マッハGOGOGO さん 2001年 03月 14日 10時 31分 28秒
2000へ
20日 行くけど、どうする?
あのカートのシェイクダウンしに行こーぜ!!
たけたろう さん 2001年 03月 12日 19時 00分 22秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 70」
たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の6
そして、今度はいよいよトヨタでテストをするのである。前にも書いたが初めてのトヨタの印象は、「本当にこんなところで地方選なんか出来るの??」です。しかし、いざ走りだすとこれがなかなかいいのである。ホームストレートはエンジンがガンガン回ってヒヤヒヤしていいし、帰りのS字やヘアピン最終コーナーなんかは、走っていて楽しいのである。まさに、ワシ向きのコースといえよう。そんなこともあって、この日のテストは絶好調でした。そこらへんのドライバーより、1秒は速いし、この年の有力ドライバーもワシの速さに、とても付いて行けないという状況でした(これは決して自慢ではなく、本当のことなのである)。先日までのドボクソぶりなんかどこえやら、とにかく速く走れて楽しすぎるのだった。
そして、第2戦当日がやってきました。わしは相変わらず当日入りだったのだが、前日に雨が降ったおかげで、ほとんどハンデなしでこのレースに臨めるのだった(これは、路面状況が変わってくるので1週間前に1日練習するよりも、前日に1時間でも走ったほうがはるかにいいからである)。
しかし、公式練習で思わぬトラブルが発生してしまうのであった。
其の7に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 03月 11日 19時 54分 48秒
いやーー!管理人さんのおかげで、かきかきしやすくなりましてありがとう。これで、ワシの自伝もよりいっそうみなさんのご期待に応えれることになると思うけん。
しかし、これはあまりにも大きすぎるけんねー。すでに、ネタ切れの危機に面しているのであんまりありがたくもないか?
少しでも長く続くように、本日は休むけん。さてと・・・。もう家に帰って今宵はフトンの中でワシの息子をかきかきするとするかーー。
管理人U さん 2001年 03月 11日 16時 15分 00秒
たけたろうさんへ朗報!
かきかきスペースの枠を大きくしました。(当社比200%)
どんどんカキコしてくれやけん
たけたろう さん 2001年 03月 10日 15時 19分 40秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 69」
たけろうの汗と涙の地方選参戦記 其の5
さて、新しく仕入れたフレームを芦原に持ちこんだワシは、早速テストをするのだった。朝一番で走り始めて「おおっ!!こいつはなかなかいいやないかー!!」と初めて感じるフィーリングに驚くのだった。そして、もどってきてタイムを見ると、いきなり36秒台中盤というバツグンのタイムを出しているのでした。なんというか、カートの動きがワシの思った通りで、たいしたセッティングも出していないのに、曲がる止まるコーナーではングググッとふんばるのである。「こんなんやったら、おっさん(堀井氏のことだよ)の言うことなんか聞かずに、初めからこのフレームにしとけばよかったがやーー!!」と、またもや『ジナレーシング悪徳桔梗屋商法』にひっかかった人のいいワシなのであった。
第2戦のトヨタまで、多少日程があったので、ワシはとりあえず芦原のSLでこいつを試すことにしました。芦原のコースは基本的に「ストップアンドゴー」の設定なので、トルクの太いリードバルブエンジンが有利です。地元のドライバーもほとんどリードを使っています。そんな中、少数派のロータリーバルブエンジンのワシは、トップをひた走るのである。やはり、昨年まで使っていたボロフレームとは全然違うのであります。しかし、予選でせっかくフロントローをゲットしたのに、決勝でまたもや雨が降ってきてしまい、旧レインタイヤしか持っていないワシは、屈辱的な周回遅れにされてしまうのであった。「あーあ、同じタイヤだったら絶対に負けないのに」とボヤく22才のワシであった。
其の6に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 03月 09日 19時 16分 07秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 68」
たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の4
さて、いよいよ本番当日がやってきました。予想通り雨が降っています。周りを見渡せば例のブリヂストンのニューレインタイヤを付けているのは全体の3分の2はいるでしょうか。ワシは晴れることを期待して公式練習に挑むのであった。
やはり、ウワサ通りニューレインタイヤ勢に付いて行く事が出来ません。あっという間において行かれます。そして、後ろからはあおられっぱなしです。ワシは意地でも抜かされまいとがんばったのだが、案の定1コーナーでコースアウトする始末であった。哀れ、ドロンコになったワシのカートを隣の池に持って行き、せっせと洗車するのであります。
タイムトライアルまで雨が残り、ワシは苦戦をしいられます。当然タイムは後ろから数えたほうが早く、ドライになった予選では、スタート直後の多重クラッシュに巻き込まれてしまい、あえなく予選落ちを喫するのであった。あー・・・。カート人生初の予選落ち・・・。いつかはこの日が来るだろうと思っていたのだが、いざそうなってみると本当に切ないのであります。ワシはがっくり肩を落とし岐阜に帰るのであった。
こうなったら、仕方がありません。ワシは第2戦に向けて一大決心をするのであります。それは、また新しいフレームを購入することにしたのであります。しかし、予算の関係上新車とはいきません。この年の全日本の開幕戦で、木村選手が使って、一時2番手を走行した(しかし結果は残念ながらリタイヤ)フレームを買うことにしたのであります。このフレームはPCRの「ジャガー」のプロトタイプで、市販車はグレーの塗装がされてあったが、こいつは黒い塗装で溶接部分も市販車よりコテコテというか厚みがあるのでした。とりあえず、ワシはそいつを芦原へ持ち込んでテストをするのであった。
ちなみに、開幕戦でワシに見切りをつけられた2ベアリングのフレームは、ジナのしんちゃんでおなじみの、大山慎二氏が乗ることになり、第二の『ダサボー』人生を送るのである。
其の5に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 03月 08日 15時 18分 58秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 67」
たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の3
更に、この年はもう一つ難題がありました。それは、レインタイヤであります。ワシの出場する、FA2クラスはスリックタイヤはダンロップのSL86と決められていたのだが、レインタイヤに関してはどの銘柄でもいいことになっていたのです。当然、ワシはそれまで使い慣れたダンロップのレインタイヤを使うつもりだったのだが、この年新発売された、ブリヂストンのレインタイヤがものすごいハイグリップタイヤに変貌していたのでした。この、ブリヂストンのレインタイヤというのは、先に開催された雨の津保川のSLで驚異的威力を発揮していたのです。なんと、ダンロップのレインタイヤ勢より、1周で5秒以上速く走ることができ、このタイヤを使っていたドライバーが、2位以下をラップ遅れにしてしまうほどなのでした。
もちろん、ワシもあわててそのレインタイヤを発注したのだが、ショップの力関係の差か、地方選の開幕に間に合わなかったのである。まあ、雨さえ降らければなんともないのだが、こんなときに限って降水確率90パーセントなのであります。
其の4に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 03月 07日 16時 24分 21秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 66」
たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の2
しばらくして、堀井氏が言います。「おまえ、2ベアに乗れ!!」調べによると、大阪のあるチームの情報で、その2ベアリング仕様のフレームがいいらしいのだという。基本的に「オープンクラス」に最適といわれるものなので、価格は値打ちである。しかし、持ちが悪いのは見え見えで、堀井氏も「年3台フレーム下ろさないかんなー」とは言っていたのである。まあ、ワシにしてみりゃショップの『おすすめ品』みたいな感じで仕方なく購入するのである。
さて、そのニューフレームの性能はというと、「こんなもんやろ」であります。特別いいというわけでもなければ、特別悪いわけでもないのである。しかし、やはり前年まで乗っていた「PCR F2」があまりにもヘタッていたこともあるせいか、「さすが新車!」なのであります。
ところが、そのニューマシンで3回ばか走っただろうか、とんでもないことがおきたのである。なんと、地方選まであと1週間というときに、すでにクラックが入っていたのを発見したのである。あまりにも早過ぎるクラックに、ワシはただ呆然とするのみでした。やはり、チューニングの大パワーに2ベアリングは持たなかったのである。しかし、もう時間がありません。やむおえず、コテコテの溶接をほどこして、開幕戦に挑むのであった。
其の3に続く。ではまた。
2000 さん 2001年 03月 07日 10時 16分 06秒
sakuraさん、一度目は瑞浪での出来事じゃないですか。あの時はだいぶタイヤ磨り減ってましたし。その後2回パンクして、今度はタイヤが飛んじゃってるんですから。
sakura さん 2001年 03月 07日 09時 43分 37秒
2000気にしなくていいよ、やはり一度目のパンクは、俺のせいかな?
GO さん 2001年 03月 06日 18時 54分 41秒
2000!
大変な1日やったな
でも、これ読んで俺は、大笑い!!
たけたろう さん 2001年 03月 06日 16時 40分 58秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 65」
たけたろうの汗と涙の地方選参戦記 其の1
第一章 『挑戦者』
翌1993年に、ワシは正式に地方選に参戦することが決まりました。カートレースを始めてから、憧れていたカテゴリーに参戦することになって、今までみたいなレジャー感覚では通用しないことを重分肝に命じるのであります。
まず、体制を整えなくては行けません。もちろん、フレーム、エンジンともPCRであります。使用するエンジンに関しては、意外とあっさり決まりました。それは、前年まで原さんが全日本で使っていた、いわゆる『スペシャル』エンジンを購入することにしたのです。見た目は市販の[PCR TSV100」と同じなのだが、中身が違うらしくて、確か定価の3割増ぐらいのお値段だったと記憶しています。もちろん、箱だしエンジンを定価で購入することも出来たのだが、やはりデータのいっぱい詰まった『スペシャル』エンジンにしといたほうが、今後のテストとかで楽だろうと思って、わざわざ高いエンジンを買ったというわけであります(そのへんに関してはワシは非常に恵まれていたと思うのである)。
そして、問題のフレームだが・・・。当時PCRのニューモデルは確か32パイの「フアイャーフォックス」と30パイの「ジャガー」がラインアップされていました。当然この2つのモデルからマシン選択するはずだったが、堀井氏が「ちょっと待て!!」といいます。ワシは堀井氏がなにかをたくらんでいると感じ、しばらく様子を見る事にしたのであります。
其の2に続く。ではまた。
2000 さん 2001年 03月 06日 14時 08分 16秒
今日は朝怖い目にあってしまいました。大学へ書類を出しに行くためにいつもどおり僕の愛車ジナミント号に乗って156号を走っていました。岐南バイパスに向かって走っていて、名鉄の細畑駅手前の高架、調理学校の横の高架なんですがそのちょうど真中あたりにきたとき、パスンッって音がしたんです。何だろうと思った瞬間ガラガラガラガラッ!!という音とともにバランス崩して横のコンクリート壁にこすりつけてとまりました。なんと後ろのタイヤがホイールだけになってるんです!!僕は唖然としてしまいました。後ろのトラックのおじさんはゲラゲラ笑いながら警察に電話してました。しばらくたっておまわりさんが来てバンの後部トランクにのせて近くの交番へ持っていって事情聴取です。やりとりは「なんでこうなったの?」「わかんないです!」「ホイールだけになってるもんなぁ。」「そうですね・・・。」「まぁ、交通事故にならなくてよかったな(笑)」「そうですね。」「じゃあ持って帰って。」「どうやって!?」「あ、そうか、君関市だったな。」「はい。」「なら、1週間以内にどうにかして取りに来て。それまでは保管しておくから。」「わかりました。」ということで、今晩にでも親戚のトラック借りて取りに行ってきます。またバイク屋さんに後ろのタイヤ直してって言うなんて・・・。前直したの2ヶ月前くらいですよね、伊藤さん!
2000 さん 2001年 03月 05日 22時 13分 53秒
4月からアサヒカートクラブはASAHI UNIV. RACING TEAM(部)になる予定でしたが、なんと学生支援課(部・サークルを統括する課)のミスで2月の学生協議会の議題の中に入ってなかったということが報告されました。抗議したのですが今からではどうしようも無いということで、5月の学生協議会では絶対にやってもらうことと、正式に部費などが決定するのが6月下旬ということなので5月の協議で部として認められたら6月から体育部として部費も出してもらうことを約束してきました。と、いうことで、4月からは同好会としてスタートすることになってしまいました。初代、2代目部長すみません。
たけたろう さん 2001年 03月 05日 15時 15分 52秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 64」
ステップアップ 其の7
芦原のSLごときで自信をつけてしまったワシは、92年の地方選の最終戦にエントリーしてしまうのでした。しかもその前の津保川の地方選の一週間前に、ワシは津保川を走り、レギュラー勢を尻目にトップタイムを出していたのであります。そんなこともあり、ワシは意気込んでつま恋に乗りこんだのだが、やはり頭の中で想像するのと現実とのギャップはなかなか埋まらないのであります。
まず、初めて走るコースにとまどい、初めて使うブリヂストンのSL86に泣かされ、そして初めての地方選でびびってしまったのであります。今でもそうだが、ワシは大きいレースになればなるほどちぢこまってしまうのであります(ただの小心者なのだが)。おまけに、ワシの愛機「PCR F2」も、そのころにはヘタリにヘタッて、とても最新鋭マシンに太刀打ちできなかったのであります。
そんなことで、予選の1ヒートが終った時点で、ワシは「このままでは絶対予選落ちやがーー!!」という状況に追い込まれるのであった。それまでのワシのカート人生で、予選落ちを経験してなかったため(SLレースしか出ていなかったから当たり前だが)ワシは2ヒート目が始まる前に、これまでにない気合を入れるのであった。そして、レースが始まり、アウト側スタートだったワシは捨て身の『超大外刈り』を決行するのでした。ところが、この捨て身技がドンピシャリ当たり、ワシは1コーナーで、5,6台一気に抜き去ってしまうのであった。
おかげさまで、ワシは予選落ちの危機を脱出し、結果は平凡だったがなんとか地方選で「やれる!!」と感じたのでした。
続く。ではまた。
モデナの健 さん (jm1otq@msb.biglobe.ne.jp) 2001年 03月 04日 00時 51分 31秒
昨日お店に初めて行きました、今まで会社が近くにあっていつでも行けるとおもっていましたが、行けれませんでした、もし車(プジョー205)が売れましたら真っ先に買いにいきます!!その時は宜しくお願いいたします。
たけたろう さん 2001年 03月 03日 16時 29分 54秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 63」
ステップアップ 其の6
さて、当時のジナレーシングのエースドライバーの原選手は、全日本参戦3年目で常にトップ10入りするほどの実力者でありました。92年の原選手の活躍はめざましいものがあって、この年の全日本選手権FAクラスのシリーズランキング9位という、ジナレーシング始まって以来のスターであったのでした。一方中村選手はこの年トヨタの地方選で、ぶっちぎりの優勝(前回トヨタで優勝したときは気づいたら勝っていたのだが、この年は正真正銘の優勝である)をはたし、既に全日本レベルのドライバーでありました。
この二人の強豪を迎えて、ワシは「なんとか、ついていけたらいいなーー」と謙虚な姿勢でレースに臨むのであった。そして、タイムトライアルが終ってくつろいでいると、コントロールタワーから堀井氏がニヤニヤしながら降りてきます。
「おまえら!!なにやってまんねん!!」といつもの口調で原さんと中村さんに言います。聞くところによると、フロントローの2台は36秒中盤のタイムを出した地元の子で、なんと3番手には36秒9でワシが入ったではありませんか!!中村さんと原さんが37秒台で4,5番手だったので、堀井氏からさんざん冷やかされています。そんな中、愕然とした表情で中村さんがポツリとひと言「36秒台は速いね・・・。」そうでしょう、そうでしょう!ベテランの域に入った二人が、チューニングでまだ2戦目のワシに遅れをとったのでは、顔も立ちません。ワシは申し訳なさそうな態度をいちおうしていたのだが、内心「ヌハハハハハーー!!見たかーー!ワシの実力をーー!!」と思っていたのである。
しかし、レースではこの二人が黙っているわけがありません。ワシは予選で中村さん。決勝で原さんに抜かれてしまい、結局5位という結果に終ったのでした。それもそのはず。ワシは1周のタイムはそこそこ出せたのだが、まだレースでの組み立てと、後ろを押さえ込む体力がなかったのである。
しかし、変な自信をつけてしまったワシは、無謀にもこの年の地方選の最終戦にエントリーしたのでした。
其の7に続く。ではまた。
okei さん 2001年 03月 02日 17時 42分 56秒
其の6楽しみじゃ!
たけたろう さん 2001年 03月 02日 15時 14分 44秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 62」
ステップアップ 其の5
最後尾スタートのワシは、実にお気楽であった。今でもそうだが、最後尾かブービースタートの時は本当に気楽である。みなさんもそうだと思うが、ドベスタートで表彰台を狙うドライバーはまずいないと思う。世の中そんなに甘くないのであります。しかし、甘くない世の中そうでもないことも起きるんだと、ワシは証明するのであります(おおっと!また自慢話かー??)。
ワシは決勝ヒートはなんとかスタートすることが出来たのでした(しかし半分カブっていたのでぶっちぎりのドベである)。最初は慎重に走っていたのだが、しばらくして異変に気づいたのである。この日は関西軍団の大量エントリーのためかそこらじゅうで、アクシデントが起きているではありませんか。あっちで「グシャッ!!」こっちで「ドッカーン!!」ととにかく危なすぎるのであります。ムリもありません。普段芦原でレースをしていない関西軍団と、普段から危ない北陸軍団がバトルをすれば、自然と絡み合うのは当然のシナリオなのです。ワシは自力で2,3台しか抜いていないのに、ピットでは「ジナのしんちゃん」こと大山慎ちゃんが笑顔で『P6』というサインボードを出しています。ワシは俄然やる気を起こして先を急ぐと、またもやヘアピンで3台のカートが絡んでいるではありませんか。ワシは「これはひょっとしてひょっとしたらひょっとするぞーー!!」と最終コーナーを立ちあがると、そこには慎ちゃんの笑顔とともに『P3』と書かれてあるのでした。
ワシは、タナボタながらいきなり3位になってしまったのであります。それも25台抜きを演じたのであります(さっきも書いたが自力では3台しか抜いていない)。それでもいいのである。レースというのは完走してナンボの世界なのだから・・・。
そんな、ワシの思わぬ好成績に触発されたのか、次の芦原のレースには、なんと全日本ドライバーの原博昭選手と地方選ドライバーの中村秀康選手がエントリーしてくるのであります。
其の6に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 03月 01日 16時 04分 26秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 61」
ステップアップ 其の4
いよいよ芦原のレースにエントリーしたのはいいが、いつもはチューニングクラスで10台前後しか集まらないのが、よりによって今回にかぎって関西から多数遠征してきたのもあり、なんとフルグリッド28台ものエントリーがあったのでした。とりあえず、ワシは原さんが全日本で使っているナンバー2エンジンの「PCR TSV100」を借りて、なんとかいい結果を残そうと張り切るのであった。
しかし、公式練習でワシはいきなりカブッてしまい、なんと1周もできないままタイムトライアルに臨まなければいかなくなったのでした。タイムトライアルではなんとかエンジンもかかり全開でバンクに向かったその時の記憶は今でも鮮明に覚えています。
「なんじゃーー!!このパワーはーー!!」さすがナンバー2エンジンながら全日本で使われているエンジンだけあって、ものすごいトルクとパワーに圧倒されたのでした。そういえば、練習の時借りた「アトミック」というエンジンは、スピードこそそこそこ出るがパワー的にはPVよりすこしあるくらいで、たいしたことなかったのである。そのため、ワシはなめてかかったのかもしれません。しかし、そんな思いはこのエンジンでいっぺんに吹き飛んでしまったのでした。ワシは公式練習を走っていないにもかかわらず、28台中8番手くらいで予選ヒートに挑むのであった。しかし、予選のローリングでワシはまたカブらせてしまい、決勝ヒートの最後尾スタートが決定してしまったのであった。
其の5に続く。ではまた。
かたつむり さん 2001年 02月 27日 19時 42分 36秒
最近カキコしてないけどショートカットキーを使った便利な方法を紹介します。
とりあえずアクセサリの中の"メモ帳"を起動して文章を書いきます。終わったら保存などして下さい。ここからがテクニック。全ての文章を選択して"ctrl+c"でコピーします。何もおこらないように感じますがそのままで結構です。
そして、この書き込み欄に字を入力する時の状態にしてっください。"ctrl+v"を押せば文字が張りつきます。
どうですか?これなら接続してなくてもいいし!
どんどん連載をストックできるし
で、やっぱり字で書いてると"ヒール&トゥー"のやり方を文章で書いてるみたいになるな・・・
わからない人は私に聞いてください
誰かって???
PVのかたつむりです
やーの さん 2001年 02月 27日 00時 01分 14秒
管理人さんへ
たけたろうさんの為に、この欄を大きくしてあげてください。
42行目の、"ROWS="というところと"COLS="の数字を変えると、大きくなると思います。10と80くらいがいいと思います。
なお、遅くなりましたが、瑞浪開幕戦のレースレポートは、作者不調のため、休載させて頂きます。第2戦は、セッティングをだして、がんばります。では、また。
たけたろう さん 2001年 02月 26日 15時 44分 48秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 60」
ステップアップ 其の3
チューニングに乗ることになったワシは、いきなり地方選ではあまりにも無謀過ぎるため、とりあえず芦原のSLに出ることにした。当時の芦原は、リードとロータリーの混走だがチューニングクラスをやっていた為、小手調べには最適だったのである。しかし、エンジンもキャブもチャンバーも持っていなかったワシは、とりあえずそのへんで埃をかぶっていたあり合わせを組んで、芦原へ行くのであった。
ワシのチューニング初練習は、とにかくハチャメチャであった。まず、キャブにガスを送ろうとするのだが、KTやPVと違ってロータリーバルブのエンジンはキャブを塞いでタイヤを回しても、なかなかガスが来ないのであります。仕方なく、ワシは燃料ホースを口にくわえて「チューーッ」と吸ったら「ボワッ!!おえーーっ!!」となるのであります。まあ、ハイオクガソリンとカストロールのR30のブレンドの味はと言うと「ウーーン。マンダム!」なのであります。そして、いよいよコースインするのだが、借り物のエンジンを壊すわけにはいかず、バンクの手前でチョーキングをしようと右手を差し出すと「あれっ、ノイズボックスがないっ!!」そうです。いつものクセで、キャブがエンジンの横に付いていることを忘れてしまうのであります。「よーし。今度こそは!」と次の周のバンクの手前でチョーキングをしようとすると、「すかっ!!」と空振りするのでありました。更に、さすがにチューニングは体力がいるのか、5周走っては30分休憩。また5周走っては30分休憩。とこんな感じなのでした。
「本当に、こんなんでチューニングクラスでまともに走れるかしらん??」と思いつつ翌週の芦原のレースにエントリーするのであった。
其の4に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 02月 25日 17時 24分 45秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 59」
ステップアップ 其の2
ワシは、おずおずと堀井氏に地方選に出たいことを告げると、「おう、出ろ出ろ!!」と意外とあっさり認めてくれたのであります。ワシは堀井氏が自分が地方選に参加しても十分通用すると見たのか、ただ単にまた一人チューニングに上がって儲かるなーと思ったのかは、いまだに知る由もない。しかし、ワシもステップアップを決めた以上引き下がるわけにはいかなくなったのである。
チューニングをやることになって、まず参加するクラスを決めなくてはいけません。もちろん、リードかロータリーのどっちかなのだが、堀井氏は「リードに乗れ!」と言ったのだが、ワシは「ロータリーがいい!!」と聞かなかったのである。理由は単純なもので、ただ横にノイズボックスが付いているのがかっこよく思っていたからであります。そんな感じで、ワシは早速チューニングの練習を始めるのであった。
其の3に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 02月 24日 15時 18分 43秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 58」
ステップアップ 其の1
91年に、クラッチのチャンピオンを獲得したワシは、堀井氏が使用していた「PCR F2」という中古のフレームを購入し、オープンクラスにステップアップしたのでした。同時にジナレーシング初のPV−50のエンジンも購入するのでした。しかし、前にも書いたが92年の1月に大クラッシュし、鎖骨を骨折してしまい長期離脱をせざるをえなかったのである。いきなり、出鼻をくじかれたワシなのだが、驚異的回復力で3月の津保川のSLで復帰し、オープンフレッシュマンクラスで見事に3位入賞するのであった。しかし、その後は泣かず飛ばずの成績で、おまけに仕事の関係上、瑞浪のレースになかなか出られず、せっかく購入したワシのPVー50エンジンも埃をかぶっている状態だったのである。既にワシの頭の中では「オープンはおもしろくないし、魅力もない。PCRは乗りたいけど乗れないなら、地方選にステップアップしよう。」と決めていたのである。当時のジナレーシングは全日本で原選手。地方選で中村選手、木村選手、愛宕選手らが活躍中で、おまけにちまたではF1ブームで、地方選の参加台数も1クラス常に60台以上集まっていた時代である。みなさん資金難で苦労していたのは分かっていたのだが、ワシは「どうせ借金するなら若いうちにしたほうがいい」と考えていたのである。
そして、堀井氏にワシが地方選に出たいことを告げるのであった。
其の2に続く。ではまた。
GO さん 2001年 02月 23日 16時 59分 55秒
2000さん
瑞浪C.Cに 出るんですか?
僕も、出よっかなー・・・
たけたろう さん 2001年 02月 23日 16時 06分 14秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 57」
たけたろうのレーシングカートコースガイド其の23(レインボースポーツ編)
レインボーは、中部地区で一番当新しいコースである。4年ほど前に出来たコースだが、ジナレーシングからの交通アクセスもいいし、コース図なんか見ると「なかなかテクニカルでワシ向きかな?」と思わせたのである。しかも、よくぞあの住宅密集地にカートコースを作ったものだと感心するのである。
しかし、いざ走ってみるとこのコースは忙しいのであります。とにかく、コーナーが多すぎるのと、ストレートも短いので抜けないのである。前のカートを抜くときは多少のリスクを負わなければまずムリである。まず、ホームストレートは下りである。しかも、短いのであっという間に1コーナーが迫ってくるのだ。1コーナーは、ほぼ直角でまず問題なく全開で行けます。2コーナーもほとんど直角といっていいだろう。しかし、ここは軽くブレーキを当てて向きを変えていかないと、コースアウトする恐れがあります。そして、3コーナーに向かうのだが、一昨年までは2コーナーを立ちあがってから高速シケインがあったのが、不評だったのか知らない間に短い直線になっていたのでした。しかも、突貫工事で作りなおしたのか非常にバンピーで、疲れるコースがよけいに疲れるのである。3コーナーも、それまではヘアピンだったのだが、このストレートのおかげでほとんど直角になったといってもいいでしょう。ここも軽くブレーキングして立ちあがれます。4,5コーナーは、あまりアウトにふくらみすぎないで、上手にアクセルコントロールします。6コーナーのヘアピンは、前はインの縁石が高くて、奥にクリップを取っていたのだが、今は縁石が低くなったので、そこに乗り上げて行けるようになりました。おかげで、コーナリングスピードが速くなり、ブレーキも軽く当てるだけで抜けられます。上りの裏ストレートを抜けると、8,9コーナです。8コーナーは極力奥にクリップを取ります。そうでないと、9コーナーがつらくなるのです。8コーナではまず後ろのカートに抜かれないので、なるべく小さく回って、9コーナーの立ちあがりで勢いをつけないと、次の最終コーナーで抜かれる恐れがあるからであります。最終コーナーは、下りの先が見えない、横Gのかかるつらいコーナだが、アクセルを一瞬抜いて抜きを変えればスピードに乗るでしょう。
こんな感じだが、本当にこのコースは疲れます。ワシは津保川以上に疲れるコースだと思う。津保川は首に来るけど、レインボーは体全体に来るからだ。でも、ここを走り込めば上達も早いと思うのであります。
こんな感じで、長々とカートコスガイドを書いてきたが、これはすべてワシが実際にコースに行って走ったのである。津保川、芦原、伊那、三重、鈴鹿、つま恋、トヨタ、作手、おわら、中山、レインボーと11のコースを制覇したのであります(これは少し自慢だ)。今年こそ、ワシは新しい芦原のコースを走ってみたいと願っているのであります。誰でもカートに乗っている以上いろんなコースを走りたいと思うでしょう。さあ、みなさんもいつまでも自分のホームコースに閉じこもっていないで、他のコースに走りに行きましょう。また新しいレーシングカートの魅力にとりつかれるでしょう。
続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 02月 22日 19時 21分 23秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 56」
たけたろうのレーシングカートコースガイド其の22(中山カートウェイ編)
中山カートウェイは、みなさんもご存知のとうり岡山県にあります。そして、毎年夏場に全日本が開催されることで、我々カートドライバーには定番中の定番のコースとして知られています。岡山県と聞いてピンと来た人もいると思うが、そうです、岡山県といえば「きびだんご」です。じゃなくて、今は亡き「とみさー」の愛称でおなじみだった唐川富次氏と、「ずらさー」こと現在は群馬県民の西浦浩二氏の故郷であります。二人とも、元安八のサンヨーに勤めていて、そして倉敷工業高校出身なのであります(関係ないが)。そんなこともあって、ワシは中山カートウェイがなんとなく身近な存在に思えてきたのであります(なんのこっちゃ)。
ある日、ワシは西浦氏と話をしているうちに「中山へ遠征に行こう!!」ということになり、97年の春に中山のSLレースにエントリーしたのでした(この模様は後日『なにしに行ったの?中山遠征(仮題)』で詳しくお送りしますのでご期待ください!!)。
まず、中山の路面は非常にミューが高いということです。さすがに、すぐ隣に4輪のコースがあるため、ついでにカートコースも作ったという感じがするのであります。ホームストレートはいきなり登り坂であります。そして、1コーナーだが、瑞浪の1コーナーの上りバージョンと考えたほうがいいでしょう。すぐに、フルブレーキングして、2コーナーはヘアピンです。ここは、ハンドルをしっかり握ってジワーッと立ちあがります。立ちあがってすぐ、ブラインドの3コーナーです。ここは、問題なく全開で行くことが出来ます。短いストレートの後恐怖の4コーナーであります。ここは、なぜ恐いかというと、先がみえないのと目の前にはコンクリートウォールが迫ってくるからです。ブレーキを軽く踏むだけで、抜けられるコーナーだと思うのだが、ワシは恐いのでフルブレーキしてから立ちあがるのであった。それから、パドックの裏に続く5,6コーナであります。ここは、そんなに難しくはなく大きいヘアピンのように回っていったとおもいます。そして、S字に続くのだが、ここのS字は縁石を上手に使っていかないと速く走れません。ワシは原さん曰く「遠回りしとる」と言われつづけました。いよいよ最終コーナーだが、ここもクセモノで急な上りでヘアピン状なので、アクセルコントロールが難しいのであります。
こんな感じなのだが、やはり中山といえば昔全日本でポールを取ったことがある原さんに聞くのがベターだろう。ひとつ注意することは、このコースは掃除をしていないのか、ちょっとラインを外すと、タイヤカスがすごい転がっているので、もうちょっと何とかしてほしいのであります(タイヤカスを思い出したらひじきが食いたくなってまったがやー!!)。
其の23(次回はレインボースポーツ編)に続く。ではまた。
2000 さん 2001年 02月 22日 00時 42分 06秒
3月の瑞浪チャレカップに91モデルでFP−4フレッシュマンで出場しようかなぁ。
たけたろう さん 2001年 02月 21日 15時 38分 29秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 55」
たけたろうのレーシングカートコースガイド其の21(おわらの里編)
95年は、作手のほかに『おわらの里』という富山県のコースで地方選が初開催されました。このコースは全長1200メートルほどあり、アップダウンもそこそこあってなかなかテクニカルなコースだったと記憶しています。しかし、ジムカーナと同時営業だったため、路面は三重と同じくらいバンピーで、おまけに、交通の便が非常に悪く、最悪でした。国道41号を延々と北に走って行くのだが、「やっと高山についたーー」と思ってもそこから先、200キロも走らないとたどり着かないというアクセスの悪さでありました。
とりあえず、ワシは練習1回、そしてレース当日と2日ばかり走ったのだが、コースレイアウトを完全に忘れてしまい(少しは記憶にあるが)、とてもコースの説明は出来ないのである。まあ、これから先誰も『おわらの里』には走りに行かないと思うので、今宵はかんべんしてちょーらい。
其の22(次回は中山カートウェイ編)に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 02月 20日 16時 25分 02秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 54」
たけたろうのレーシングカートコースガイド其の20(作手高原カートランド編 3)
95年のワシは気合が入っていた。最高のフレームと熟成されたエンジンのおかげで、絶好調だったのであります。もちろん、3年目を迎えた地方選の練習も自然と力が入るのであった。ワシは名メカニックの西浦(群馬)浩二氏を連れて、作手のコースを徹底的に走り込むのだった。テストの段階から絶好調で、いとも簡単に38秒台をたたき出すのであった。余裕のワシは、西浦氏にも作手のコースを走ってもらおうと、自分のヘルメットとスーツを貸して走らせたのだが、あろうことか彼は2周目の1コーナーで飛び出してしまい、ワシの大事なマシンをドロドロにして帰ってくるのであった。「だってー、まんまんのメットガバガバで前が見えんかったんやもーん」と言い訳していたが、ワシは余計なことをするんじゃーなかったと反省するのでした。
そんな中、やはり作手ではレースをしたことがないドライバーが多いために、地方選の1ヶ月前のSLレースで、普段は開催されていないチューニングクラスが行われたのでした。当然ワシは、そのレースにエントリーし、タイムトライアルこそ3番手だったが、予選1,2ヒート、そして決勝ヒートを完璧に、ぶっちぎりで独走して優勝し(このレースはワシの歴代のレースでも5本の指に入るほどのいいレースだった。いやー今思い出してもホレボレするのである)1ヶ月後の本番に備えるのでありました。
其の21(次回はおわらの里編)に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 02月 19日 15時 43分 37秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 53」
たけたろうのレーシングカートコースガイド其の19(作手高原カートランド編 2)
そんな新鮮な空気を味わえる作手のコースだが、いざ走ってみると、ごれがなかなか手ごわいのであります。まず、ホームストレートをすぎて1コーナーだが、いきなり強烈なシケインであります。フルブレーキングしてから、右、左と息つくひまのないほど、超アグレッシブなハンドル操作が必要です。そして、立ちあがって急な上り坂に続きます。3,4コーナーはヘアピンの感覚で回っていくといいでしょう。4コーナーを立ちあがると、今度は急な下りになります。いちおうS字のなっているのだが、かまわず全開でなるべく直線的に下ります。ここは、そこらへんのカートコースにはないほどの下り坂で、まるでジェットコースターにでも乗っているかのような感じがするところです。そして、ダブルヘアピンなのだが、ここはトヨタのダブルヘアピンのような感じで、ここでセットが決まっていないと苦しいのであります。ダブルヘアピンを立ちあがってから短いストレートの後、左に全開で行くゆるいカーブ。そして、すぐに右に曲がって一瞬全開にした後、また、右の直角カーブ。また、一瞬全開にした後最終コーナーと、とにかくここらへんは、非常にテクニカルで説明のしようがない忙しいコーナーが続きます。最終コーナーもスプーン状になっており、右のヘアピンの後すぐに左に立ちあがっていくので、上手に立ちあがらないとストレートスピードが伸びないので注意します。
こんな感じで1周するのだが、ここはとりわけアップダウンがきつくて、コーナーも多くて、おまけに中途半端なストレートが多いので、かなりのテクニックが必要だと思います。
ワシらが、走っていた頃というのは、まだ走り始めでデーターもなんにも無かった頃だったので、チューニングで38秒後半を出していれば、トップタイムだったのだが、昨年、我がジナレーシング期待の星のンーーゴゴゴゴッシィーこと五島選手が、SPクラスで39秒台前半のタイムだというので、いやーたった5年でのレーシングカートの進歩というのは、末恐ろしいものだと感じるのであった。
其の20(次回は作手高原カートランド編 3)に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 02月 18日 17時 17分 00秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 52」
たけたろうのレーシングカートコースガイド其の18(作手高原カートランド編 1)
それまでのワシのカート人生で、作手のコースというのはまったく未知のコースでありました。しかし、95年の地方選の開幕戦に初めて作手で地方選が開催されることになったので、どうしても行かざるをえなくなったのでした。まず、コースの場所を探さなくてはなりません。いちおう、カートコースマップとかに地図が載っていたのだが、うわさによるととんでのない田舎に、コースが存在するということなので、「もし迷子にでまなったらどーしよーしらん?」とコースの攻略法よりコースに行けるかどうかのほうが心配なのであった。しかし、95年はワシの他にもう一人石原君という子が、地方選に挑戦することになっていたので、ワシは彼に作手のコースを探してきてもらうことになったのである。
そして、いざ作手に行ってみると、うわさどうりそこはとんでもない田舎なのであった。周りは四方八方山と田んぼに囲まれ、さすがに高原地帯ということで、カートコースの目の前には牧場があるというロケーションであった。ワシは豊川まで高速を使い、そこから新城まで走ってから、峠道をこえてコースにたどりついたので、距離的にはつま恋より遠くまってしまったのであります。
何年かして、ワシはヨメさんの親父さんの実家に行くことになり、場所を聞くとなんと作手にあるというのであります。豊田のインターから国道か県道か忘れてしまったが、その道を真っ直ぐ走って行ったら、意外と簡単に作手についてしまったのでした。そして親父さんの実家というのは、作手のカートコースから車で1分の位置にあり、なんかそれまで苦労して作手に通ったのは何だったんだろうという損した気分と、親父さんの実家がコースのすぐ近くにあったんだなーと思うと、やはりこれも何かの縁なんだーと、しみじみ思うのでありました。
其の19(次回は作手高原カートランド編 2)に続く。ではまた。
GO さん 2001年 02月 18日 12時 20分 02秒
2000改造計画
俺も、乗った。
2000の3月レース結果次第で 改造計画をスタートさせましょう。
sakura さん 2001年 02月 18日 09時 43分 59秒
2000へ大阪へ行くなら何で教えてくれなかったんだよ、まずは2000改造計画第2段
1,髪は脱色
2、眉毛を整える
3,耳にはピアス
4,その他
2000へスーツがダサいのではないよ、おまえがださいんだよ、何がダサいかって、そんな事をガン黒女に言われて、へらへらしていたんだろ、そんな女たち,とっつかまえてしばけよ、なんか腹たってきたじゃねーか、2000が馬鹿にされたのは,俺が馬鹿にされたのと一緒なんだから,今度そんなこと言われたら、そいつ俺の前まで連れて来い。
2000 さん 2001年 02月 17日 22時 25分 30秒
楽しくないですよ。知らないガン黒の女子高生にいきなりスーツ姿ダセーとか田舎もん?とか言われたんですから。びっくりしましたよ、大阪ってところは。
2000GTマッハGOGOGO さん 2001年 02月 17日 18時 13分 07秒
2000へ
大阪は、楽しかったですか?
向こうで、ハメはずしてきたとか?
いいなー!!
2000 さん 2001年 02月 17日 16時 59分 58秒
誰がそんなうわさを流したんですか!まぁ、運がよければ現役さんと友達になれるかもしれないですがね。
まあしいさん、まだ早い!!まだ昇格したかわかりません。でも、宣伝ありがとう(^^)
アキヒロ さん 2001年 02月 17日 16時 51分 12秒
先日、 僕も先生と行って来ましたよ。
ヨカッタ・ヨカッタ
モリロー さん 2001年 02月 17日 15時 46分 50秒
栗原先生
私も、今度一緒に、お供させて下さい。
(チェリー、モリロー)
アンドー1 さん 2001年 02月 17日 12時 20分 04秒
>>僕も先日、栗原先生に、社会勉強!お世話になりました!
あやしい お勉強??
たけたろう さん 2001年 02月 16日 15時 51分 46秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 51」
たけたろうのレーシングカートコースガイド其の17(トヨタスピードランド編 3)
さて、そんなトヨタのコースだが、我がジナレーシングはなんでかしらんが、こことは相性がいいのであります。その昔、地方選に出ていた木村氏や中村氏などは、表彰台の常連で、中村氏にいたっては2回も優勝しているコースなのであります。特に90年の地方選は、今でも伝説として語り継がれているのである。その日、中村氏はほとんど最後尾に近い位置からスタートしました。しかし、スタート直後に降り出した雨のため、上位陣が次々とタイヤ交換のためピットインする中、彼はひとりスリックタイヤのまま走りつづけたのでした。そして、気づいたら大逆転で優勝していたという、嘘のような本当の話であります。この、中村氏の優勝はものすごい快挙で、当時、カート業界で猛威を振るっていたロタックスエンジン勢をおさえて、唯一PCRを使っていた彼が優勝したことは、現在のF1でたとえるなら、ミナルディが優勝したようなものなのであります。この、中村氏の快挙で当時ジナレーシングでは彼のテーマソングまで出来たほどでした。
ワシのトヨタの思い出は、レースのことより練習中の出来事でした。ある日、ワシは地方選の練習のためせっせと走っていたとき、ちょうどホームストレートの中ほどを過ぎようかというとき、ワシの100メートルほど前方を走っていたストックが、1コーナーを曲がりきれずにそのまま真っ直ぐ行ってしまったのでした。そして、そのままクラッシュパッドを飛び越え、向こうの畑でもんどりうってひっくり返ったのでした。ワシは、その衝撃的一瞬をまともに見てしまったため、「これは助けたらなあかん!!」と自分のカートを1コーナーの脇に止めて、助けに行ったのでした。
「おいっ!!大丈夫か??」ワシはひッくり返ったまま起き上がれないその子に聞きます。
「ブ・・、ブレーキが・・・。」と彼は目をパチクリさせて言います。彼のカートを見ると、ブレーキパッドがありませんでした。
「あー、これブレーキパッドが取れとるやん。これじゃあ止まらんよ。」幸いにも畑の草むらがクッションとなったのか、たいしたケガもしてなさそうだったので、ワシはそのまま彼を放置し、自分のカートにもどろうとしたとき、1コーナーの脇には彼のものであろう、ブレーキパッドがひとつ落ちているのを確認したのでした。
其の18(次回は作手高原カートランド編)に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 02月 15日 16時 05分 10秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 50」
たけたろうのレーシングカートコースガイド 其の16(トヨタスピードランド編 2)
トヨタは長い。コースの全長が長いのではなく、横に長いのである。簡単にいえば、長方形の駐車場にタイヤで仕切ってあるだけのコースである。しかし、これがなかなか手ごわいのであります。まず、最終コーナーから立ちあがってホームストレートなのだが、そこらへんのコースにはないほどの長さである。かといってストレートスピードを稼ごうと、スプロケを小さくしてもダメなのであります。なぜならば、この先3ヶ所も小さいヘアピンが待っている為、どうしても大きいスプロケを付けなくてはならないのである。当然、エンジンの回転数は上がりっぱなしで、ワシが走ったチューニングで2万回転。PCRで1万8千回転は回ってしまうのであります。おそらく、ヤマハのKTでも1万6千回転以上は回るだろう恐ろしいストレートなのであります。1コーナーはフルブレーキングして、いきなりヘアピンです。ここは立ちあがりでダートにタイヤを落とすと、すぐに抜かれてしまうので注意しましょう。そして、高速S字です。昔は縁石もなかったのだが、ワシが走ったころには縁石が出来ていて、一つ目の縁石には乗らずに二つ目の縁石をまたぐ感じで抜けるといいと思う。しかし、カートが暴れるのでしっかりハンドルを握っていかないと、どこかに飛んでいくので注意します。そして、ダブルヘアピンです。ここは、本当にセッティングが決まっていないとまともに走れません。一つ目のブレーキングでは、カートが横を向いてしまうので注意しながら入ります。立ちあがりで踏んでいけないと、二つ目の入り口でインを差されやすいのでここのセッティングが重要です。かといってインをキープすれば、二つ目の立ちあがりが苦しくなり、前のカートに離されるのでとてもレースになりません。それぐらい、このダブルヘアピン重視のセッティングにしないといけないのです。最終コーナーは、非常にテクニカルである。まず全開で侵入するのだが、すぐに軽くブレーキしてカートの向きをかえます。そしてダラダラと回っていくのだが、ここで焦って踏みすぎると簡単にカートが外へ流れ出すのでタイムロスになります。じわーっと立ちあがっていくのが理想でしょう。まあ、こんな感じなのだが、この高速コースでもないエンジン高回転コースを、一度試してみてはいかがでしょうか?
其の17(次回はトヨタスピードランド編 3)に続く。ではまた。
たけたろう さん 2001年 02月 14日 16時 15分 58秒
「たけたろうの楽しいジナレーシング 49」
たけたろうのレーシングカートコースガイド其の15(トヨタスピードランド編 1)
トヨタへ一度でも行ったことがあるというみなさん。そっと目を閉じてください。そして、思い出してください・・・。あの衝撃の瞬間を・・・。
ワシが初めてトヨタスピードランドへ足を運んだのは、93年の地方選の練習をしに行ったときのことでした。ウワサでは河川敷にあるコースで、ただアスファルト舗装しているところにタイヤで仕切ってあるだけという、本当か嘘かわけのわからないコースだということだけは聞いていました。まったく初めてのコースのため、ワシはワクワクしていたのだが、「ここだよ」と一緒に付いて来てもらった子に言われたときはビビリました。
「うそやろ!!本当にこんなところでレースするんかい??」トヨタはここらへんで言う、笠松競馬場の隣にあるような河川敷の畑の真ん中にあったのでした。おまけにコースの反対側には、竹やぶかしらんが林のように木がもうもうとしげっていて、夜中にひとりで来るとなにかが出てきそうな、そんな雰囲気であるのだ。更にすごいのは、走行券を売っている事務所が、古いバスを利用していてワシは一瞬「おおーっ!ここはパドックにバスラーメンが営業しとるんかーー!!」と思ったほどであります。パドックは超狭くて、駐車場も穴ボコだらけのジャリ道で、なんともならないのだが、ひとつだけいい点をあげると、そこはさすがに河川敷ということもあって、堤防にのんびり座りながらレース観戦が出来るということぐらいであろう。
其の16(次回はトヨタスピードランド編 2)に続く。
PS1:本当は連載を休む予定だったのだが、堀井氏の強い要望により、なんとか人指し指で打ちました。みなさんこのワシの涙ながらの努力を無駄にせんと、ちゃーんと読んでちょーよ!!
PS2:ねーーぴゃんへ!!長くてもいい!!たくましく育ってほしい!!(なんのこっちゃ) ではまた。
2000GTマッハGOGO さん 2001年 02月 14日 14時 56分 55秒
2000へ
朝日大カートクラブへ入部すると、現役の・・・と、
お友達になれるって、
本当ですか?
まあしい さん 2001年 02月 13日 23時 34分 27秒
2000さんおめでとうございます
O(^-^)m(-^ )e(^ )d( )e( ^)t( ^-)o(^-^)~♪
朝日大のOB、在学中、合格した及び合格しそうな
皆さん!!
カート同好会からカートクラブに昇格した
カート大好き友の会に入会しませんか?
部費が入ったら社会勉強に行けるそうです
\(^O^)/ヤッター
僕も先日、栗原先生に、社会勉強!お世話になりました!
(・_・)(_・)()(・_)v(゜∇^*)⌒☆ブイブイッ
栗原先生ありがとうございます
PS、
飲みすぎに注意してください。
(oё_ё)o−−−−−−−−−@≫≫−−−ピーーー!
ぴょんこ さん 2001年 02月 13日 23時 18分 53秒
太郎さん>
静岡といえば、「つま恋」でしょう!!
カートコースでレンタルカートもあるはずです。
あったはずです。
私は、1*年前にレジャーで行ったときに乗りました。
ついでに言っとくと、これまた1*年前に名古屋の笹島にもカートコース??があり、そこでも乗りました。
そんなこんなでカートは楽しくて、そんでもって、ライセンスもとり、カートも購入し、カーターの仲間入りとなったわけですが(これは*年前)、今は引退(?)し、みなさんの活躍を見守っております。以上。
たけたろう様>
あれだけ打てりゃ、だいじょーぶじゃない??
あまり長いと読む気にならんけん・・・。ごめん。
山勝青果出版社 さん 2001年 02月 13日 20時 02分 00秒
おまちかね??「たけたろうの楽しい・・・」は作者のたけたろう氏(30)が、カーソルを打つときに使う右手中指の故障のため、しばらくお休みします。みなさんが、たけたろう氏に激励のカキコをしてもらえると、ムリをおして執筆活動を再開する可能性もあるということですので、そこんとこヨ・ロ・シ・ク・・・うふ。それでは、たけたろう氏に一言・・・。
「いやーー、先日の瑞浪のレースはどえりゃーさびぃー一日やったけん。おかげでワシは寒さでブルッてまって、うちに帰ったら熱があったけんねーー。普段は狂暴なワシのヨメさんもこのときばかりはやさしくてよーー。よけいに熱が上がってまったでいかんわーー。」
以上、岐阜弁と岡山弁のミックス調でお送りしました。
アンドー1 さん 2001年 02月 12日 02時 31分 55秒
昨日も瑞浪に ようこさん はいらっしゃっていたのでしょうか? ねぇ 賢三くん。
残念なレースでしたね。
太郎 さん (ANB38857@nifty.com) 2001年 02月 10日 12時 33分 30秒
ありがとうございます!!
自分はいままで九州に4年間住んでいてカートにはまった一人です。大分県のソニックパークは最高でした
あとよろしければ、静岡にありませんか?調子にのってすいません。
もう一度・・ありがとうございます
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