。PSチャンピオン大会も今年は瑞浪に出戻りなので、もう鈴鹿を走ることはなくなってしまうんでしょうか?そんなことを思わせるくらい、鈴鹿は走りがいのあるコースだということなのです。
 其の12(次回はつま恋国際カートコース編)に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 02月 01日 15時 03分 27秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 44」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド其の10(鈴鹿サーキット南コース編 1)

 さて、いよいよみなさんあこがれの『鈴鹿サーキット南コース』であります。今から10年ほど前に、4輪のFJ1600や2輪の練習コースとして誕生したのだが、コースの規模から言ってカートのレースが行われるのはごく自然の成り行きでした。初めの頃は、現在のように3ペダルのミッションカートや、無限エンジンのクラスなど無かった為、チューニングとヤマハのKTを使ったオープンクラスでレースをやっていました。当然ミーハーカート軍団のジナレーシング勢も、こぞって参加するのでした。
 ワシが初めて南コースを走ったのは、92年のことでした。オープンクラスにエントリーしたのだが、やはりみなさん『鈴鹿』を走りたいんでしょう。100台近くのエントリーを集めて、大盛況でした。鈴鹿のいいところは、どんなにエントリー台数を集めても走らせてくれることで、ぶっつけ本番のワシでも、デビジョン2で決勝を走ることが出来たのでした(ちなみにその日のデビジョン3で優勝したのは当時まだ現役カーターだったピエール北川だった)。初めての鈴鹿の印象というのは、これといってないけれどもやはり「生のレースクィーン」が見られたことがうれしかったのであります(このときは記念撮影をしたぐらいだった)。
 鈴鹿サーキットの悪いとこは、いかんせん練習が出来ないことです。ワシのような中小企業の小企業に勤める人間は、レース前日の土曜日に休めないので(当然金曜日も休めん)ワシはいまだかつて鈴鹿で練習走行をしたことが、1回もないのである。仮に土曜日に練習できたとしても、クラス分けで1時間ちょっと走れれば、いいところではないでしょうか?それでも鈴鹿のレースはいつも大盛況で、やはりそれだけカートドライバーをひきつける魅力があるコースなんだと認めなくてはいけないでしょう(でも鈴鹿はサーキットがあるから知られているけど、もしサーキットがなければただの田舎なんやけどなー)。
 其の11(次回は鈴鹿サーキット南コース編 2)に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 01月 31日 15時 45分 55秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 43」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の9(カートランド三重編 2)

 さて、そんなバンピーな三重のコースを紹介しよう。まず最終コーナーから立ちあがって100メートルほどのホームストレートを下って行きます。1コーナーは、ほぼ直角で全開で行けます。2コーナーも直角でほとんど全開で行けるのだが、スピードが乗っているのでムリをすると飛び出します。すぐにフルブレーキングして、3コーナーのヘアピンです。ここはできるだけ奥にクリップを取らないと直後の4コーナーが苦しくなります。4コーナーを立ちあがってゆるいRの5,6コーナーを全開で抜けると、テクニカルな7,8コーナーのS字です。ここは縁石を巧みに利用して、決まると気持ちいいです。8コーナー出口の縁石に乗らないように立ちあがって、ゆるいRのスプーンを全開で行くといよいよ魔の最終コーナーです。ここは、じょうずにブレーキングして立ちあがらないと、出口がガケになっているので、タイヤを落とすとゴミの山に突っ込むので注意しましょう。そんな感じで1周するのだが、いかがなもんでしょうか伊藤チャン??
 三重に走りに行くときは、必ず藤井さんという管理人さんに電話をしなければなりません。週末に行く時はべつにいいのだが、ワシはほとんど平日に練習するのでわざわざ電話して、コースを開けてもらうのでした。その藤井さんという人物、ただものではありませんでした。ある、地方戦の前の週の水曜日にワシははりきって練習に行った日のことです。まだ、昼休みの時間帯でもないのに藤井さんが、1輪車でコースに入って来ます。ワシは「なにするんやろー?このオッサン?」と見ていると、なんとS字の路面が削れている部分にコールタールをバラまきはじめるではありませんか!!それでまいたコールタールをシャベルで「パンパン」と固めています。ワシはアゼンとして開いた口がふさがりません。当然のごとく、すぐにそのコールタールはカートが走るとはがれてしまい、グリップもなくなりとても練習どころではありません。
 まだあります。次の年の地方戦の前の週の水曜日にワシが練習に行くと、今度は3コーナーあたりに重機をもっていき、ワシらが走っているすぐ脇で山を削っているではありませんか。もしそこでコースアウトでもしようものなら、そのまま重機のキャタピラーに巻き込まれるんじゃないかとヒヤヒヤでとても練習どころではありません。おまけに、レースがある次の日曜日にコースに行くと、なんとヘアピンの位置が奥に移動しているではありませんか!!なんで山を削っていたのか、レースの日に分かるとはさすがのワシも苦笑するしかありません。
 水道の施設が無い為、藤井さんはとなりの池からセッセとバケツで水を汲んでは、トイレの上にあるタンクにためていたのも思い出します(ちなみに雨の日にコースアウトしてカートがドロドロになったらとなりの池が洗車場でした)。
 そんな、カートランド三重も最近ごぶさたしています。いつか機会があれば、また走りたいなーー。
 其の10(次回は鈴鹿サーキット南コース編)に続く。ではまた。
 

たけおけけ さん 2001年 01月 30日 19時 53分 18秒
 Pんこさま。心配せんでもええよ!ネタいくらでもあるけん。予定では連載150回は行くだろう。だから連載終ったらマシーに本でも作ってもらってジナレーシングで売ってもらうにー!!(ちなみに売上金はワシのカート資金にするのじゃ)
 というわけで、本日の「たけたろうの・・・」は休みです。念の為。

2000 さん 2001年 01月 30日 15時 41分 57秒
 こんにちは。なんかメール打ってる今、関市は雪降りそうな天気なんですが。今月は岐阜のお店に2,3回しか行っていないんですが、久しぶりに先週カート代のつけをいつも通り払いに行ってきました。その用事が済むと増田さんのお手伝いをして、大学に提出する(した)去年のレース結果をまとめてました。その日は夜の10時から夜勤バイトだったのでいつもより早くお店から帰っていきました。次岐阜のお店へはいつ行けるだろうか分かりません。SL開幕戦にも出れません。その週から企業セミナーですので。ただ、開幕戦の日晴れていれば僕の愛車ミント号で瑞浪へレースを見に行くかもしれません(時間があれば)。 ジナの朝日大学カートクラブ部員とOBのみなさん(といっても3人しかいませんが)、ついに体育部への昇格届を学生支援課(旧学生課)に提出してきました。名前を集めるのに大変でしたが、なんとかなりました。2月に学生協議会という会議で話し合いが行われるそうなのでまだ昇格なるか分かりませんが、なんとかなるんじゃないですかねぇ。もう5年経ってますし(規定3年以上)レース結果の提出(添付書類のリザルト表の表紙の協賛会社の名前が効いてるみたい・・・)、大学対抗への参加(プラカード持ってる自分と大学の名前がちょろっと書いてあるジャパンカート持っていって、事務の人に全国誌ですよ、って言ったらこれまた効いた・・・)、大学祭へのカートの展示(初日しかやりませんでしたけど)など今年頑張ってきましたので。それに去年の春、同好会の委員長みたいな人(同じ学生なんですが)が「もう5年も同好会やってるんだからもうそろそろ部に上がってみては・・・」と、いかにもほかの同好会の部費増やしたいから出てけって言ってるみたいな言い方されたので、それなら絶対に部に上がってやるって思いましたし。 楽しみにしててください。先輩たちにも分け前があるかもしれませんから。      あ、打ち終わったら今晴れてきた・・・  
 

やーの さん 2001年 01月 30日 01時 19分 06秒
また、先週も瑞浪は雪。まったく、今年はどうなっとんだ!!いつまでたってもはしれんやんけ〜。
今週末もはしれんかったら、その次はもう開幕戦じゃんかー。どうせちゅうんやー!!
というわけで、来年こそは開幕戦3月にしましょう!!!

ぴょんこ さん 2001年 01月 30日 00時 31分 26秒
たけたろうさま、あなたの根気のよさには頭がさがります。これからも楽しいカキコ楽しみにしております。
ねたぎれがちょっと心配ですが、なんせおまえさん12年のカート人生、まだまだ大丈夫ですよね!
遅くなりましたが・・「はっぴ〜、ば〜すでぃ!! ようこそ三十路の世界へ!!」

管理人さん>
「瑞浪レイクウェイ」は「瑞浪LW」だよ〜ん!!

たけたろう さん 2001年 01月 29日 16時 21分 15秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 42」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の8(カートランド三重編 1)

 5つ目のコースは『カートランド三重』であります。ワシがこにコースを初めて足を運んだのは、91年のことでありました。当時地方選に出場していた今は亡き中村秀康氏のメカニックとして付いていったのでした。その時の印象は「なんて小汚いコースだ!!」でした。まず水道がないわ。トイレは汚いわ。最終コーナーの出口にはゴミがたまっているわで、もーたまりません。おまけに屋根付きパドックは、震度3くらいの地震で崩れ落ちそうなくらいサビサビで、それまで津保川をバカにしていたのが恥ずかしいくらいのコースです。「こんなところでよく地方選なんかやるなー」と感心しました。しかしコースレイアウトはなかなかテクニカルで面白そうなのだが、走ってるカートを見るとものすごいバンピーなのが分かります。どこのコーナーでもカートが激しくピッキングしていて、カートを降りてきた人を見ると、苦痛で顔がゆがんでいます。しかしその日のレースの参加台数を見ると、150台近くいたでしょうか。なかなか盛り上がっていていいコースだと思いました(どっちなんやー!)。
 さて、その日ワシは初めてメカニックとして付いてきたのだが、メカニックらしいことは何一つせず(押しがけはしたよ)、他のクラスのレースばかり見ていました。そして、いよいよ中村秀康氏のレースの時にハプニングが起きました。彼は決勝で後方からものすごい追い上げを見せていたのだが、残り数周の1コーナーであろうことか、右のリアタイヤがハブごと抜けてしまい、そのままスピンしながらクラッシュパッドに当たったと同時に宙に浮き上がったのです。彼は空中でも4,5回転くらいスピンしていて、その光景はまるで「ガメラ」を見ているようでした。チューニングで1コーナー全開クラッシュのため、中村氏の愛機「トニーカート」はオシャカになったのでした。もとはといえば、メカニックのワシがレースばかり見ていたおかげで、リアハブが外れるわけであって、ここであらためて中村秀康氏にお詫び申し上げます。
 「激しいのをありがとう!!」
 其の9(次回はカートランド三重編 2)に続く。

 PS:ジナレーシングクラブ長三田幸二氏、お誕生日おめでとう。あの可愛かったさんちゃんも27才ですかーー。年食ったなーー!!ちなみにワシも本日30才になりました・・・。あーあ年食ったなーー・・・。
 ではまた。

ようこ さん 2001年 01月 29日 00時 45分 57秒
去年の山際賢三選手の活躍素晴らしかったです。
1年であんなに速くなるなんて、びっくりしちゃった。
今年は絶対瑞浪のチャンピオン取ってね。
陰ながら応援しています。実は毎レース行ってるんですけど、なかなか私のことに気づいてくれなくて寂しい思いしてるんです・・・がんばってね、私の山際選手

たけたろう さん 2001年 01月 28日 17時 51分 16秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 41」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の7(瑞浪レイクウェイ編 3)

 この10年間、瑞浪ではいろんな事がありました。ワシの『新春鎖骨ポッキリ事件』を筆頭に、『新人初走行即2コーナー落下事件』『地方戦ドライバーぐにゃぐにゃ事件』などなど・・・。
 まず『新人初走行即2コーナー落下事件』を紹介しよう。ある寒い日のことでした。ジナレーシングの新人の女の子がシェイクダウンしました。彼女ははりきってコースに飛び出し、最初の2コーナーでいきなり悲劇がおこったのでした。ワシもその日コースにいたのだが、なにやらザワザワとざわめいたので耳をすますと「おいっ!誰かが2コーナーから落ちたぞ!!」という声が・・・。ワシは野次馬根性で見に行くと、なんとジナの女の子が2コーナーのがけ下に転落しているではありませんか。当時はまだ現在にように、金網がなかったので勢いあまってそのまま真っ直ぐ行ってしまったのでした。それも1周目で転落するとはかなりの勢いで飛び出したんじゃあないかと推測されます。かわいそうに彼女は泣きながら「止まらんかったもーーん!!」と言っていました。それ以来その子がカートに乗ることはありませんでした。
 次に『地方戦ドライバーぐにゃぐにゃ事件』を紹介しよう。ワシが地方戦に出ていたときのことでした。その日は雨でなかなか視界が悪かった記憶があります。FR2の予選が始まろうとしていたときそれは起こりました(ちなみにワシはFA2クラスだよ)。ポールのドライバーのローリングが異常に早くてなかなか隊列がそろいません。コントロールラインでたまらずポールのドライバーに、白黒の警告旗が出された瞬間、あろうことかそのドライバーがそこでフルブレーキングしたのです。雨で視界の悪い後方のドライバーはそんなこととはつゆ知らず、全開で最終コーナーから立ちあがってきます。当然のごとく「ドシャドシャドッシャーーン!!」と大クラッシュがおこりました。不幸にもその中の二人のドライバーが、コースに投げ出されて、まるでダミー人形のように後続のカートに轢かれていくではありませんか。その時にかぎってワシのパドックがコントロールタワー横の屋根付きパドックだったりするものだから、ワシはモロにその瞬間を見てしまうのでした。幸いにも大事にはいたらなかったが、そんなのを見てしまったワシのテンションは下がりっぱなしで、その日のレースは最悪でした。
 そのほかカートの神様、李さんの1コーナーでの大クラッシュや、津田さんのマジギレの瞬間など、いろんなハプニングが思い出されます。瑞浪は国内を代表する、すばらしいカートコースです。これからもみなさんどんどん足を運んで、たくさん走りこんでもらいたいと思います。
 其の8(次回はカートランド三重編)に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 01月 27日 16時 49分 23秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 40」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の6(瑞浪レイクウェイ編 2)

 さて、とりあえずコースを紹介しよう。まず最終コーナーから立ちあがってからは、ひたすら全開である。勿論1コーナーも全開で行くことが出来ます。2コーナー手前でフルブレーキングし、クリップを極力奥にとって立ちあがりましょう。ブラインドの3コーナーを抜けると、またフルブレーキングして4コーナーのヘアピンです。5コーナーは、あまりアウト側にふくらまないように抜けないと、6コーナーのスプーンの進入が苦しくなります。しかし、あんまりイン側を空けすぎても、後ろのカートに抜かれてしまうので要注意。6コーナーの立ちあがりで縁石に乗りすぎると、ダートに飛び出すので注意します。裏ストレートが終わるとS字です。一つ目の進入は突っ込み過ぎないように、二つ目の立ちあがり重視でまわって行きます。最終コーナーもなるべく小さくまわっていったほうがいいでしょう。
 そんな感じで、1周するのだが基本的に立ちあがり重視のコースといえます。ワシはストレートの遅さをコーナーでカバーしようとするので、なかなかいいタイムが出ません。やはり、なんといっても走りこむことが一番タイムアップにつながるのだろう。
 瑞浪がオープンしてから、早10年近くたとうとしています。この10年間で、レーシングカートは目覚しい進歩をとげたと思います。オープンしたての頃は、ストックで53秒ー54秒台。PSーPCRで50秒ー49秒台出せればいいとこ行っていたのが、現在はそれより2秒以上タイムが上がっています。まあタイヤやフレームがまったく当時とは違うので一概には言えないが、そのうち何年かしたら、ストックでも50秒切るんじゃないかとも思えます。
 瑞浪は、やはり高速コースを売りにしているので、1周の平均時速も他のコースでは見られないものがあります。ストックで1周平均時速70キロ以上出ていることを思うと、やはりすごいです。ちなみにワシは、昔全日本仕様でのベストタイムが45秒フラットでした。これは平均時速で90キロは出ているので、今思えば「よくあんなバケモンカートに乗っとったなー」と感心します。7,8年ほど前に「ジャパンカート」で、松堂さんがストックの最高速テストをやっていたときも、2コーナー手前で100キロ以上(ストックでだよ)出していたときはたまげました。やはり、瑞浪ほどの高速サーキットは他にないと、確信する今日このごろのワシであります。
 其の7(次回は瑞浪レイクウェイ編 3)に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 01月 26日 15時 57分 35秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 39」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の5(瑞浪レイクウェイ編 1)

 4つ目のコースは、おなじみ『瑞浪レイクウェイ』である。言わずと知れたジナレーシングクラブのホームコースなのだが、ワシははっきり言ってこのコースは苦手である。なぜならば、その1:ワシがモデル並みの長身のためスリップに入られやすい。その2:ワシがあまりに豪勢な食生活を送っていて体重オーバーのためスリップに入られやすい。その3:ワシがいつもかもぶっつけ本番のためスリップに入られやすい。その4:ワシのカートが戦闘力不足のためスリップに入られやすい。まあ、その3とその4についてはあまり関係無いことだが、とにかく自分のホームコースのくせに遅いのである。とにかく瑞浪が出来た頃のうたい文句は「ヨーロピアンタイプの超高速コース」である。ヨーロピアンと言っても当時のワシはヨーロッパどころか飛行機にも乗ったことがなかったので(しかし一昨年新婚旅行で初めて飛行機に乗ったもんねーー!西浦さん)なにがヨーロピアンなのかよく分からないのである。確かにそれまでの国内のカートコースは狭い土地を有効に使ったチョコマカしたコースばかりだったので、広いことは広いのだが、いかんせんワシには不向きなのだ。とにかくストレートが長いのでドラッグの多いワシは、いとも簡単にスリップを使われ、そして抜かれていくのでした。ちなみにワシが前のカートのスリップを使ったときはというと、とりあえずスリップは効くのだが、いざ抜こうとしてカートを横に振った瞬間「ボワッ」と全身に風を浴びて失速するのである。あーあ、そんなときはいつもこう思うのである。「ワシがさんちゃんやまっさんだったらなーー・・・。」
 しかし、身近にこういうコースが出来たことによっていいこともあります。まず瑞浪は、国内を代表するカートコースのため、まちがいなく毎年全日本がやること。PSチャンピオン大会も昨年は鈴鹿に奪われたが、今年はまた瑞浪に戻ってくるので近くていい。更にてきとうなタレントも来たりしてミーハーなワシにはちょこっとうれしい。少し前にはハイレグレースクィーンもいたので目の保養にもなったし、いやーさすがヨーロピアンなのである。
 其の5(次回は瑞浪レイクウェイ編 2)に続く。

 PS:先日の水曜日に、またしてもワシとヨメは温泉に行ってしまったのである。場所は「美輝の里」というところで、金山の飛山の信号から入っていったのだが、大変雪深いところで、途中おサルさんと遭遇しました。天然のおサルさんを見たヨメは大喜びで、ワシは今度は温泉ではなくモンキーパークに連れて行こうと思うのだった(そのほうが近くていいもん)。
 ではまた。

2000 さん 2001年 01月 24日 10時 05分 52秒
 たけたろうさん、いるんですねぇ、すごい人の名前持ち出して自分もすごいと思う人・・・。まぁ、自己満足の世界なんでしょうけどねぇ。
 ジナスキーへ行かれたみなさん、楽しかったですかぁ?自分は就職活動で必死です。資料請求しても返事のこない会社があるんです。大変なのはもともと分かってたことなんですけどね。2月からセミナーだらけ・・・。何としてもSLシリーズ開幕戦に出たいと思ってるんですけど、微妙な状況になってきました。今年は就職決めるまでレース出場休止しようかなぁ。練習も行けないですしー。

たけたろう さん 2001年 01月 22日 16時 32分 48秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 38」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の4(ラリーキッズ伊那編)

 さて、3つ目のコースは「ラリーキッズ伊那」であります。ここは、高速コーナーと低速コーナー。そしてアップダウンを交えたかなりのテクニカルコースです。まず、1,2コーナは全開でなるべく直線的に抜け、直角の3コーナーの後すぐにフルブレーキングして、4コーナーのヘアピン(ここが1番キツイ)。そして、複合の5,6、コーナーを抜けると上りの裏ストレート。そのまま、8コーナーのヘアピンを立ちあがってすぐに、全開で行ける高速シケイン(ここが決まると気持ちいい!)。それから、難しい下りのブラインドの10コーナー。ずーっと下ってまたまたブラインドの最終コーナーと続きます。はっきり言ってこのコースは楽しいのである。ストレートはいがいと長いし(しかし1コーナーでは抜けない)、アップダウンがけっこうあって、何と言うか走りがいのあるコースだと個人的に思うのである。
 さて、ワシは伊那で2回レースに出場したことがあります。前にも書いたオープニングレースと4年ほど前にPSーPCRで出ました。その日は、優勝するとエンジンがもらえるというので(そういう時にしか遠征しないジプシーカート軍団のジナレーシングなのだ)エントリーしたのだが、あまりのエントリー台数の少なさに、なんとリードコメットクラスと混走になってしまいました。その、リードコメットをワシはそのとき初めて見たのだが、いっしょに走るとストレートはPCRより遅いのだが、コーナーの立ち上がりが速くて、なかなかやっかいなエンジンなのでした。まあ、レースの結果はやはり地元の連中が速くて、残念ながら賞品のエンジンには手が届かなかったのだが(ジナ勢のトップは当時地元長野に凱旋帰国したばかりの松下氏だった。ちなみにワシは予選でカブッたりしたのが影響してドボクソでした)、ここで笑い話をひとつ書こう。ワシらと一緒にこのレースに出ていた、「いけちゃん」こと池田氏がレース中、パワーボールレーシングの選手とからみました。レース後ふたりは、パドックでもみあっています。あわてて止めに入ったのだが、相手の捨てゼリフがこれです。
 「オレは佐野の弟子やぞ!!」ワシらはあぜんとして、そしてこう思いました。
 「それがどうしたの??」
 其の5(次回は瑞浪レイクウェイ編)に続く。

 PS:き、筋肉痛やけん!!ではまた。

 

たけたろう さん 2001年 01月 19日 16時 42分 03秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 37」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の3(旧グランドサーキット芦原編 2)

 4年前の、あの事故のあと全面改修された芦原は、1コーナーからバンクにかけて旧コースの面影を残すだけで、現在はまったく別のサーキットに生まれ変わったのでした。確かに奥のヘアピンから立ちあがって来て、正面からバンクを立ちあがってきたカートとすれ違う時は、恐怖を感じたものでした。その昔バイクでも同じような事故があったことを思えば、ワシの身に何もおきなかったのは、運が良かっただけであって、確かに気の毒な事故ではあったが、レースに参加している以上仕方の無いことではないかと思うのであります。残念ながら、ワシとしたことが、いまだに新芦原を走っていないのである。今年は是非とも走りたいものだ。
 芦原のレースでは、いろいろな思い出があります。ワシは芦原の相性が良くて、ここで5,6回優勝したことがあります。クラッチクラスのチャンピオンから始まりチューニングやPSーPCRでも優勝経験があるのである(特にPCRでは賞品でエンジンをいただいたのでおいしいのだ)。また、芦原出身のドライバーはなかなかレベルが高くて、たとえば昨年の全日本のランキング2位の宮森りー君や、フォーミュラートヨタで活躍している伊藤健二君などなど、芦原もあなどれないのであります。
 あと、芦原に行った時の楽しみといえば、やはり「ミュージック劇場」です。ワシも生まれて初めてストリップを見たときは、興奮はしなかったが感動したことを思い出します。まだハタチそこそこのピチピチギャルから40近いブヨブヨおばさん。男優さんのあそこのデカさには、あこがれたものでした。ああ。また行きたい・・・。
 今年も、芦原のレースはジナがやると思いますが、チームのみなさんもオフィシャルではなくドライバーとして、どんどん芦原シリーズに出てもらいたいものであります。
 其の4(次回はラリーキッズ伊那編)に続く。

PS:少し前の話になるが、昨年の大晦日にワシとヨメは大山しんちゃん邸に、恒例の「世紀末年越しタコヤキパーテー」のため行きました。スペシャルゲストとして我が家の愛猫のしゃしゅけぇ『本名:さすけ。雄のトラ模様。昨年の8月、岐阜市中央卸売市場にて捕獲。趣味:ワシに潰されること(ワシの重みがいいらしい)。トラ模様なので阪神ファンと推測される。ちなみにワシは中日ファン。ヨメは巨人ファンである。』を連れていきました。無事に新世紀を迎えて我が家に帰る道中、しゃしゅけぇの様子がおかしいのに気づきました。金縛りにでもあっているんじゃないかというくらい全身をブルブル震わせ、そして我が家まであと1分というときに、急に「ニャーーニャニャーーーニャ」とワシの顔を見ながら叫んだと思った瞬間、大量のウンコをしたのでした。なんと、しゃしゅけぇの新世紀初ウンコはあろうことかワシの愛車「たけたけ号」に豪快にしたのでした。あの、しゃしゅけぇの叫びを人間語に訳すと「あかん!もーだめだ!もー我慢できん!もー限界だーーーっ!!」とでも言っていたのだろうか・・・。「ゴメンよしゃしゅけぇ。よくぞそこまで我慢したよ。でもあと2分もってくれたら良かったのに。ダメな猫ちゃんだなー」と新年早々運のいい我が家であった。
 ではまた。

2000 さん 2001年 01月 19日 13時 22分 22秒
じゃあ、誰なんでしょうか?

arugo さん (arugo@arugo.com) 2001年 01月 18日 22時 01分 23秒
俺じゃないよ。
2000はミッションワゴンR(元増田号)を乗る事が既に決まっています。
色々夢が有るかもしれませんが、諦めなさい。

ジナスキー参加者の皆さん。
スキーはソコソコに温泉に行きましょうね。

2000 さん 2001年 01月 18日 21時 15分 46秒
小倉さん?

2000さんへ さん 2001年 01月 18日 20時 25分 30秒
トゥデイにしなさい!!
フルチューンしてあげます!
キャンパーがいいですか?ハイドロがいいですか??

たけたろう さん 2001年 01月 18日 15時 28分 18秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 36」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の2(旧グランドサーキット芦原編 1)

 ワシが、芦原に初めて行ったのは今から11年も前のことである。ジナレーシングがSL芦原(通称:グランドチャンピオンカップシリーズ)を主催しているので、仕方なくついていったのであります。だいたい、芦原のときは土曜日の8時ごろに岐阜を出発して、北陸道を全開で飛ばして行っても(これだからジナ号が壊れる)11時には現地に着くので、そんなに遠い所ではありません。ワシが芦原に行き出した頃は、リッチに「あわらグランドホテル」に泊まることができたので、ほとんど修学旅行気分でした。現在は「ワンダーランド」で雑魚寝で、夜中の3時頃まで宴会が続くのでレースどころではありません。まず芦原ではよい成績は残せないだろう。
 芦原のコースの最大の特徴は、なんといっても「バンク」であります。多分日本中探しても芦原だけだろう「バンク」は、非常にスリリングで我々ドライバーの闘争心に火をつけさせます。なかなかグッドなコーナーだと思うが、その他のコーナーはヘアピン、ヘアピンの連続でグニャグニャしていていまひとつである。
 まず1,2コーナーは、とてもバンピーで体にきます。ブレーキングでポンポコポンポコ跳ねるので、なかなか前のカートを抜けません。よっぽどリスクを背負わない限り難しいだろう。そして、ブラインドの3コーナーを抜ければバンクまで全開です。しかし、バンクの入り口は気持ちいいのだが、すぐにブレーキングして5,6コーナーのダブルヘアピン(ああ!じれったいけん)。二つ目のヘアピンを大きく立ちあがって裏ストレートに向かいます。そして、また180度の急なヘアピンが待っています。その7コーナーのヘアピンを立ちあがって、2本目の裏ストレートを帰ってくるとまた最終コーナー手前のヘアピンである。そして、最終コーナーはアクセルワークを微妙に調整しながら立ちあがり、ようやく1周するのでした。まあ、ヘアピンが多いせいか、なかなか抜きどころの多いコースといえます。
 しかし、現在そのコースはもうありません。
 其の3(次回は旧グランドサーキット芦原編 2)に続く。ではまた。

2000 さん 2001年 01月 17日 22時 16分 16秒
ジナスキーに行かれるみなさん。きちんとチェーンは持っていきましょう。よくいるんですよ、サービスエリアにチェーンは売ってないか聞きにくるお客さん。そんなもんあるわけ無いじゃないですかーっ!って最近良く思う僕であります。

ぴょんこ さん 2001年 01月 17日 21時 22分 06秒
久しぶりにきたよん!!
あいかわらず「たけたろうさま」の独演場になっておりますねぇ。
ちなみに「青ジナ号バースト事件」のときは私も同乗しておりました。見事なドライビングテクニックだったと記憶しております。
しかし、最近ほんと雪よく降りますね。まだ思ったより積もらないのでいいかなっと思うんですけど・・・。
しかし、とーまさんちあたりはかなり降ってるんじゃないでしょうか?
みなさん、お車運転とカート走行のさいには十分ご注意くださいな♪

たけたけたけけたろうおけけたろう さん 2001年 01月 17日 20時 10分 02秒
 今日、ワシは会社が休みだった為、ヨメを連れて板取村に行きました。そこは、大変な豪雪地帯で、軽く50センチ以上は雪が積もっていました。ワシは愛車「たけたけ号」をカートで鍛えた華麗なドライビングテクニックで自由自在に、降り積もった雪の上を左右に豪快に振り回していたのだが、助手席のヨメは、普段は強気の性格でワシをよくいじめるのが、その時ばかりは悲鳴をあげてちじこまっていました(思い知ったか!!)。ちなみに、やさしい性格のワシは、その足でヨメを温泉に連れて行くのでした。
 ああ・・・。今年に入って3回目の温泉・・・。すっかり温泉フリークになってしまったワシってやっぱり年かなー・・・。(ちなみにワシの三十路記念まで、あと11日である)

PS:本日の「たけたろうの楽しい・・・」はお休みです。念の為。

ゆう彦 さん 2001年 01月 16日 16時 34分 35秒
ジナ スキー行きたいよ。
何時出発ゥ?

たけたろう さん 2001年 01月 16日 16時 08分 45秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 35」
 たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の1(津保川カートランド編)

 さて、ワシもいいかげんカートを始めて12年になりますが、これまでいくつかのカートコースを渡り歩きました。まー地方選手権に3年間出場していたこともありますが、北は長野から南は岡山まで遠征したこともあって、ジナレーシングの戦闘員の中では2番目に多く(1番は原氏だろう)いろんなカートコースを走ったと思います。今回からは、ワシが走ったカートコースを順番におさらいしましょう。
 まず、始めに登場するのはなんといってもワシのデビューウィンの地、津保川カートランドです。ここは、ジナの店から一番近いこともありますが、ワシがまだカートを始めた頃は全日本選手権も開催されていたこともあって、全国に知れ渡るコースです。コースの特徴は、1,2,3コーナーで強烈な横Gがかかりっぱなしで、非常に首に来ることでおなじみです。4,5コーナーで一息ついた後はまた6,7、最終コーナーで先ほど1,2,3コーナーで痛めつけられた首に更に追い討ちをかけるかのような、横Gが待っています。ここを走ると1週間は首がおかしくなります。ワシがカートを始めた頃のコースの全長は、確か720メートルだったのが、だんだん短くなっていき現在は500メートル位になりました(コースの改修もしていないのに不思議である)。
 その昔、全日本があった次に日に練習したことがありますが、ものすごいラバーグリップでまともに走ることができなかったことがあります。特に3コーナーあたりには10センチ位、ハイグリップタイヤのゴムがへばりついていて、そこを歩くと前に進まないのである。まるで人間ゴキブリホイホイのようで、「よくこんなところをカートが走るわー」と感心したものでした。今のコースではそれだけのゴムはへばりつかないだろう。それだけ、体力的につらいコースなのであります。
 津保川の思い出は、やはりデビューウィンとクラッチクラスのチャンピオンを取ったことです(それは前に書いたので省略)。最近はごぶさたしているのだが、昨年久しぶりに走った時は3位でした。津保川は体重オーバーのワシでも、がんばれば表彰台に立てるので個人的には好きなコースと言えます(得意なのかもしれんが)。
 しかし、残念ながら今年はレースの予定がないそうなので、堀井氏ともども寂しいのであります。
 其の2(次回は旧グランドサーキット芦原編)に続く。ではまた。

2000 さん 2001年 01月 16日 00時 01分 14秒
やーのさん、雪のレース好きー?

やーの さん 2001年 01月 15日 22時 56分 53秒
さむいさむいさむーい。
何で毎週こんなに寒いんだー。
いつになってもシェイクダウンできないぞー。
今年の開幕戦は雪かなーーーー?

たけたろう さん 2001年 01月 15日 16時 00分 26秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 34」
 波乱のジナ号 其の6

 さて、『「青ジナ号」バースト事件』以降、これといったトラブルもないまま今日まで無事にすごしてきたのだが、その間いろんなトランスポーターが「ジナ号」として活躍してきました。今日はそれを一挙に紹介しよう。
 まず、「ウンコ号」亡き後登場したのは、「キャラバン号」である。それまでずうーっとハイエースだったのが、なぜか今回だけ日産のキャラバンになったのである。そいつのカラーリングは、現在のジナレーシングのロゴが施され、はじめは「ださい」と思っていたのだが、しだいに慣れてくるとなかなか「かっこいい」くなってくるから不思議である。「キャラバン号」は2700CCのデーゼルエンジンでトルクは全然ないが、個人的に言わせてもらえばドライビングポジションが良かったので好きな車でした。はじめの頃はエアコンがついていなかったのが、知らない間に取りつけてあって、なかなか快適な遠征を楽しむことができるのであった。しかし、そのワシのお気に入りの「キャラバン号」もエンジントラブルのため、お亡くなりになりました。
 そして、忘れられないのが「バス号」である。どこから拾ってきたのか、中古のキャラバンの10人乗りで、「ウンコ号」から移植したルーフのおかげで、屋根に4台のカートと人間が7,8人乗って芦原までよく遠征に行った思い出があります。そいつは、なんとデーゼルターボ車で、「キュイーーーン」とターボの音がうるさいだけであんまり走りませんでした。高速を走るといつもオーバーヒート気味で、案の定オーバーヒートのためこの世を去りました。
 それから、マツダのタイタンというトラックの中古で、荷台には「YAMAGEN」と書かれた「ヤマゲン号」もありました。多分ヤマゲンという会社が使っていたんだろうその車は、カートはたくさん積めるのだが、いかんせんひとつきに3,4日しか動かない為知らない間に消えて無くなりました。
 基本的に歴代の「ジナ号」というのは、エンジントラブルでお亡くなりのなるというのが決まっていました。デーゼルエンジンがたかが10万キロそこそこで壊れるのが不思議なのだが、やはりみなさん「飛ばし屋」が多い為仕方の無いことかもしれません。現在の「ジナ号」はハイエースばかり3台あります。最近ワシは勝手ながらあまり「ジナ号」を使わず「山勝号」でコースに行くのだが、ワシが「ジナ号」に乗らなくなってからは、「ジナ号」の持ちが良くなってきたと思います。みなさんが使う「ジナ号」なので、くれぐれも事故のないよういたわって運転してもらいたいものです(ということはワシの運転がいかにおうちゃくだったか分かってもらえただろう)。
 続く。ではまた。

@驚くタメゴロー さん 2001年 01月 14日 13時 13分 49秒
最近の掲示板は「炊けたろうさん」の独演会になってきていますね。アクセス件数が着実に増えているのは、これ読みたさにではないかと思いますが・・。他のクラブ員の方々いかがなもんで?
しかし行く先々で、これほど事件の起きる方も少ないのではないでしょうか。まるで「名探偵コナン」か「古畑任三郎」の様で、今に殺人事件にでも巻き込まれしまうんではないでしょうか。でもそんな時でもカートを使って事件解決(かなり無理がある。)をする「カート探偵の事件簿」でものせてくださいネ。では良いお年を・・。

相変わらず2000 さん 2001年 01月 14日 11時 23分 12秒
 2000でーす。ジナ号にはいろんな過去があるんですねー。今のジナ号はだれも過去が無いんですかねー(まだ新しいからないかな?)  そーいえば最近岐阜岐阜の店にご無沙汰なんですが、実はまだミントがまだ直ってないんですよ。パンクしたままでして。ホイールだけはずしてバイク屋さんに持ってきたいんですけどホイールナットが硬くて外れないんですぅ。またバイク屋さんに取りに来てもらわないとー。余分にお金がかかるから嫌なんですけどねー。
最近また車を買う話がうちの家族の中ででてきてるんです。今度は安い軽自動車なんですけどねー。今自分のリストに上がってるのはホンダのトゥデイなんです。屋根が低いっていうイメージが僕好きなんですよー。変ですかねー?
最後に、2000から2001にやっぱり変えた方がいいんですかね。まだ困ってるんですよ。それでは。

たけたろう さん 2001年 01月 13日 16時 11分 06秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 33」
 波乱のジナ号 其の5

 そして、93年の5月に「青ジナ号」最大の試練がおとずれるのであった。その日、瑞浪でのSLレースのためワシは朝早くから「青ジナ号」を運転していたのでした。一緒に同乗したのは、『ジナのしんちゃん』でおなじみの大山慎二氏のほか2名のチームの戦闘員と3台ばかのカートでした。ワシは出発してからすぐに「青ジナ号」の異変に気づきました。それは、ハンドリングが悪かったことです。高速道路でもないのに、異常にハンドルがぶれてかゆくなってきたのでした。ワシは「これホイールのバランスくるっとるがやー」と大山氏に話し掛けながら、それでもかまわず瑞浪えと急ぎます。そして、いつものように岐阜羽島から名神に乗るのでした(今では下道だが、当時はリッチに高速を使っていた)。ワシはいつものように、時速130キロで飛ばします。高速に乗ってから4,5キロほど走ったところで、悲劇がおきたのです。
 「バコーーン!!バコバコバコバコ!!!」と大音響とともに「青ジナ号」が左右に大きくふられます!ワシは何が起こったかわけがわからず、必死にハンドルにしがみついたのでした。助手席にいた大山氏も顔がひきつり全身が固まっています。そして「バ、、バースト!!」と裏返った声で一言。ワシはなんとか態勢を立て直し路肩へと車を寄せることに成功したのでした。見ると、右フロントタイヤが完全に引き裂かれタイヤの焦げ臭いにおいが鼻をつきます。ワシらは、とりあえずホッとしたのもつかのまタイヤを交換しなければなりません。しかし、スペアタイヤはあるのだが工具がありません(なんでやー!!)。仕方なくそのまま路肩を走りつづけ、一宮インターで降りたのでした。
 早くタイヤを変えなくてはレースに間に合わないワシらは、とりあえず大垣のJAFに電話をすると「えーーっ。今から行くんですかーー?あと30分はかかりますよ。」とイヤイヤの対応の為ワシは「ほんならええわ!!ボケーッ!!」と電話をたたき切りました(JAFの人!!よく見とけよ!!)。ワシと大山氏は、インターで仮眠をしている人の車を覗きこみながら、工具を持っている人をさがします。「あっ、あったーー!!」とある4駆の中に工具箱を見つけたワシらは、気持ち良く仮眠をしていたドライバーをたたき起こしたのでした。
 こうしてなんとかレースに間に合ったのだが、今思えばそのとき、もし大山氏が「青ジナ号」を運転していたらと思うとゾッとします。やはり、ああいう緊急事態の時のワシのドライビングは自分でもホレボレします。大山氏も「まーんまんやったで助かったんやー」とまるでワシがしんちゃんの命の恩人かのように言ったのを思い出します。
 しばらくして、たくさんのカートとたくさんのクラブ員を運んだ「青ジナ号」はエンジンブローの為、この世を去ったのでした。
 其の6に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 01月 12日 16時 07分 07秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 32」
 波乱のジナ号 其の4

 その日、ワシは他のチームの人3人と一緒に芦原へ練習に行きました。「青ジナ号」を運転したのは、当然のごとくワシである。ワシはいつものように岐阜羽島インターから名神に乗り、いつものように全開バリバリでぶっ飛ばしていました。しかし、そこで異変に気がつきました。バックミラーを見ると、いつもはデーゼルエンジン特有の真っ黒い煙がモコモコと出ているのだが、その日にかぎって青白い煙が出ているではありませんか?それはまるでキャブのあっていない「ブリブリカート」のようでワシは「おかしいな?」と思いつつかまわず平均時速約130キロで、金津インターまでノンストップで走りきったのでした。そして、いよいよ芦原に到着し「さー荷物を下ろそうかー」と、後ろのドアを明けようとした時ワシの目が点になりました。なんと、後ろのドアの『JINA RACING』のロゴがオイルで見えなくなっているではありませんか!!「なんじゃこりゃー!」とワシはオイルで真っ黒けになった「青ジナ号」を気にしつつもかまわず練習をするのでした。しかし、今度は帰り道が大変です。荷物を積んで「青ジナ号」のエンジンをかけると、速攻でオイルランプが点滅します。「ま、まずい。マジでオイルあらへん」とりあえず近くのスタンドでオイルを継ぎ足し、北陸道を平均時速80キロで帰るのでした(ちなみに高速でまたオイルランプが点滅したので途中でもう1回スタンドでオイルを継ぎ足したのでした)。こうしてなんとかジナに帰ることができたのでした。ぎりぎりで「青ジナ号」を壊さずに帰ってこれたのは、やはりワシのセーフティードライビングのおかげだとつくずく思う21才のワシであった(他のチーム員が運転してたらまず間違いなくエンジンブローしていただろう)。ナハハハハーーーッ!!
 其の5に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 01月 11日 20時 15分 55秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 31」
 波乱のジナ号 其の3

 それから、伝説の「ウンコ号」のほかにもう1台ハイエースがありました。その車は、青い塗装でかっちょよく『JINA RACING』とペイントを施され、いかにもレーシングチームのトランスポーターといういでたちでした。ワシらはそのハイエースを「青ジナ号(そのままやないかー!!)」と呼んでいました。そいつは、ロングボデーの1ナンバーで、当時はめずらしいコラムの5速ミッション。そして2800CCのデーゼルエンジンはじつにトルクフルで2速発進でも全然平気である。おまけに室内は、広々としていて積もうと思えば6台はカートを積みこめました。そいつを運転すれば注目の的で、すれちがう車や、信号待ちのときは「おおーっ!!ジナレーシングかーっ!!」とみんなが振り向くくらい目立ちました。しかし、あえて問題をあげるならばそいつは、3列シートの9人乗りで、たとえば芦原に遠征に行くときに後ろのシートに座ったときには、非常に苦痛でたまりませんでした。
 そんな「青ジナ号」とワシの衝撃の事件はまず91年におこりました。
 其の4に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 01月 10日 16時 40分 19秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 30」
 波乱のジナ号 其の2

 その日、ワシはできたてホカホカ(!?)の瑞浪レイクウェイの初練習のため、その他大勢のチームの人達と出かけたのでした。そして何時間かして、瑞浪の初走りも終わりショップに帰るときのことでした。ワシは当然のごとく、その「ウンコ号」を運転していました。そのとき「ウンコ号」には屋根に3台のカートと、人間4人ばかり積んでいました。中央道を走っていると、ちょうど土岐のトンネルを出たとき「ばきっっ!」と屋根のカートのフロントカウルのひとつが、風圧で飛んで行ってしまいました。ワシはなにか不吉な予感を感じつつも、かまわず先えと進みました。そして多治見のインター近くの坂を上っているとき、思いもかけない悪夢にさらされるのでした。ちょうどそのときワシは追い越し車線を走っていたのだが、目の前には忘れもしない「滋賀観光」のバスがいたのでした。ワシは5速から4速にシフトダウンし、そのバスをあおろうとした瞬間「ビシッッ!!」と言う音とともにフロントガラスが真っ白になったのであります。「みっ、見えーーん!!」その「滋賀観光」が跳ね飛ばしたであろう飛び石が、みごと「ウンコ号」に命中したのです。おまけに「ウンコ号」は年代物のため、フロントガラスが合わせガラスではなかったため、本当に前が見えなくなってしまったのです。ワシは追い越し車線を走っていたため、路肩に車を寄せたくてもサイドミラーも見えない状態では、車を寄せたくても寄せれません。しかし、いちかばちか「おりゃっ」とハンドルを左に切ってなんとか路肩に車をつけることに成功しました。ちょうどそこは登坂車線になっており、なんと非常電話があるところでした。ワシはあわてて非常電話にかけより、電話をしようとすると「ぎゃぎゃーー!!」と堀井氏のクラウンがフルブレーキングで止まりました。「どないしたんねん?」とのんきな堀井氏。すぐに事態を把握し「おーーっ、割れとるやないかー」とそのまま、「ウンコ号」のフロントガラスをたたき落としたのでした。「よしっ、これで帰れ。」と堀井氏は何事もなかったかのように、走り去ったのでした。ワシ達は仕方なくヘルメットをかぶり、フロントガラスのなくなった「ウンコ号」で帰ったのでした。ワシは思った「ヘルメットがあってよかったーー」
 それ以来、ワシは「滋賀観光」のバスを見かけると、なぜか「ウンコ号」を思い出すのでした。
 しばらくして、「ウンコ号」はエンジントラブルのためこの世を去ったのでした・・・。
 その3に続く。
PS1:先日7日にワシはヨメとふたりで、ドライブに出かけました。ヨメが「どっかつれてけー」とうるさいので、いきあたりばったりで着いた先は和歌山県でした。ワシとヨメはてきとうに、寺とか水族館とか見てまわり帰り際には、温泉にもつかって(と、年かなー?)さて岐阜にかえろうとしたところ、高速道路は雪のため全部通行止めになっており、悲惨な目にあってしまいました。5時間半かかってようやく家にたどりついたときには、いっていました。その日ワシの愛車「たけたけ号」の走行距離は680キロでした。愛車「たけたけ号」10万キロ達成記念まであと2千数百キロ。あー、だれか車ちょーらい!!
PS2:ゆうひこくん。ミカンは自分で買いましょう。

ゆう彦 さん 2001年 01月 09日 20時 22分 06秒
 ンー-寒い
今こたつの中でみかん食べてます。
無くなったので、誰か送ってください、待ってます. 

待ってます。

たけたろう さん 2001年 01月 09日 15時 41分 14秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 29」
 波乱のジナ号 其の1

 ワシがジナレーシングの門をたたいて早11年。その間いろんな出来事がありましたが、みなさんのカートを運んでくれるジナ号もいろんな事がありました。今回からはワシとジナ号の波乱の事件について語りたいと思います(おおっと、ネタが切れてきたか?)。
 ワシがジナにやって来た頃、とりあえず2台のトランスポーター(ジナ号のことだよ)がありました。1台は当時まだ垂井に店があったころの車で、きたない茶色のハイエースでした。みんなはなぜかそれを「ウンコ号」と呼び、だれもそれを進んで運転しようとはしませんでした。なぜならば、そいつはかなりの年代物で汚いカラーリングにベタベタとジナのステッカーが貼ってあるだけです。当然のごとくパワステもなければエアコンもありません。そいつをいざ運転すれば、アライメントがくるっていてハンドルを常に45度ほど切っていないと真っ直ぐ走って行かないような車でした。しかし、いいことをあげれば「ウンコ号」は4ナンバーサイズのバンのくせに屋根にもカートが積めるので、最高で8台もカートが積めることでした。大人数でレースに出かけるときはまさに「ウンコ号」サマサマでした。だが、ワシはその「ウンコ号」で苦い思い出があるのです。時は91年の夏の終わりの頃でした。
 其の2に続く。ではまた。

たけたろう さん 2001年 01月 06日 16時 55分 07秒
 「たけたろうの楽しいジナレーシング 28」
 アクシデント 其の5

 しかし、アクシデントというのはなにも前のスピンに巻き込まれるのだけではありません。98年のPSチャンピオン大会で、ワシは予期せぬアクシデントに遭遇したのでした。
 その日のワシは、調子は悪くなかったのだが予選で飛ばされたりしたおかげで、敗者復活ヒートにまわされたのでした。しかし、その敗者復活ヒートでは5番手スタートだったので普通に走れば、余裕で通過できると軽い気持ちで臨んだのでした。ローリングが終わっていよいよスタートが切られました。まわりのカートは予選落ちがよっぽどしたくないのか、さかんに前のカートにしかけます。ワシは2つばかりポジションを落として4コーナーに向かいます。それでもワシは冷静でみょうに落ち着き「2周目から勝負やなー」と思った瞬間、ワシの右肩に後続のカートが乗り上げてきたのでした。そのカートは、そのまま勢いに乗ってワシをジャンプ台にしてはるかかなたえと、飛んで行ったのでした。そして、ワシはというとそのまま4コーナーのアウト側のダートに飛び出し、あろうことかそのダートの草に引っかかって転倒してしまったのでした。幸いワシはすぐにカートから、振り落とされてダートの上に四つん場に落ちたのだが、ワシのカートがなんとワシの背中に落ちてきたのでした。ワシは夢にまでも見なかった出来事に、その場でうづくまるしかなかったのでした。
 こういう、後ろから来られるのはどうしようもありません。それこそまわりを信頼しないとやっていけないのであります(しかし、ワシも昔同じ事をやったことがあるのであまり説得力がない)。その点、先日の鈴鹿のチャンピオン大会では、すべりやすいコンディションの中スタート直後のアクシデントがなかったので、レベルが高いなーと感心したのであります。
 まー、どんなスポーツにもアクシデントはつきもので、またそれを見に来る人も、アクシデントを期待しているんだろうけど、みなさんケガのないようにみんな仲良くやってもらいたいものです。
 続く。ではまた。

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